はてなキーワード: テレビ局とは
オッス!オラ悟空!
勝手に日常編を追加されたり、カメハメハを遅く撃ってくれとか、無茶言われたもんさ
でも今はアニメはそんなこと減ってきてるから、ドラマもそのうちそうなるかもな!
他のテレビ局も声をあげてほしいよな!
よろしくな!
今「ウチは(これからは)原作者の意向を最大限汲み取ります。希望の詳細度で契約書を締結します。是非ドラマつくりましょう!」って声高に宣言すれば作品集めやすいだろうに
漫画家の大半は「こんな駄作の映像化ありがとう御座います。漫画が売れるならいくらでも改変して頂いてOKです」みたいなビジネス視点だと思うんだけど、
たまに自分の事をアーティストだと勘違いしてる気取りの漫画家引いちゃうと大変な事になる。
やろうと思えば原作者権限で「やっぱこの映像無理なんでやめます」って出来ちゃう訳じゃん。間違いなくテレビ局と出版社から仕事来なくなるからやらないだけで。
芦原先生は、自身の作品がドラマ化される際に発生した問題について、SNS上で声明を発表しました。しかし、その声明が予想外の反応を引き起こし、ドラマの脚本家が中傷されるという事態に発展してしまいました。このような展開は芦原先生の本意ではなく、「攻撃するつもりはなかった」と慌てて投稿したことからも、自分の言葉が誤解され、意図しない方向に事態が進んでしまったことに動揺していたのでしょう。
- 責任感と罪悪感:芦原先生は、自身の声明がきっかけで脚本家が中傷されていることに責任を感じ、罪悪感に苛まれた可能性があります。特に、創作業界では「表現の自由」と「表現による影響」のバランスが常に議論されるテーマであり、先生は表現者としての責任を重く感じたのかもしれません。
- 予想外の事態に対する恐怖:SNSは時に予想外の方向に世論を動かします。芦原先生は、自分の言葉がこれほど大きな反響を呼び、攻撃的な行動に繋がるとは予想していなかったでしょう。この想定外の事態に恐怖を感じ、パニック状態に陥った可能性があります。
- 創作者のプライド:芦原先生は漫画家として、自身の作品に強い思い入れがありました。その作品が自身の意図しない形でドラマ化され、さらにその問題を指摘した声明がさらなる問題を生んでしまったことに、創作者のプライドが深く傷つけられた可能性もあります。
- 孤立感と絶望感:SNS上で騒動が起きたとき、芦原先生はひとりで対応していたのでしょうか。所属する出版社やテレビ局などのサポートがあったのかは不明ですが、騒動の渦中で孤立感を感じていた可能性はあります。さらに、テレビ局側が何らかの対応をする前に先生が亡くなってしまったことから、事態の収束や解決への道筋が見えず、絶望感を深めたとも考えられます。
これらの要因が絡み合い、芦原先生は自殺という選択をしてしまったのかもしれません。創作者の表現は、時に思わぬ影響を及ぼすことがあります。この悲劇をきっかけに、SNS上での発言の重みや創作者の責任などについて、改めて考える必要があるでしょう。
今の日本のエンタメ界隈ってのは大雑把に1990年代からテレビよりのドラマ・邦画とオタクカルチャー(漫画・アニメ・ゲーム)に分裂している。
間を繋いでるのが2次元実写ドラマなわけだけど、やっぱテレビ局が介在するとすべてが駄目になるね。
少女漫画とか女性向け作品みたいな女性に人気のものってテレビ局が間に入って実写化されることが多い。
1990年代以降テレビ局はどんどん女性向けの作品を売り出すのに躍起になっていったけど未だにテレビ局はそういう風潮だよね。
根本的に日本のテレビ局はオタクカルチャーの作品を未だに見下していてほとんど尊重されない。
しかも男性が女性向けの作品を尊重していないとかいうことじゃなくて、セクシー田中さんを見てもわかるけど脚本家もプロデューサーも女性なのに女性向け原作の作品が滅茶苦茶にされてる。
たいして男性向けが多いオタクカルチャーの作品は昔は原作改変が当たり前だったけど、どんどん原作を尊重するようになってる。
女性原作だけど鋼の錬金術師もダンジョン飯も鬼滅の刃も薬屋のひとりごとも原作尊重が当たり前になってる。
