はてなキーワード: あやかとは
何でお前みたいなクソ気持ち悪いだけの知能犯が流行ってんだよ、早く死ねよ。 お前の特徴として弱者には勝てないから警部補が殺されると怯んでAIのスイッチを切ることがあるが
頃合いを見計らってまた再稼働しているし、弱者も弱者で、田舎に家に潜伏しているゴキブリと一緒で、お前の会社にあやかっているから人工知能を潰すまではしない。
安倍暗殺ニュースが流れたときも、ゴキブリが何を考えたかネット上では特に理解できるような表現がないし、YoutubeのTimelineチャットでは、 犯人死刑死刑とゴキブリが大量に
書き込んでいるが、仕事してないが安倍AIがあると生活できるから発狂してどんどん書き込んでいるものと解される。
どうしても理解してほしい場合、一戸建ての前に停車している車が、ゴキブリがホイホイに引っかかったように表現していることもあるが、ここ2,3年の話だと思う。
志村福祉事務所は、行政機関で、一般的には完全無欠な存在と考えられており、公共社会における多くの個人の問題を支持解決する機能を有すると解されているが、ファインレジデンス
戸田公園は単なるマンションであって、社会生活上に、家族または単身者が住んでいると解される物件であり、そこで個人の生活が全うされている可能性はあるとしても、公共社会の中に
二次創作ってWin-Winなんだよね。書いた側は、版権の知名度にあやかって閲覧数伸ばせる。書かれた側は露出が増えて話題性獲得。だから「公式の販路を潰さない限り」黙認、あるいは推奨されてるわけ。ブルアカなんかはまさにこの例の展開。あの覇権っぷりは二次創作なしには説明できないね。
で、生成AIはどうかっていうと。基本的に生成した本人が明言しない限り、学習元は明らかにならない。まず、この時点で学習元にメリットはないよね。生成された画像を見て、学習元の絵師の作品を見に行こう!とはならない。これが大きな違いなわけ。
LoRAとかの特定絵師を明言したモデルもあるけど、そのモデル名から学習元への絵師を見に行こう!となるルートも十分に整備されてない。タダ乗りって言われても仕方ないわけ。だからまぁ、二次創作と一緒にしちゃだめだよ。二次創作は成果をパクってるだけじゃなく、元も成長させる。生成AIはいまのところ、元を成長させない。だからパクってるだけと言われても仕方ないのが現状。
かつて通学路として毎日のように通っていた場所が、アニメのポスターになって、ターミナル駅など色々なところにに貼られてるような事態となった。
パット見はどこにあるのかわからない景色だから、他の人がみればどこだろう?となるところだが、自分からすればピンポイントで特定可能だった。
学校でアニメの話題をしたことはないし、漫画もジャンプ限定に絞って会話していた。
サンデーは異端であり、アフタヌーンやモーニングは、禁忌である。
文化部の隣の部室でルリルリ~とラノベ愛を語っていた中学時代の友人は、疎遠になってしまい、大学に進んだ後に、若くして亡くなったと聞いている。
彼の性格が理由なのか、オタク趣味が理由なのかは、知るすべもない。
ただオタク的な話をしていると、イジメにつながる可能性がある。
その一点において、避けるべき話題としていまでも認識している。
話すことが許されるオタク趣味と、一線を越えたオタク趣味の間には、未だに大きな壁がそびえ立っている。
フリーレンや鬼滅なら良い。子供が見てるアニメだから。ゆるキャンもギリギリセーフ。ただ、このアニメは声には出せない。
誇らしいのだけど、誇れない。
自分が住んでる町は、アニメの舞台になったぐらい良いところ。とは口には出せない。
アニメの完全に外側から人気あやかってありがとうございます。とも言えない。
それでも、この景色を綺麗と思ってもらえるなら、嬉しい限りあり、できるかぎり長く続くよう願っている。
ひゃ〜!あやかりてぇ〜!
