はてなキーワード: うつるとは
飼育方法が杜撰なのか、金がないのか、けっこう動物が死んでいる
過去1年ぐらいの間、自分が知っているだけでもルリコンゴウインコ、リャマ?、ラクダが死んだ
ルリコンゴウインコは1歳弱という幼鳥から抜け出したぐらいの時期なのに、なぜか外の鳥舎で飼育し始めて、春のはじめに死んだ
季節と年齢から考えるに寒くて凍え死んだのではと疑っている
鳥は、特に若い鳥は保温しないとすぐ死ぬ生き物だって、飼育員じゃない自分ですら知っているのに、なぜそんな飼育方法をしたのか疑問
ラクダは他県の動物園かやってきた子みたいなんだけど、この動物園に引っ越してきてわりとすぐに死んだ(理由は知らない)
元の動物園では移動直前まで元気そうにしていた記事が残っているので不思議すぎる
そのラクダ舎と同じ建物にあるリャマ舎でリャマ?ラマ?も暮らしていたのだけど、その子は顔に大きな腫瘍ができる病気を長らく患っていたのね
結局病気で衰弱して死んでいった
最後らへんは歩けなくて、古くて小汚いリャマ舎の中でずっと寝たきりだった
ネットで同じように疑問に思っている人がいないか探してみたら、リャマより前に死んだラクダのウイルスが移ったのではと指摘している人がいて震えた
ラクダがどう死んだのかは知らないけど、その人が言うには、羊ヤギラクダ系は病死したらウイルスが広まらないように飼育舎を解体埋め立てして作り直さなければならないらしい
他にもニホンザルエリアの猿たちは、個体識別のために顔に×とか△の入れ墨がいれられている
江戸時代の罪人かよ
夏場は鉄板のように熱されたコンクリートの上で暑そうにしていて、どの子もストレスと栄養失調なのか薄毛でやせ細っていて、見ていると暗い気持ちになる
お金がなくて運営が難しいのと、新しい動物を迎えたいからだって
どうせ新しい動物を迎えてもすぐに死なせるでしょ
そう思ってる市民が多いのか、クラファンを始めてけっこう経ってるのに目標額の3割ぐらいしか集まっていない
インスタで飼育員が発信している内容も他の動物園みたいに、動物の生態や知識のPRはなく
「俺たちおもしろいでしょ^^?」「今日はこんなことしました☆」的な学生のサークルノリでしかない
運営費のたしに収益が欲しかったのか、お手製の下手なイラストをプリントしたグッズやゾウのうんこからつくったグッズを売ってるんだけど、ぶっちゃけ魅力がなさすぎる
民間人の目からしたらなんでこんな甘っちょろい企画でイケると思ってるのか謎すぎ
子供をちょっと遊ばせるのに便利だから地元に動物園があったほうがうれしい
でも動物をすぐ死なせる・余裕をもって飼えないなら動物園をなくそう
もしくはがっつり入園料を取るようにしてくれ
昔っから憧れてた神モデラーが作った出品価格100万円くらいのガンプラがあって
ガンプラにはこだわりがあって他のものはねだったことなんて無いんだけど
これだけはこの人のガンプラって決めてたから彼女に買ってほしいってお願いしてみたら
彼女が職場の上司(既婚者男性)に相談したみたいで俺はヤバい男認定されてしまいました
その上司はガンプラもモデラーの存在も知らないから「???」みたいな感じやったらしい
そらガンプラに興味ない人に話したら「高いガンプラねだるヤバい男」にうつるやろ
でも、俺はガンプラと結婚するんじゃなくて大好きな彼女と結婚するから、彼女が少しでも違和感感じるなら諦めようと思います
かと言って自分の好みでないものを貰っても心から嬉しくないので婚約ガンプラは無しでいいと伝えました
それは了承してくれました。今すぐに渡せなくてごめんと
スッキリして良いと思ってのコーデだったけど
なんかオジサンぽかった
下がる
普通にフルレングス、踵あたりまでの丈で、ローファーを合わせてる
アンクル丈にして、パンプスなど足の甲が見えるデザインの靴に合わせないとダメだ
シャツは襟つきの白グレーなのも間違ってた
襟なしの、明るい色物、ピンク系のシャツにすればまだ見れたと思う
シャツをメインにするなら、紺のセンタープレスのゆるスリムではなくワイドパンツとかのが良かったのだろう、色も紺じゃなく黒とか茶とかグレーとか
あーもう今日の服は完全に失敗した
格好があまりにオジサンだと思っていたが、背格好は普通に太め女子であるため、思ったほどオジサンではなかった
まあこれはこれでファッションの一つに見えるかも
なんかこう紫に近い
つまりは赤みがやや強い
梅毒になった。
体に赤いできものがたくさんできて、皮膚科行ったら梅毒の可能性アリとのことで検査したら陽性。精密検査でも陽性。
キスすら今の彼女としかしたことないんだけど、彼女は陰性。一度梅毒になったことがあると陽性になる項目があるけど、それも陰性。
もちろん先天梅毒でもない。
向こうの立場で考えたら当然だけど彼女には風俗や浮気を疑われている。
最近ベビーホタテが美味しくてよく買っちゃうんだけど、そろそろマザーホタテに怒られるかしら?まあ100匹でかかってこられてもおばちゃんならタントで全部返り討ちにしてやるけどね!あははははは!
