俺さ、小4だったか小5っだったか忘れたけど、周囲の誰よりも早く陰毛が生えてたんだよ。
周りにはそんなやついないもんだからサッカークラブの合宿の風呂なんかでやたらめったら冷やかされるわけよ。
当時の俺、たぶん一般的な人と同じ反応だと思うけど、嫌がってたんだよね。冷やかされるのを。
周りの誰も持ってない才能(早期陰毛)がありながら、その時点では俺は選ばれた人間でありながら、それを活かす道なんて全く考えてなかった。
というかそれが才能であることにも気付いてなかった。
今の俺ももしかしたらもの人とは違う才能があるかもしれないのにそれを活かそうとしてなかったり、気付いてなかったりするんだろうな。
でもそれを活かせばよかったと気付く、あるいは活かす方法に気付くのは、その才能が埋没してからになっちゃったりするんだろうな。
俺は陰毛をからかわれたぐらいで嫌がっちゃう程度の人間だから。
部屋に落ちてる陰毛を拾ってふと思った。
学歴に執着しすぎちゃってるのかもね。
お、すごいねぇ。と言うくらいで別にそんないろいろと考えないし。
実際普通に頭いい人多いしね。
お茶を女性に入れてもらうのは、まともにお茶を作れる人が女性くらいしかいなかったからです。
料理作るのと同じで、昔のほとんどの男はお茶を入れる技術が無かった。女性なら大抵はお茶入れられたんです。
お茶って簡単だと思うじゃないですか。
葉っぱ入れて、お湯入れて、数分経ったら、くるくるゆすって茶碗に注げばokみたいな。
くるくるゆすったらダメなのに、なぜかそれをやる人が多い。作法以前に技術そのものが無い人が男に多かったのです。
湯の温度に気をつける/絶対ゆすらない/濃さを均等に これに気をつけるだけで、美味しいお茶が出来るのにそれができずに高い葉っぱを無駄にしている人が多いです。「お茶ぐらい誰でもいいだろう」という人は、美味しいお茶を飲んだ事が無いんだと思います。というよりも、まずいお茶しか飲んだ事が無いのかもしれない。
もし、この事を知らない人がいたら是非、比べて欲しい。
違いは誰にでもわかるレベル。これ解らなかったら舌がヤバイ。
すげー、ランキングなのにDQNネームが所狭しと並んでいる…。
俺自分の子供にこんなアホっぽい名前つけたくねーよ。
でもちょっとくらいアホっぽくしとかないと小学校でイジメられたりするんだろ?
前に勤めてた大手一流企業(1000人とか大量採用するような会社ではない)の社内報に載ってた子供の名前も、いたるところにDQNネームが。
一応まともなはずの人間が揃っててもそれかよ。なんだこの時代。馬鹿は死ねばいいのに。
ちなみに俺の姪っ子の名前は「るのあ」です><
もうやだ><
y_arimがぽけぽけしながらも生きてることがどれだけ一部の人の精神安定に役立ってるか。
高学歴でも自分がバカなだけだったり、身体障害があったり、心臓が弱かったり、ドモリだったりで道から滑り落ちたやつなんてたくさんいるんだ
しかも、勉強めっちゃしてたやつとか、あたまいい奴とかだったらこの切なさは泣けてくるほどに辛い
同期の奴らに「いまなにしてんの?」って聞いたりしたら、「金融でスイス」「トヨタ」「キヤノン」
・・・普通に死のうかと思うぞ?
それでも生きてけんだ、ってことをy_arimは証明してくれてる。
それだけでもちょっと、なんていうか、元気出る。明日も頑張ろうかと思える。
自分の基準と違うからって誰かを攻撃してごちゃごちゃ言ってるお前はまったく自己中だ。
彼らにいなくなられたら、明日も頑張ろうかと思う人間が少し減ることだってあるんだ。
ゴン太を思い出したw
釣られたというか何というかとにかく自戒・・・あいつがむかつくとか増田で騒ぐ奴がいるから駄目なんだ。所詮ここは匿名ブログで未来なんか無い。
しかし奴らが調子にのってるという点に共感してくれるやつらは多いんだろう。それはブコメやここに都度都度書かれている。前の文章(http://anond.hatelabo.jp/20080912144332)に対して俺が童貞とかそういう印象を持ってる奴がいたが残念ながら違う。
俺が指摘したいポイントは己で精査できる文章媒体やネットでしか強くでれない弁慶であるところ。なんともったいないというか不自然な存在だ。対人関係において自分の想像可能な領域でしか己を維持できないことが非モテの根本だ。
彼らというかもっぱら有村は知性を気取る一方で現実で人と関わる際にはそれほどの力を持たず特に性的意欲を刺激されてしまう人種に対しては全くの無力なのに過大評価されてるのが気に食わないというだけだ。おそらくこれが自分の不快感の原因。
こんな非道いことを書いても彼らは傷つけばいいのに、文章という得意技で乗り切ろうとする。そこで守りに入るから駄目駄目なんだよ
■追記
ゲイは間違えた。というか7月あたりの増田や一部はてなゲイへの話。あまり意味も無い釣りタイトル
というか謝罪したくなってきた。何か間違えてる。それでも言語化してみた
http://women.benesse.ne.jp/event/hakase/rank2007/namae.html
7位8位あたり?
