2011-05-07

小学校の頃、シェリーから教えてもらったこと

 

10数年前。まだ、僕が小学生だった頃、我が家では犬を飼っていた。

別にさほど裕福な家庭ではなく、九州田舎でローンまみれの一軒家に住んでおり、

父が友人から何かの事情で飼えなくなった犬を引き取るという形で、我が家に犬がやってきた。

とってもかわいかった、間違いない。名前シェリー、メス。

 

 

そんなシェリーと一緒に僕は大きくなった。

うちに来た時から成犬ではあったので、僕が小学校高学年になる頃には、もうおばあちゃんだった。

どうしても寿命は犬のほうが短い。「命の大切さを学ぶ」みたいなことが、犬を飼う価値としてあったりもする。

ただ、我が家場合はそんな、キレイお話じゃなかった。

 

シェリーはそろそろ寿命だというおばあちゃんになってから、大きな病気にかかった。

足を引きずるようにしていたから、僕達は病気にすぐ気づいた。

もちろん病院に連れていった。重い病気だとわかった。

人間でいうガンのようなものが、足の骨にできていた。

 

獣医さんからいろいろ教えてもらった。手術が必要であること、手術しても転移し再発する可能性も高いこと、

犬の手術にはけっこうお金がかかること、そしてどちらにしろ、すでに寿命が短いこと。

最初にも言ったが、我が家はさほど裕福ではなく、そして自分はこれから中学、兄が高校へ進み始めたという、

非常にお金が掛かる時期。両親は、手術をして助けてあげる決断には踏み切れなかった。

 

シェリーの足は、どんどん腫れていき、どんどん歩きづらそうそうになっていった。

獣医さんが考えるより、ずっと長生した、だからこそかわいそうだった。

腫れは膨れ上がり、一番膨れ上がった部分は腐りかけていて、

それでも、シェリーは歩きまわるし、元気にご飯も食べていた。

 

僕はつらすぎて、面倒は見なくなっていた。

中学でいろいろ忙しかったのも言い訳にして。

 

 

シェリー獣医さんの話より、2,3年は長く生きた。病気を患い、足を引きずりながら。

かわいかったシェリーの思い出は、つらそうな姿しか思い出せない。病気になる前に、たくさん遊んだはずなんだけど。

僕には、犬を買う資格なんてなかったし、今もないと思う。

 

「命の大切さを学んだ」なんてのだけじゃなく、いろいろ考えたし、

いまだにいろんなコト考えるときに、僕の考えに強く影響を与えている。

もちろんシェリー自分子どもだったら、お金寿命なんか関係なく、助けてあげようとしただろう。

でも、いくらお金をかけても死ぬかもしれない。しかも、恨まれつつかも。

もし、子どもだとしたらその思いが見えてしまうかも。

 

シェリーはきっと僕らは恨んでいたと思う。

僕はそんな責任を、もう一度背負うことなんて絶対しない。

家の裏にシェリーを埋めてあげた映像は絶対忘れない。

犬は大好きだけど、いつまでも犬をみるとき辛い思いをするし、シェリーを思い出す。

 

最近結婚を考える歳になって、自分って子どもしいのかなぁって考えて、

またシェリーを思い出した

僕は、今の世の中で、子どもに恨まれないように、育て導いてあげる自信が持てない。

 

子どもにちゃんとした環境用意してあげられるか、それにお金を用意してあげられるか、

子どもに恨まれないか子どもをつくったことを後悔しないか

そのへんくらい、自信持てないと、子どもつくっちゃダメな気もしたりする。

 

まあ、彼女さえいない僕なんかに無駄不安なのかもしれないけど。

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