はてなキーワード: 邪気眼とは
なんか自分が普通じゃないと思ったのは中学生の頃だった。当時は邪気眼こそないものの、それはまさしく中二病であって間もなく鎮火、大学生になる頃にはいかに世の中を取り入れるかを腐心し始めていた。だから本格的におかしいなあと思い始めたのは20を過ぎたあたりだ。
学生は制限も無くチンタラと生きているだけなので別に困るようなことは無い。が、ぼんやりと問題が見えてき始めた。なんというか、人付き合いとか、価値観とかが合わない感触があるのだ。
人付き合いの点ではある種の相手の臆病さと猜疑心に失望させられてしまうということ。駆け引きと横並びの圧力が当然なんてちっとも良く思えない。価値観ではそんなのどうでもいいんじゃねえのというものを真剣に求め、自分にもその興味を求める。人それぞれでいいじゃん。
こういうと高二病とか大二病とかいわれるかもしれない。お前だって十分打算的だよとか、斜に構えてるだけじゃねえのと。そうかもしれない。所詮子供だったしね。でも今でも良くわからない。
まあ学生はそれでも良かった。別に困らないから自分と合わない人とは付き合わなければいい。おかげで平安だった。
社会に出るとまた違った圧力がある。日常を普通に暮らすためには様々な人たちとよろしくやっていかなければならない。書くほどのことも無く、当然のことだ。
しかし前述の通りなんだか合わない部分もある。当時は自分が幼稚で社会性が乏しいのだと思い、合わせることができるように少し努力してみた。ありていにはテレビでバラエティと野球とサッカーを見て話題を合わせ、イベントごとに飲みに行き、皆が振舞うように溶け込めるようにしてみたのだ。ささやかなことだが、それがオトナだと。
最初は上手く行った。なんだこんなことかと思ったりもした。実際に楽しいし皆と同じようにしている安心感もある。
しかし自分で意識から除外してきた鬱屈にやられた。徒労感みたいなものが蓄積され精神的に壊れたのだ。
すったもんだと揉めて会社を辞めて数ヶ月ぼんやりしていた。そしてやはり自分が子供なのだろうと反省していた。
その後反省を生かしてストレスを溜めないようにしながらも社会性を獲得するように再び努力してきた。また仕事を得て、結婚し、子供をもうけ10年が経ち、そしてまた壊れた。
今は何もする気が無い。
結論は無い。分からないんだ。普通は苦痛だ。でも社会性の無さを肯定できるほど子供でも無い。そう、特別な存在としての「普通でない」なんかでなく、平穏でない意味で自分は「普通でない」のだ。
大した願望があるわけではない。今の自分は普通であるための知識と付き合いに家族とローンと将来の備えと自分の動機以外で埋め尽くされている。そりゃ全部大事だ、だからなんだ。
妻は病院に行けば治るんじゃないかといってくれる。過労による一時的な鬱、確かにそうかもしれない。でも本当にそうなのか?
俺はオカしいんじゃないのか。普通じゃないんじゃないの。普通の暮らしを望むことこそが本当の問題だったんじゃねえの。ふつう、普通は幸せなんだろ?
もしもし、みんな幸せか?
お、お前、もしかして邪気眼持ってないか?
はてなキーワードの症例にあるような「洋楽を聞き始める」、「社会の勉強をある程度して歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す」、「ゴー宣を読んで突然思想家ぶる」っていうのは、発達心理学的にはよくあることなんだろうな。
邪気眼とかはむしろいつまでもゲームやアニメから卒業できないって意味では幼稚で、もともとの中二病とは正反対の症例に見える。
一般的な中二病がギターとかやりはじめて「自分は特別な人間なんだ」ってアイデンティティを深めていくところ、邪気眼はなぜかSFやオカルト的な意味で「自分は特別な人間なんだ」ってアイデンティティを深めていくんだろうな。
ギターやってる奴も「武道館で単独コンサートやってる自分」とか部屋の中で演じたりすると(「今日は来てくれてありがとう、次のナンバーは…」とか言いながら)邪気眼と変わらんけどな。
中二病って概念は知ってるし、2chのスレ紹介してるブログとかで「中二の頃こんな痛々しいことしてた」みたいなのを見て笑ったり、いわゆる邪気眼みたいなのを笑ったりしてるけど、
でもある日ふと思った。
自分って中学生の時、こう言う経験なかったんだよなあと。
邪気眼はまあ大げさにしても、そういういわゆる「イタい事をした経験」ってのが、実はないんだよなと。
でも、笑ってる。さも「あるあるw自分も昔こういうしてたw」的笑いで笑ってる。でも、したことないんだよな。