男の子なら…
悠人・優斗・悠太・大輝
女の子なら…
凛・美優
あたりか。あんまり書きやすくないね・・・。
ふと目をやると優先席がポツンと一席空いている。誰も座らない。
確かに優先席ってのはお年寄りや体の不自由な人のために譲るべき席だが、そのびっしり超満員の電車の中で席を譲ることができるだろうか?
それ以上に人一人乗れるかもしれないスペースが確保できたかもしれないのだ。通勤ラッシュという日本特有の状況下で、どちらが普通の考え方なのだろうか。
確かに、こんな時間帯でも優先席を必要とする客はいるだろう。しかし入口からその席まで案内できるのだろうか?席を立つことはできるのだろうか?
自分が降りる駅まで優先席は結局埋まることはなかった。
良い本人確認の方法があれば・・・って事ですかね。
結果待ちで、病院が土日夕方のデパチカみたいな状態を
見てて「何とかならなものかね?」と思ったのですよ。
個人的なブログやSNSでの日記などを読めば読むほど、対面コミュニケーションでは感じ取ることが出来なかった、あるいは見落としていた、その人の輪郭が見えてくることがある。
それは、取り上げる話題、それに対しての綴り方、またレスポンスなどの文面から伝わってくる。
使う言葉、常用漢字以外のものや、カタカナ、アルファベット、絵文字という目にする文字からも伝わってくる。
文字の色、文字の大きさ、自分で撮影したとおぼしき写真、映像、自分で探してきたYOUTUBEなどの引用からも。
誰かに自分のことを知ってほしい、つながっていたいという極めて原始的な欲求を前に、全能感を与えるかの錯覚を抱かせるこのツールは、これまで手にしたいかなる道具より、人間との関わりについて考えさせた。
何気ないひとことが忘れられないという経験は誰にでもあるだろう。対面の場では気にも留めなかったような事柄、ちょっと符に落ちなかったり、ムッとすることや、後から思い出してその思いやりに満ちた言葉の真意に感謝することなど感情はいくつも生まれる。だが、それらは対面の場では基本、記録するということはなされない。
文章を綴ること、それは紛れもない自分をさらけ出すこと。その事実に今更ながらおののく。
知人、友人の綴る言葉に、思ってもみなかったその人となりを発見することがある。それが良い方面の意外性だと、好意を持つが、その逆もまた多い。
日記という体裁をとっているが、公開しているかぎり誰かの目に留まることを全く意識していない人などいないだろう。「こんな日記、誰も読むわけない」という甘い認識から炎上騒ぎは起きるのだろう。勿論意図的に炎上する方向へ持っていくデマゴーグも少なくない。
また会ったこともない多くの人たちのブログの更新が楽しみであったり、その人の書く文章に好感を抱いたりすることもある。
無限の場を提示しているブログが人民のアヘンとなったことは必至だったのだな。
知人、友人の日記をある程度の量をまとめて読むと、何もそのひとのことを知らなかったことに愕然とすることもある。
ブログを読んでその人を嫌いになってしまうこともあるのだろう。
その最悪な印象は全部真実の男の姿だよ。断言する。
でも、それは、人間全般が最低最悪であることの一部でしかないんだ。
心の中をさらけ出せばみんな最低最悪。
それぞれの属性(男だとか女だとかほか色々)の中で
みんなめっちゃくちゃな欲望を持ち、自分に都合良く考え、他人をボロクソに思っている。
女だけがその最低最悪から逃れてると思うなよ。
実生活では絶対に見せない本音をさらせば、人類に誰一人として最低最悪じゃないものはいないんだ。
ちょっと悪い、とかじゃない。みんなみんなみんなみーんな最低最悪なんだ。下の下なんだ。
フルカツ氏の非モテはフェイク、とんだワックやろうってどこぞのどこかに載ってなかったっけ。