でもね、おばちゃんは海には行かないの。だって敵わないでしょう?おばちゃんはもう海の生き物を散々殺してきたから…海に入る時は、その罪を償う覚悟ができた時だけなのよ
だから旦那や子供が海に行くってはしゃいでても私は浜で留守番よぉ〜!あははははは!
このことが子供にバレたら子供に呪いがうつるから、テキトーこいて誤魔化してんだけどね!…あんたは大丈夫よぉ、だって血縁じゃないもの〜
お母さんは元気?そう、じゃあお母さんも何かしら抱えてるかもしれないけど、あえて触れないでいてあげるのも親孝行ってやつよ。…って、知っちゃった以上は難しいか!
20分ほど固茹でしてすぐに殻をむいて
卵黄を取り出し、なおかつその卵黄の真ん中から
耳かき一杯くらいの量をお湯でのばして与える。
そして耳かき一杯という例え方は、
ただの卵黄が浮いた美味しくなさそうな汁を
嫌がることもなく口に入れていた。
しばらく観察していたが、特に変化もなく
すぐに病院に行かなければならないような
状況になった時、私はちゃんと行動できるだろうか。
未知の体験の繰り返しだ。
私なりに守り育てようと思ったところまで飛躍した
初めての卵記念日🍳
エッグゥ(; ̄O ̄)
一寿を抱っこしながら目が合うとニコッと笑ってくれて
ねぇかずと〜♩で歌うと爆笑していた。
感動は可愛さも量産してくれる。
こないだの文化資本のホットエントリーじゃねーけど、今の都心の子は、狭いし忙しいしかわいそうだと思う。
俺はどちらかと言うと友達とワイワイなほうじゃなかったけど、それでも子供の頃は、小学校は、帰ったら玄関でランドセルぶん投げて友達と遊びに出かけた。父親は19時には帰ってきていた。一家団欒があった。
中学校に入ると、15インチのテレビ、VHS、ミニコンポがある狭い部屋に同級生4人が肩寄せ合って遊んだ。ゲームやCD持ち寄ってさ、兄貴姉貴がいるやつは重宝されたな。
都心の小学生は原っぱはおろか、遊べる路地も川もない。みんな監視が行き届いた学童保育。
父親や母親が早く帰ってきて迎えにくる家庭は、一家団欒のためじゃなくて塾や習い事の送迎。
都心の中学生には個室がない。みんな一人っ子で、3人兄弟なんかほとんどいない。いたらいたで、個室あてがってもらえないしな。
給付金やら減税でどうにかなるレベルじゃないきがする。江戸時代なんかもっと過密な長屋暮らしでも子供は育ったんだから、別に大丈夫なんかもしれんけど。子供はしたたかだから、勉強してるふりしてスマホで友達とつながってよろしくやってるんだろうけど。
都会人が都会の生活を手放せないのもわかる。
洋の東西を問わず、死罪の次に重いのが島流しだったわけで、文明人に取って文化を取り上げられるのは死の次に辛い。
電車通勤はその間寝れるとか勉強できるとか、かなり言ってることおかしいよ。
刑務所だって足くらい伸ばして寝れるし、17時には作業終了でしっかり8時間寝れると言うのに。
週末に美術館に行けたってさ、割に合わない気がする。
大人は命削って働いて発狂しながら子育て、子供は子供の時しかできないことを我慢させられて、その対価が美術館だとか博物館とかいわれてもさ。
製糸場の女工が就業時間が12時間とかいうけど、休憩含めた拘束時間。通勤時間含めたら現代人はすでにそれに近いと思うんだけど。
結核で死なないのは、栄養状態がいいからで、昔ならとっくに死んでる。
夏、冷房で部屋を冷やすと外はもっと暑い。美術館に行けて幸せか?暑すぎて命を守る行動をとテレビが叫ぶ土地なのにさ。
冬、人が多い屋内施設らいつも空気は淀んでて二酸化炭素濃度が高い。レストランもそうだ。他人の吐いた息を吸うんだから、当然臭いし病気はうつる。
SNS、インフルエンサー、Vtuberといったジャンルのフィクションが年々増えていると思う
ジャンルとしてでじゃなくとも、現代社会を舞台にした物語には欠かせない要素となっているだろう
登場人物がスマホにうつるタイムラインを見て「うぎゃー」と声をあげるようなシーンは実際ありふれたものである
