はてなキーワード: STGとは
なにが「ハイコテンクスだから(ドヤァ」だよ。要するに閉じコン(閉じられたコンテンツ)ってことじゃねえか。
身内の中でマニアックなことした選手権かまして、俺達マジやってることマニアだわ~~~~で褒め合うとかダサすぎてヤバイって。
オタクやヤンキーがやる社会不適合者チキンレースとか、ブラック企業の社員がやる寝てない自慢残業代未払自慢と同じような状況に陥りつつある自覚あるか?
パっと見で分かりにくいことやればやるほど面白いみたいなの、マジで頭おかしくなっていくだけでしょ。
言葉としての美しさとか、描かれる光景の奥ゆかしさとか、そういうの全部すっ飛ばして、芸としての凄さを読み解くことの絶妙な難しさを自慢しあってる状態はマジで終わってる。
ミステリー界隈が本格という旗印を掲げて単に問題文がクッソ長いパズルでしかないものを量産しては「中々複雑なパズルで凄かった」「ロジックの連打で攻めていて実に通好みだ」「この難易度の高さ!」「これが解けた俺マジスゲー」でキャッキャッと蛸壺化を加速させたのと全く同じ光景だ。
本当にヤバイな。日本古来から連綿と続いてきた文化がオタク同士の身内ノリをこじらせた連中によって格ゲーやSTGと同じような滅び方をしつつあるのは見ていられないよ。
マジでいい加減にしろよな。サラリーマン川柳ってどれも分かりやす過ぎでしょ雑魚雑魚~~♡と煽ってる場合じゃねーから。ハイコンテクストであることを誇るな!恥だと考えろ!
新規参入の障壁になるような要素が多いというのは、受け継がれてきた文化を次の代に伝える努力を放棄し、それを代価として自分たちが身内ノリでウェイウェイすることを優先しているってことなんだよ!とってもとっても恥ずかしい事なんだよ!!!!
春の講座でフリーで使えるツクール的なソフト紹介して、1か月以内にゲーム作って持ってきてって言っても誰も持ってこなかった思い出
いや、二人だけ居た。
その二人でチームを組んで1本のゲームを作ってきた。
よくある縦スクロールSTGだったけどグラフィックや音楽はかなりのもので、難易度よりも爽快感を優先したとても気持ちいいゲームだった。
ドットはYoutubeで勉強して音楽は我流で作った。プログラムは不慣れだから敵の動きを単調にして沢山だして爽快感を出す感じにした。と企画書まで持ってきてくれた。
もうお前ら専門学校行かなくてもええやんwwwって話をしてたらその年の末には専門学校を辞めた。今も同人サークルで活動しているらしい。
新作が出来るとメールで教えてくれる。ゲームクリエイターじゃなくて社会人しながらゲーム作りをしているらしい。
俺は業界に戻ったけど正直自分の今の仕事より絶対楽しい人生してるなぁと若干羨ましかったw
ちなみに結局なーんも持ってこなかった連中は専門学校とつながりのあるアプリ開発会社に出荷されてった。
どうなったかは知らん。
視覚的に問題のあるゲームはレーティングあるけど、誰でもクリア出来ないゲームとか、精神的苦痛を感じるゲームもレーティング設けるべきだと思うわ。
辛口のカレーが本当に辛くて食べれないほどだったら返品するでしょ。それと同じで世界樹とかダクソとかクリア出来なかったら返品出来て良いと思うんだよ。
未だにゲーム業界は難しい=面白いってのを勘違いしすぎだと思うんだよ。なぜSTGが弾幕になって絶滅したか本質を理解してないんだよな。
ストーリーもさ、残酷なほど面白いみたいな勘違い多くて、仲間同士で殺し合うゲームとか精神的苦痛を感じる物も返品出来て良いと思うんだ。
やっぱ商品である以上、誰でもクリア出来ないレベルの難しさとか残酷さをウリにするのは甘えだと思うんだ。
商業がこんなんだからさ、フリゲー界隈も真似する作者が多すぎるんですわ。
未だに世界樹とかマドカみたいなゲーム出て来てアホか!って思っちゃいますけどね。
スクエニでさえも未だにヴァルキリープロファイルみたいなゲーム作ってるからな。てめえの顔も見飽きたぜ
弾幕STGに最近はまっている。ただ、やってる我ながらマニアックなジャンルだと思う。