たぶんテレビ局って、世界のあらゆるものが「サンプリング素材」に見えてるんだろう
自分たちこそが最高のDJであり、フロアを沸かせるためにありとあらゆる情報をサンプリングして、最高のフロウを作り上げることができると
局内外での調整がまだ終わってない段階で宮迫が出しちゃって問題化して潰れた。
俺はそう睨んでる。
テレビ局や脚本家側にいろいろ問題があったんだろうし、検証して反省しましょうねっていうのは良いんだけど、
それはそれとしてこの程度で死ぬのはお気持ち繊細ヤクザすぎてドン引きだし、まぁ脚本家も運が悪かったよね、って言ってはいけない空気何
編集「先生、6巻が出ましたね!6巻が出るころにはドラマ化を考えようって話してましたよね」
漫画家(うーん……過去作品のドラマ化ではいい思い出がないけど……)
編集「はい!テレビ局からの打診があったら前向きに考えますね」
漫画家「未完の時点でドラマ化するなら、ドラマオリジナルの終盤は私があらすじからセリフまで用意しますね」
---
編集「いいですね!他局からも話はあるんですが、そっちは断りますね」
編集「ただ、漫画家は原作にこだわりの強い『難しい人』なので、そこは配慮してくださいね」
編集「過去に脚本を自分で書くと言い出したこともある人でして。ベテランの脚本家より若手の柔軟な脚本家さんでお願いできれば」
---
P「ありがとうございます!実績あるベテランの方なので安心して任せられます!」
P「あ、原作の漫画家さんはちょっと『難しい人』らしいです。一応」
脚本家「難しい人かー。まあなんとかなるでしょう」
---
P「ありがとうございます!」
---
漫画家(なぜかエピソードが並び替えられてる……セリフも変わってる……なぜここがカットされてるの??)
漫画家「納得できないところをWordにまとめました。脚本家の方にお伝え下さい」
編集(このWord、表現がきついな……ちょっとマイルドにしよう)
---
P「うーん、持ち帰ります」
P「ということなんですが」
---
P「はい」
P「これでどうでしょう」
---
漫画家「……キャラが崩壊してるしストーリーの整合性もとれなくなってるじゃないですか」
漫画家「1~3話まではエピソードの入れ替えも我慢しましたが、4話はもう限界です」
---
P「えー……」
脚本家「……このWord、いくらなんでもひどすぎませんか。読みたくないです。Pが要約して要点だけ伝えてください」
P「はい……」
---
(※何度かやり取り)
P「ありがとうございます!」
---
漫画家(疲れる……この感じでは、ドラマオリジナルの終盤はとてもまかせられそうにない……やはり自分でプロットを書こう)
漫画家「9、10話のプロットをざっくり書きました。疑問点やリクエストがないか聞いておいてください」
---
P「むむ……これはちょっといろいろ変えたいですね。リクエストをまとめました」
---
P「うー、はい」
---
漫画家「8~10話の詳細なプロットを書きました。セリフもだいたい入ってます」
漫画家「今後の展開のネタバレギリギリのラインを探りながら書いたので、アレンジは基本しないでほしいです。尺や撮影上の都合はしょうがないですが」
---
編集「詳細プロットです。基本アレンジはなしでお願いしたいとのことです」
P(え……変えるつもりだったんだよな)
P「……いや、脚本家が台本にする上でアレンジはどうしても発生するんですよ。ご理解ください」
編集「はい、一切の変更を許さないということではないです。よろしくお願いします」
---
P「そういえば脚本家の人、指摘のWordがきつくて読めないって言ってるんですよね。ここだけの話なんですが」
編集「なるほど」
漫画家「ええ……もう一切信じられない」
---
編集「漫画家が描き下ろした8~10話はそのままにしてください、とのことです」
編集「長過ぎるセリフのカットはしょうがないですが、セリフを少し変えるなどの創作はNGです」
P「あの、ドラマの台本は脚本家と漫画家がやりとりして作っていくものなんですよ。言ったじゃないですか」