一方で、インターネットの混沌とした側面やワールドワイドな影響力、そこに潜む多様な人々の心理・行動・日常、あるいは事件の数々
そういったものをリアルに、深く掘り下げて説得力を持ってに描かれたフィクションってのは存在するんだろうかね
個人的には、きわめて希少だと思うのよね
きっとネット社会のダイナミズムを物語に落とし込むこと自体が一つの技術的な課題で、多くの作者にとっての高い壁になってる気がする
フィクションにおいてインターネットが普遍的に存在する世界をどのように捉えどのように表現するかは、作者の感性だったり洞察だったりによって大きく変わるんだけど
なので大抵は特定のコミュニティで起こる小さな出来事にフォーカスを当てることになる
これらは往々にしてある種の非日常性を含んでいて、それがフィクションの核を形成する
例えばあるSNSが炎上して人生が一変する物語とか、VTuberがデビューして現実で言う宝鐘マリン並みに一躍売れっ子になる過程を描いた成功譚とか
きちんとしたノンフィクションが描かれないことには説得力のあるフィクションも成り立たないような気がする
要はインターネット社会に対する描写だけが大事なのではないよねということ
芦原先生の死去にはじまる様々な報道を目にして、昔の記憶が蘇った。
25年働いて10社くらいを経験したが、今思い返すと出版社で小説編集やってたときが一番「組織としてヤバい」と思った。色々な組織を見てきたから言うけど、出版社/編集部は抜群にヤバい。
小さな出版社/編集部にありがちなことや、そこから生まれる構造的な課題を説明する。
雑誌の編集は担当してないのでそこは語らない。スポンサー見つけたり、締め切りカツカツでたくさんの原稿を本をまとめなきゃいけない苦しみはわからない。
また、メディアミックスを担当したことがないので、そういった経験も語れない。
ほとんどの出版社において「新卒採用」は行っていない。音羽や一ツ橋、KADOKAWAあたりは大手も大手なのでまだまともな部類。「他にも新卒取ってるところもあるよ」って反論が出てくるのは目に見えてるが、そんな会社はまだまともなので安心してほしい。
つまり、「編集者のほとんどは中途採用」であり、中途とは自分から情報をキャッチアップすることが当然の現象となる。そのため、「若手に先輩が何かを教える」という風潮に乏しくなる傾向があると思う。
また、「新卒採用が存在しない」は同時に「同僚に『同期』がいない」ことも意味する。何社も渡り歩いて強く実感したが、同じ日に入社したってだけでも意外と同僚同士の絆は強まる。他の会社だと中途でも同期飲みとか不通にあるんだよ。新人が社内の人間と積極的に交流を持つ為の経路が「制度として」存在しないことは、新人メンバーの孤立を後押しこそすれ緩和はしないだろう。
更に輪をかけて大きな問題は、「お抱え作家がいない場合、編集者同士はライバル」ということだ。大手出版社であれば、「高橋留美子なり尾田栄一郎なりのビッグネームの担当が定期的に変わる」という現象は当たり前に聞くが、中小出版社/編集部においてはそうもいかない。「売れっ子作家の担当」というポジションは、中小出版社/編集部での社内政治においてものすごく重要であり、手放す意味も意義もない。また、そもそも人数が少ないので引き継ぐ相手がいない。
結果、「新人のために作家を引き継ぐ」という経路が細くなるわけである。基本的に他人から担当作家を引き継ぐ機会がないのだ。もちろん0ではないが、引き継ぐ前の編集者がよっぽどの超有能編集者でその人がキャパオーバーとかでないかぎり、既存メンバーが他人に引き継いでいいと思っている作家は大体「自分が手放しても惜しくない作家」である。
それはつまり、「新メンバーは自分で新しい担当作家を発掘する必要がある」ということになる。
まず、編集者同士での情報共有が阻害される。「いまこういう作家さんがすごく好きだから声かけしようと思うんだよねー」みたいな会話がなされづらい。しなくもないけど、虎の子だけはみんな腹の内に隠していることになるだろう。