蒲鉾は竹に巻いて蒲の穂を模したものだったから「かまぼこ」と呼ばれていたのに、いつの間にか亜流の「板蒲鉾」の方が「蒲鉾」を名乗っていて本来の蒲鉾が区別のために「竹輪蒲鉾」→「竹輪」と変遷してるの、完全に母屋を乗っ取られた感あるよね。もはや何が「蒲の穂」なのか分からん
同じことがいま京都銘菓の呼び名でも起きていて、八ツ橋はもともと琴の形状を模した堅焼き菓子に箏曲の八橋検校にあやかった名前を付けたのが始まりだったのに亜流の「生八ツ橋」に言葉を乗っ取られ、もはや「八ツ橋」でウェブ検索すると9割がた生八ツ橋で、本来の八ツ橋は区別のため「焼き八ツ橋」とか呼ばれる始末。検校さんも蒲の葉の陰で泣いているに違いない
竹輪蒲鉾が「竹輪」になったのをふまえると、焼き八ツ橋は何十年後かには「お焼き」と呼ばれるようになるだろう。すると、今の「お焼き」は区別のために(以下略
新卒で事務で入ったデザイン会社の社是が「ガンダム」だったんだけど、
「お前にはガンダムの才能がない」みたいな感じで怒られる時にばっかり使われたし、
「じゃあガンダムってなんなんですか?」って聞いてみても、
「そんなことも自分で考えられないからお前はガンダムな仕事ができないんだ!」って怒られる。
そんな感じで「ガンダム」って言葉が人格否定の文脈でばっかり使われていたので、
今となってはその言葉を聞く度に、死ねって思うくらいの強度のアレルギーを発症している。
絵描きや作曲家が「ガンダム」って言葉を使う度に死ねって思うし、
マイクラにガンダムモードってモードがあるって知った時、Microsoft潰れろって思った。
世の中は「ガンダム」にあふれてて、その恩恵にあやかってることは認めるが、
少なくとも私の前でその言葉を使わないで欲しい。
犬のうんこ投げつけるぞ。
新卒で事務で入ったデザイン会社の社是が「クリエイティブ」だったんだけど、
「お前にはクリエイティブの才能がない」みたいな感じで怒られる時にばっかり使われたし、
「じゃあクリエイティブってなんなんですか?」って聞いてみても、
「そんなことも自分で考えられないからお前はクリエイティブな仕事ができないんだ!」って怒られる。
そんな感じで「クリエイティブ」って言葉が人格否定の文脈でばっかり使われていたので、
今となってはその言葉を聞く度に、死ねって思うくらいの強度のアレルギーを発症している。
絵描きや作曲家が「クリエイティブ」って言葉を使う度に死ねって思うし、
マイクラにクリエイティブモードってモードがあるって知った時、Microsoft潰れろって思った。
世の中は「クリエイティブ」にあふれてて、その恩恵にあやかってることは認めるが、
少なくとも私の前でその言葉を使わないで欲しい。
犬のうんこ投げつけるぞ。
リーマン倒産の余波の四次被害位を受けて会社の資金繰りが大分苦しかった頃、
かなり細かいところまで経費削減せよって厳命が下ったんだけど、
レンタルサーバー代や独自ドメインの維持費用も削減しろって話になって頭を抱えたなぁ
それもプランを変更とかそう言うのではなくて、電話か突撃訪問で担当と直接交渉して
うちみたいな個人向けプランを使ってる1ユーザーに対応してくれる訳無いでしょ!って返したんだけど
やりもしないうちから何で諦めるんだ!お前には高い給料払ってるんだから結果を出せ!ってキレられて
笑っちゃうよね
年休100日月間100時間以上残業してるのが高いお給料なんだから
結果として阿呆らしくなって辞めたんだけど
年休88日の日給月給制で手取りが18万・昇給なし・ボーナス無しまで下がったので
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。
「中流階級以下には恩恵がないから、株価上昇は無意味」みたいな風潮が出てきて、それが更に先鋭化し、
「中流階級以下に恩恵のない株価上昇は悪」みたいな流れになってきてる。
好景気・不景気も「全ての人間に等しく恩恵がなければ悪い好景気」みないな空気がある。
実際のところ、ちゃんと勉強して能動的に動けば、中流階級でも株価上昇の恩恵にあやかれるし、
好景気と人手不足が重なって、新卒なら本来の能力以上の会社に行けたり、
中途でも好条件で転職できるケースも増えていると聞く。
それでも、どうしても株価や好景気の恩恵にあやかれない弱者が出てくるのは、資本主義ならどうしようもないことなんだけど、
それをもたらしている資産家や、投資家、大企業の経営陣や政治家を倒すべき社会悪とするみたいなのはどう考えても行き過ぎだろう。
ただそれを表立って言うと、「弱者切り捨ての自民政治を脳死で礼賛するネトウヨ」ってレッテルを貼られて黙らされる。
それはそれで弱者保護を是とするリベラルが力を持って、反リベラル的な思想を積極的に取り締まり、愚かな衆愚を啓蒙してくれていると好意的に捉えられないこともない。もともと日本共産党の支持者である私としては保守よりはリベラル的な思想が広まる方が好ましい。
しかし、土地も家族も失った被災者のそれも子供に対して「あなたの身体は被曝し続ける」と言う人や、党内のパワハラに対して異を唱えた女性議員に「統括」を求めるような人達を代弁者と持ち上げるのにも抵抗がある。
株価が暴落したり、景気が悪くなればまっ先に被害を受けるのは弱者なので、高株価と好景気を維持しつつ、いかに弱者に再分配するかの政策議論こそリベラルがすべきなのに、現在の日本のリベラルは、高株価・好景気自体とそれをもたらす企業や資産家すら、打破すべ敵と見なしている節がある。これでは残念ながら、リベラルが日本を破壊しようと目論んでいると言うネトウヨの陰謀論にお墨付きを与えるだけだろう。
ある意味善悪が分かりやすいお金の話でもこの様で、これが双方にそれぞれ言い分がある社会問題(典型的には男女問題等)となると、もはやリベラルが率先して対立と分断を煽るヘイトスピーカーの最先鋒となっている。とても平和を訴える人達とは思えない。
私はこれからも日本共産党に投票し続けるが、自民党の行き過ぎた増長や違反行為を追求し、牽制する存在が必要だと思うからだけで、政権を取って欲しいとは思わない。もはや日本のリベラルは決して政治的主導権を握らせてはいけない反社会的集団にまで落ちぶれた。