編集「それでも、9、10話に関してはロボット的な脚本起こしでお願いします」
P「いや」
編集「できないんですか?であれば脚本家を外してください。さもなくば、配信や二次使用を許可しません」
P(うっ、そこを突かれると厳しい)
---
脚本家「そんなことになってんの?はじめて聞いたんですが」
脚本家「もう10話まで脚本書いたんですけど……ショックすぎて言葉も出ない……」
脚本家「……しょうがないですね……クレジットもなしでいいです」
P「ありがとうございます! クレジットはちょっと考えさせてください」
---
脚本家「1週間考えたんですが、やっぱりクレジットは入れてください」
P「はい、もちろん。"原作・脚本 (漫画家の名前)" "脚本 (脚本家の名前)"で出しますね」
---
編集「ということらしいんですが、クレジットだけ脚本家の名前を入れてもいいですか?」
漫画家「ダメに決まってます。脚本家の方が9、10話に関わったかのように誤解されたくないです」
---
脚本家「最大限譲歩してるんですよ!?約束が守られないなら8話までの脚本を引き上げます。弁護士とも相談します」
P「ええ……」
---
P「あ、まだ契約してない……」
テレビ局法務「えっ、じゃあ脚本家の方が差し止めることは可能ですね……」
P「弱った……」
---
P「どうにかお許しいただけませんか……」
脚本家「そもそも最初は、オリジナルの部分は一緒に作らせてもらうという話だったんですよ?」
脚本家「10話には自分のアイデアも入ってる。これは著作物じゃないですか?」
脚本家「クレジットはテレビ局が決めるもの。漫画家が放送差し止めを振りかざして変えられるのはおかしい」(※漫画家とも契約未締結なので、漫画家は放送差し止めする権利がある)
脚本家「9、10話には"監修"として私をクレジットしてください。それもダメならせめて"協力"で。これ以上は絶対譲りません」
---
P「もう間に合わない……9話は脚本家へのクレジットなし、10話はオールスタッフクレジットで"脚本(1~8話)"として放送しちゃおう」
---
脚本家(説明する必要があるね……インスタグラムに事情を書こう)
脚本家「漫画家の方が最後の脚本をどうしても書きたいとのことで~」
P(書いてほしくなかったな……契約書には秘密保持があるんだけど、まだ契約できてないので何も言えない……)
---
視聴者「8話までは面白かったけど、9、10話はいまいちだったな。漫画家が出しゃばったからだろうな」
漫画家(8話までも私がめちゃくちゃ修正したんですけど!? 脚本家の手柄になるのは納得できない。私もブログを書こう)
---
あとは報道等で知れ渡っている通り。
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
むかしはテレビで映画をよく放送していた。地上波しかない時代。
むかしのテレビは画面の縦横比が 4:3 だった。今のワイドテレビよりも正方形に近い。
それに対して、映画はもっと横に長い縦横比だ。細かい比率はわからないけど、今の縦横比(16:9)に近いのやもっと横に細長いのもあった。
そういう横長の映画を、4:3のブラウン管にどうやって放映していたかというと、画面の左右をトリミングして画面いっぱいに表示していた。
テレビの画面が大きくなった今では、レターボックスやピラーボックス放映(上下や左右に余白を持たせてアスペクト比の違う映像を欠損なく投影する)が普通だけど、むかしは左右をぶった切るのが普通だった。
多少の情報は欠損しても作品の中央部を大きく鮮明に見せることが優先されたのだ。
画面左右をそれぞれどのくらいちょん切るかというと、古いシネスコサイズで20%以上、一般的なビスタサイズでも14%近く。つまり左右合わせて作品の面積の3割~4割ほどが捨て去られていたことになる。
そんなに切り捨ててしまうと、
という疑問がわく。
そういう時は、画面をパンしていた。画面の端のほうにいる人物がセリフを喋る時とかに、「ずるり」と画面がそっちのほうに動くのだ。