一般企業と対比させるとわかりやすいかもしれない。通常であれば、取引先相手一覧はチーム内で共有されている筈だし、朝会等で業務の進捗状況を共有しあうだろう。しかし、編集においては「自分が誰と仕事をすすめているか」という情報がチーム内で共有されているかというとかなり怪しい。
結果、何が起きるかというと「編集者が作家・イラストレーター・デザイナーと連絡を取る際、その情報を編集部の誰にも共有しない」という現象が発生するわけだ。具体的には外部とのメールのやりとりをチーム内にCCで共有しない。そもそもCCで飛ばす文化がない。
そこから当然のごとく発生するのは「本を作る為の進行管理が編集者個人に完結する」という現象。原稿が遅延しててもその情報をチーム内に共有しないし、共有しても聞いてもらえない。
ここに多忙が乗っかればもうおしまいだ。高確率で「編集者は作家に嘘をつく」。自分だけでやりとりが完結している相手には、嘘がばれにくい。嘘がばれにくい相手がいれば、構造上嘘をつきやすいのは想像に難くないだろう。
また、共有を怠ったまま業務を進めたことで、「編集長チェックの段階でひっくり返る」という現象も発生する。これが作家の目には「直前までOKって言ってたのにいきなり前提が全部ひっくり返ってやりなおしになった」として目にうつるわけだ。
これらはあくまで「組織構造上、このようなことが起こりやすい」という話をしている。だから、似たような環境でも「それは違う、うちはこうしてる」ということはたくさんあると思う。
だが、ここで一番重要な点は、「不正を塞ぐ手段を組織として準備できていない」という事実である。嘘をついてもバレない環境において人間は嘘をつく。100人いれば1人は嘘をつくに決まっているのだ。
ここで「いやでも仕方ないよ」と思った人がいれば、あらためて考えてほしい。「仕方がない」なら「問題が起きても許容されるべき」とはならないだろう。組織構造上不正を生み出しやすいなら、不正が生まれないような組織構造に作り替えるべき……というのが、一般的な企業における「コンプライアンス」というものである。中小出版社/編集部は、そこがまったく整備されていないし、そこを整備するインセンティブは薄い。なぜなら「チームとして動く」という感覚が(少なくとも自分のいたところのような)雑誌などを作っておらず、メディアミックスを担当することもないような木っ端編集部では存在しないからである。
新卒採用を行っていないような「編集者を育てない出版社」では、中途採用において同期の絆を深めることは少なく、また担当作家も新しく捕まえなければならない。
ライバル同士である編集者間の情報共有は滞り、作家さんとのやりとりはチーム内の他の編集に伝わらない。
結果、記事制作時の過失や遅延を適切なタイミングで適切なメンバーに共有されない(少なくとも、制度設計上共有しないことが最小リスクとなってしまう現状が発生する)。
そういった環境にいるとどうなるか? 編集者は基本的に「嘘」をつくんだよ。編集と作家とのやりとりは二者間で完結してるし、その嘘を編集部の他メンバーが気づくことはない。だって情報共有してないんだもの。ばれない嘘はつき放題、だろ?
「お前のところだけだろ」と思ったあなた:正しいし、一部の出版社はその問題を解決するための方策をちゃんと考えている。たとえば、漫画だったら講談社、小説だったら電撃文庫辺りは1人の作家に2人の担当編集がいると聞く。少なくとも「1人の作家/作品の状況を複数人で管理する」という体制がついてるわけだ。こうすることで作家との揉め事を編集が一人で握りつぶせないということは構造上なくなる。そういう意味で、大きめな出版社/編集部はある程度とマシな気配はする。が、中小出版社で働いていた経験からすると、出版社/編集部の9割はこんな感じなんじゃないかなーと思っている。