それでネットで弾幕STGについて調べると、「昔は敵を的確に倒しながら速え球を大きな当たり判定で避けなければならず、複雑な地形も相まって暗記ゲーだったんよ。そこで回避に集中できて初心者に優しい弾幕STGが登場したって訳(要約)」といった記述が見られる。
・自機、敵弾共に当たり判定が小さく、その分画面を弾が覆いつくす
・自機の殲滅力が高いことにより、打ち込みを気にする必要が少ない
・地形がない
・弾が遅く、初見に優しい
自機の判定を大きくして弾幕を薄くした方が目を凝らさなくてよいし初心者向けじゃないだろうか。その上で初見で回避に専念できるシステムにすれば良い気が。
STGじゃないけど、UNDERTALEとか良い例じゃないだろうか。別に当たり判定が特段小さいわけじゃないけど、上質な避けゲーじゃないか。
じゃあなんで弾幕である必要があったのかって言われたら、身もふたもないことを言えば単に画面が派手でパチンコみたいだからじゃなえかなあ。
どっちも面白いが物語にもう少し統一性というかそういうのがあると良かったかな
続編のwiiの方で話を広げすぎた気がする
シリーズものじゃなくて別の物語・舞台にした方が良かったのでは
未来の日本が舞台でそこは好きだが日本らしい演出とかは無かったと思う
英語音声は中学生くらいの子ならカッコいいと感じるかもしれないが・・・(私もそうだったし)
ただし回避のために空を飛んでばかり、イサの場合チャージショットばかりというゲームプレイが合わなかった
また敵に弾を当てた時の手ごたえ(弾を当てている手ごたえというか演出)が低下しているような・・・
ボス戦の残り時間中に頑張って点数稼ぎをするのは面白いと感じるか面倒と感じるか。
個人的には残り時間設定があるなら点数稼ぎではなくて早くボスを倒すという方向でゲーム性を上げるべきだったと思う
ステージ中に音楽を頻繁に変えるのは逆効果に感じた。統一感のあるN64の方が良かった
戦闘能力の既にない敵に追い打ちで倒せるとかそういうのはいらなかったかな
逃がしていいと思う
で、続編はまだ??
これは理路が悪い
AI絵の話の問題は、素材として自分の権利コンテンツが使われている事だ
学習モデルをきっちり指定すれば、ほぼほぼ狙った絵柄の絵を出力できる
これと同列に語るためには
パワプロのソースコードが学習として取り込まれて「そこから」ウマ娘のコードが出力されてる位の相関が必要だ
パクリって話なら、RPGなりSTGなりの「システム部分」はパクリなしに成立しない
トレースでなく努力の結果、目指した作家と絵柄が似た人はパクリか?
という話をしたとき、KONAMIは「特許侵害」というステージで問題にした
これはパクリだとか似てるだとかそういう次元の低いお気持ちの話じゃない
ノベルゲーが隆盛を極めた頃、そのシステム構成や物語構成(日常、個別、問題発生、解決)がパクリなんて言われたことないだろ
程度の低い話すんな
後弾になりかねないぞ
正直期待外れだったと言わざるをえない。
圧倒的高評価で平均点数10/10のゲームだったので気持ちの中のハードルが上がりすぎていた。
じゃあもういっそ低評価でいいじゃないかって話なんだが、なんというかゲームの構成的に「ここで最後にプレイヤーが低評価を入れて終わり」というのは凄くシックリこない。
そこに乗っからないで終わるといよいよこのゲームをやった意味が薄れてしまうように思えて勿体ない。
https://store.steampowered.com/search/?sort_by=Reviews_DESC&category1=998&ndl=1
というわけでSteamでユーザーレビュー順でソートしてみた。
ストアページの説明文を読んで見る「『千恋*万花』は2016年に、日本美少女ゲームブランドゆずソフト(Yuzusoft)より発売された和風系恋愛アドベンチャーゲームです。この作品は萌えゲーアワード2016年度に準大賞とGethu美少女ゲーム大賞総合部門一位を獲得した、高い人気を誇るゲーム作品です。」
なるほど。
なんかもうこの時点で「そもそもそのゲームを買おうとした時点で高評価入れる未来が確定していたゲームほど有利」という法則が見えてくる。
ああなんかもう傾向が見えてきたわ。