カメラを振っているような感じだが、もっと機械的で不自然な動き方。古いシネスコサイズの映画などでは飛距離が伸びるので特に顕著だった。
これはテレビ局側の編集でやっていることであり、作品の演出とは関係ないパンニングである。オリジナルではふたりの会話を定点でじっくり撮っているはずのシーンなのに、テレビ放映では画面がひっきりなしに左右に動いてやけにアクティブなニュアンスになってしまうこともあった。それでよしとされていたのである。
さらに、
という疑問もわく。
そういう時は、画面を横方向に圧縮していた。アッチョンブリケしていたのである。
これが多かったのは、出演者の名前が画面いっぱいに列挙されるようなオープニングロール。役者さんの名前は絶対に見切れてはいけないからね。
画面に映っているすべてのものが縦長にゆがんでしまうが、縦横比を保って縮小すると字がかなり小さくなってしまう。
テレビ放送の水平走査は525本、ここにビスタサイズの画面をレターボックスで投影すると高さの解像度は284本分にしかならない。これでは「山城新伍(友情出演)」みたいな小さい文字はツブれて読めなくなってしまう。
映画ブロガーみたいにちゃんと書けないけど重箱の隅を楊枝で洗うようなことなどを
主人公が藤棚(花は咲いていない)の影におり、お嬢が日の当たるところに立っている。
(記憶が定かではないが、藤棚の柱で画面が二分されていたかもしれない)
これは主人公が陰の者である(後藤ボッチ系)であるメタファー演出であろう。
要所要所で髪やヤシの葉が海風で揺れてエモーショナルな空気出してるんだけど、突然髪の毛がピタッと動かなくなるところがあって「予算…」ってなった。
・萌袖の子、水中ロボット実験する時はもちろん、キータイピングしているときも袖まくりしないので、大丈夫なのか心配になった。
・最後、テレビ局で元ADとハイタッチするシーンの背後にモブ業界人がいて、メガネにアゴヒゲnotロン毛で新海誠を思い出した。
キー局決算で見えた「TVerによる驚きの配信収入」 50億円規模の事業が3割も4割も伸びている | テレビ | 東洋経済オンライン
[B! TV] キー局決算で見えた「TVerによる驚きの配信収入」
配信収入に関するコラムがホッテントリに入っていたので覗いたところ、Tverの収入に関する疑問、懸念が諸々ブコメに集まっていたので、自分のわかる範囲でテレビ放送に関する収入、また配信に関する収入について解説する。
正直タイトルに挙げた疑問にバシッと答えを出すのは難しいが、そもそもテレビ放送の収入や「スポンサー」について色々誤解している人も多そうなので一助となれば幸いである。
一般的にスポンサーと聞いて思い浮かべるのはどういうものだろう。
好きな球団やゲーミングチーム、有名選手、また好きなアイドルをCMに起用した企業など・・・推し活のイメージだと推しを起用してお金をくれる会社!みたいなイメージが強いかもしれない。ただテレビの場合はその対象が番組となるため、お金がそのまま番組に還元されるという考えで番組への投資や制作費の提供のように捉えているひともいるだろう。そのため、タイトルに挙げたような疑問が出てくるのだと思う。
まずお伝えしたいのはスポンサーが払っているのは制作費ではない。
番組の途中で広告や提供クレジットを表示する広告枠に対する対価である。件のコラムで書かれていた「減少する放送収入」はこれに該当する。厳密にいうとこの放送収入のうち「タイム収入」と呼ばれるものがみなさんが一般的に想像するテレビ番組のスポンサーである。「スポット収入」と呼ばれるものもあり、詳細は割愛するが、実はタイム収入とスポット収入の規模はそこまで差がない。いわゆる「この番組は~」とアナウンスされるスポンサーだけが放送収入を支えているわけではない点だけ覚えてもらえると幸いである。
レギュラ―番組におけるタイム収入のセールスの流れとしては、改編期に編成が番組表(テレビ欄)を作成すると営業が大体この番組であればこれくらい視聴率が取れるだろうと想定し、それを基にどれくらいのひとにCMを見てもらえるかというアピールをしてスポンサーを集める。
手越とベッキーが並んでいた頃のイッテQ全盛期にはスポンサーになりたい企業が列をなしているという記事も出ていたが、イッテQが面白いから出資したいのではなく、イッテQを沢山見る人がいるから高い金を払ってでもCMを流したいのである。
無論、スポンサーの意向が強い番組や、一社提供のような特殊なケースもあるが、一般的にはスポンサーは広告枠に対価を払っているだけで全体の収入から各番組の制作に使える予算を割り振るのも、改編期に番組を存続するか終了するか決めるのも、スポンサーではなくテレビ欄を考える編成と呼ばれる部署である。お金をもらってくる部署とお金を配分する部署が異なるのはよくあることで、そういう意味ではテレビ局も普通の企業といえるだろう。
期待された視聴率を出す必要があるので、スポンサーの多い番組では予算も増え、人気タレントを出したり、お金のかかるロケができる。スポンサーと制作費は確かに関係しているが、直結しているわけではない。
もしそうであればVIVANTのスポンサーは同じ時間帯の番組に比べて相当な金額を払わされていることになってしまうだろう。
まず前提として、ここで触れるのは件の記事で取り上げていた「Tverにおける配信広告収入」のみとする。配信事業という括りでは他にも色々あるのだが説明するのが面倒なうえに、配信事業は各局の開示具合が異なるのであまり具体的な話ができないためである。
ネット広告といえばサイトにしつこく出てくる不快なバナー広告、恥ずかしいぐらい検索履歴が反映されたバナー広告、またYoutubeを再生しようとすると流れる怪しい商品の広告など、日々のネットサーフィンで吸い上げられた年齢性別嗜好から選ばれた広告がアドサーバーから出力される。「Tverではスポンサー以外のCMが沢山流れるからスポンサーが損をする」という疑問がこの記事の始まりだが、このようなネット広告へのイメージから出てきた疑問だろう。
当然Tverでもアドサーバーを介して表示されるCMは多い。ただ全てではない、というのがポイントである。
実はTverの広告は、各局を通してある程度番組を絞り込んで出稿することができる。これは特に秘密の話でもなく、「テレビ局の名前 営業サイト」で調べると、ここまで書いたことは大体書いてあるし、その一角にはデジタル広告のメニューも存在する。フジテレビの営業サイトにもフジテレビドラマのみを対象にしたメニューが紹介されている。企業にとっては単なる属性だけでなく、ターゲットに即した番組でCMを打てるのは大きなメリットとなる。
テレビのタイムCMのように同じ番組を見れば万人が100%同じCMが見るとは限らないが、Tverで同じドラマを属性の異なる人が見た場合でも、同じCMが流れることがあるということだ。
今までテレビ番組の広告枠しか売ってこなかった各局の営業マンが手探りで始めたがゆえに、テレビ営業の風習が残った結果、一般的なネット広告とは異なる形態になったのかもしれない。
またコンテンツの性質上、動画サイトに比べて平均視聴時間や完全再生率も高いこともウリであり、各局がセールスをかけた結果、記事で触れられているような急速な成長を見せているということだ。
コラムにもある通り、放送収入に比べれば配信広告収入はまだまだ対抗できる規模ではないが、再生回数やUU数のような新たな基準が生まれたことで、これまでの視聴率では決して評価されなかった番組が評価されつつあるのは確かである。
ここまで読んだ方であれば、既にこの懸念に対する認識が多少変わっているのではないだろうか。「スポンサー」の定義はもちろん、Tverで流れるCMが必ずしもYoutubeと同じ仕組みで流れているわけではないということも理解いただけたと思う。
ただTver中心にテレビを見ている方はタイムスポンサーの名前を一切見ないこともあるわけで、出稿金額の規模に対して損しているのではという懸念が残るかもしれない。