ズラーっと下を見ていくと上から50番目ぐらいのところに『クッキークリッカー』の有料版もいた。
うんまあそういうことね。
当たり前のことなんだけど、忙しい時代に生きていると忘れそうになる。
とにかく今どきはレビューをチェックしてからじゃないとコンテンツにすぐに飛びつけなくなってきている。
なんでもかんでも味わうには時間が足らない。
試しにSteam検索の並び替えソートをリリース日にしてみると、1日にリリースされるゲームの量が1日にプレイ可能なゲームの量を超えているのは明白だ。
そもそも全部買うほどの金があるのかって話はあるが、それ以上に時間がねえ。
そうなるとやはり他人のレビュー点数というのはこの短い人生の中を少しでも良く生きるための光となる。
こういった感情に漬け込まれてステマが日々繰り広げられているのは知っているが、それでもある程度のユーザーレビューが積み重なればステマだけで全てを埋め尽くしきれないはずだ。
だが実際にはユーザーレビューは結局は他人の感性による評価でしかなく、アテにならない事も多いようだ。
少なくとも、多数決で良いが圧倒的多数派であることがそのまま神ゲーを意味することはないらしい。
個々人のゲーム評価が変わっていく理由において「趣向」「得手不得手」と同時に重要なものが「別のゲームで似たような体験をしたか」があるはずだ。
それは状況によってプラスにもマイナスにもなり、たとえばSTGゲームなんかは「お約束がテンポよくやってくる」ことが高く評価されることが多い一方で、そのジャンルに精通していない人からは「難しいのに説明もなく不親切」とされることがある。
ここで説明が過剰になるとそのジャンルをやりこんでいるプレイヤーは退屈な時間を過ごすことになる。
あらゆるゲームがあらゆる要素でこの「適度な難しさ」の調整と戦っている。
そもそもゲームというコンテンツ自体が、既知と未知の中間にある程よい攻略対象を提供することそのものを商品としている部分が非常に強い。
中でもアドベンチャーゲームはこのバランス調整が最もシビアだ。
全くプレイヤーが経験したこと無いものを解かせようとすればゲーム側が全ての答を誘導する必要が出てくるが、それはもうだただの作業だ。
逆にそういった体験を積み重ねたプレイヤーからすれば、ゲームの側がヒントをロクに出してこなくても知っているパターンのどれに当てはまるのかを推理するだけの作業となる。
それらが作業となってなおプレイヤーが楽しめるように調整されている場合と、もしもそれが作業になれば体験の没入度が大幅に目減りする場合がある。
まあつまり、今回私がガッカリしたゲームはその後者だったわけだ。
知っていたんだな。
だからその先を期待したんだ。
でも無かったんだよ。
圧倒的高評価のゲームならその向こうを教えてくれると思っていたんだが、どうもそうじゃなかったようだ。
確かに「ああいった展開」をゲームとして良い感じにまとめていたし、同一ギミックをいくつも味わってきたからこそ「これはその中ではかなり上手くやっているほうだぞ」というのはわかった。
だから出来の良し悪しで評価するなら「良い」を入れたくなるんだよ。
でも自分があのゲームに期待していたのは既存の展開を上手くやることじゃなくてもっと凄い先を見せてくれることだった。
たしかにさ、ある意味ずっと昔から世界のそこで脈々と受け継がれてきた演出ではあるんだが、それを人生で最初に見たのがあのゲームだった人はいると思うんだよな。
だから誰かがあれを「超すごかった」と表現するのを咎めても仕方がないんだよ。
もしかしたら、今まで多くの人達が「良い」しか押さなかったのは、こうやってモヤモヤした俺みたいのが「悪い」を押すのは流石にどうかと迷った結果なんだろうか。
確かにな、あの演出はまさに精通するというよりも精通そのものというか、それが起きた前と後で世界の広さが少しだけ変わる。
中途半端な場所で精通を迎えるぐらいなら、あそこで精通してほしいものだとは確かに思うよ。
そう考えると「良い」ゲームだったんだろう……そうは思えるが……俺が「圧倒的好評価」を前に期待していたものではなかった……。
よくあることなんだがな