落陽といえどテレビCMにも強みはあり、集中して出稿するだけで幅広い世代になんとなく名前を覚えてもらうことができるのはその一つである。近年だと川口春奈の顔を見たら思い出してほしいと言わんがばかりのNidecのCM、ベテラン選手だと企業名以外は何も頭に入ってこない日清紡の犬CMがまさしくそれである。先日もカーポートマルゼンのCMでタイヤを転がしている兄ちゃんが実は社長になっていたというツイートがバズっていたが、実店舗が5つしかない専門店が共通の話題となって盛り上がるのはテレビCMならではの現象であり、東京ブギウギのメロディを思い出そうとすると暑苦しいトータス松本の顔とクリアアサヒしか出てこなくて困ってしまうのも同様である。またリアルタイムでの視聴が予想される国際試合などのスポーツ中継で気合の入ったロングCMを流すのも、同時に万人に見せることによって話題に上ることを狙ったものだ。
(おそらくここで「自分は昔からテレビを持っていないから例に挙げられた話がさっぱりわからない」といったコメントが出ることが予想されるが、この記事はタイトルのような懸念を持つ、テレビにある程度関心がある人を前提で書いているので悪しからず)
先ほど挙げたような企業名ゴリ推しCMは電車の車内広告でも見かけることが多い、時代の変化に伴い他のチャネルとの組み合わせの一つとしてテレビに出稿しているスポンサーもいるということだ。
若い世代が一人暮らしを始めるときに意気揚々と「これで一人でチャンネルを独占できるぜ!!」とテレビを購入することがほとんど無くなっていることも、学校や職場で当たり前のようにドラマやバラエティの話題が上ることがなくなっていることも紛れもない事実である。それでもなお、テレビCMには認知拡大に強く、放送収入が未だに大きな規模を保っていることも事実なのである。
タイトルの懸念に対してYESやNOで答えることは難しいが、現時点ではそこまで深刻なものではない、というのが自分が出せる回答となる。これは自分の個人的な視聴体験なのだが、テレ朝系(ABC)の「DAIGOも台所」をTverで見ていたとき、DAIGOがイメージキャラクターを努めるクックパーと番組にキッチンを提供している企業のCMばかりが流れてきた時期があった。やろうと思えばこれくらい振り切った出稿もできる。当たり前だがスポンサー企業もテレビ局もお互い計算しながら広告を買ったり売ったりしているのだ。
この記事を書こうと思ったキッカケは「Tverスポンサー以外のCMが流れるから、最近は広告カットツールを使って見ている。代わりにスポンサーの広告を後で見に行っている」というブコメを見たからだ。
X、インスタ、Tiktok、Youtube、ニコ動・・・あまりにもそこらじゅうに動画があふれているおかげで忘れているが、動画の視聴は無料でも、動画の再生自体には費用が発生している。情シスやエンジニア関連の話題で頻繁に盛り上がるはてな村の皆さんには説明するまでもないが、サーバーなり運用なり作業や費用が発生しているところをプラットフォーム側が整えているから、基本的に利用者が金を払わずに見れているだけである。それはTverも同じであり、扱うCMが増えるほど、コンテンツが増えるほど、サービス維持にお金がかかり、テレビ局はTverから広告収入をもらう一方で、インフラ費用をお支払いしている。電波という圧倒的な存在により、テレビと線を繋げれば、電気代だけで見られる(某公共放送以外)テレビのTverの大きな違いである。レコーダーで録画した番組を再生する際にCMをスキップするのと同じノリでやっているのかもしれないが、性質が全く異なる。
広告カットツールを使って見るということは、Tver上である程度番組を絞って出稿した企業にとっては機会損失となり、広告imp数の実績にもならず、再生回数やUU数に反映されない可能性もあるので番組の評価にもつながらない、コンテンツの再生に関わる費用だけは発生するのでテレビ局も損をする。得するのはCMを飛ばして少しいいことをした気分になっているあなただけである。
「君、つかまるよ」とまでは言えないが、番組とタイムスポンサーへの気遣いのつもりであっても、あなたがしていることは違法視聴であり、損害を与えていますよということだけは、あなたが応援しているテレビ番組のためにもハッキリお伝えしておきたい次第である。