反抗期も、思えば特に無かった。親に「うるさいんだよ!」とか理不尽に切れるとか、一切無かった。
普通に学校行って、まあちょっとだけ「授業めんどいw」とか言ったりして。した悪いことといえば本当はダメなのに学校にのど飴を持っていったこととか、掃除を適当に切り上げたとか、宿題を一日遅れで出したとか、そんなもんだった。
で、なんでかっていうと、そもそも中学の時点で既に、「イタい」っていう概念が皆に広まってたから(じゃないかと思う)。
ハジける前に、「そーゆーのイタい」って感覚が、何となく既に身についてしまっていたから。
だからなんか恥ずかしいこととかする前に、自然と「マンガキャラクターのまねとかしたら恥ずかしいしな…」的な感じで、自粛というと変だけど、自然と「そういうのはイタいからやめよう」って気になってた。今思うと。
でかといって大人しく完璧な優等生かっていうとまあそういうわけでもなく、ちょびっとハジけるくらいはした。運動会でバカやったりとかそのレベルならしたけど、ある種それも「皆にドン引きされない程度のバカ」を演じてた、というような感じで、皆がガチに引かないことを分かっていてやっていたんだよな。
高二病ではあったかもしれない。「こんなことやってるのってイタいよなw」「ちょっと流石に引くわw」みたいな、クール気取ってるような、どこか「分かった大人ぶってる」ようなところはあった。今思うと、それはそれで痛いのだが、なんにせよ中二病ではなくて高二病的だった。
そんで高校生になったらどうしたかっていうと、中二病については、ちょっと前の学年の事だというのに「まあ、若い頃は皆やるから、ある意味仕方ないんじゃないかな?」「はしかみたいなものでさ。そういう時ってあるよ」みたいに更に「分かった大人ぶってるモード」が変に進化してしまった。バカにするんじゃなくて、「まぁ、あるよあるよ。俺らもあったよ」的上から目線。本当は別になかったのに。この頃になると痛い人を見てもバカにするんじゃなく、「まぁ…彼もいつかはイタさに気付くさ」とか「まあ、ああいう人もいるわな」的な視線になっていった。中学校のときは心の中でバカにしていた。
そんでそう気付いてから、そうやって反抗期も特に無く、他人に対して特別「イタい」行動をとったわけでもない、いわゆる暗黒時代があるわけでもなく、まあそれなりにそつなくやってきて、かといって超モテたとか、超リア充ってわけでもクラスの中心ってわけでもなくて、どっちかというとインドア派で、だけれどもイジめられたとかキモいとか言われたわけでもない……
そんな自分が、急激に恥ずかしくなった。
過去を思い出すと、そんな「そつなくやってきてしまった自分」が恥ずかしくなった。
終始分かった大人ぶってたことが、なぜか今、とてつもなく恥ずかしいと同時に、もう少しくらい、年相応にイタイタしくしていればよかった、とすら思う。そして今になってそれを後悔するのだ。「あぁ、なんで自分はあんなイタいことを。邪気眼なんて恥ずかしいぃいいい」とか思いたかった。なんていうか、変な話、「それをして自分は成長するはずだったんじゃないのか」という、「手落ち感」があるのだ。思春期に受けるべきだった洗礼を、自分は変に知恵をつけ、ネットを見て、回避してここまできてしまった。思春期に、その年相応にハジけることをせず、既に20代の如き落ち着きを(振りだが)見せ、「まぁ…こんなものだろ」とある種の諦めを早々に得て、…………単純に言えば、自分は思春期にして「老けてしまった」。そんなような恥ずかしさ、手落ち感がある。「老ける」なんてのは、それ相応の人生経験があるからこそできるのであって、自分みたいな若造がしていいものじゃなかったんだと気付いた。思春期に外面だけ「これをしたらイタい」「あれをしたらイタい」という情報だけ汲み取って、それを回避し、分かっている大人ぶって……
それは、逃げてただけじゃないのか。
正面から何かにぶつかることを。
そして思春期ってのは本当は、イタくても構わないから、後でイタかったことに気付いてもいいから、未熟でもいいから、とにかく何かに、真正面からぶつかってみる時期だったんじゃないのか。
例えば劣等感。例えば自尊心。例えば自己愛。などなど、そういったもろもろの、ある意味いくつになっても存在する人間の「イタイタしいポイント」に、いっぺんぶつかってみるべきだったんじゃないのか。
自分はそれから逃げた。無理矢理にそれらのイタイタしい精神部分にふたをしたり、「まあ、そういうもんだよ」と言う呪文をかけたり「自分には才能ないって知ってるし」というポーズを決めて、それらを封じ込めてきた。眼を背けてきた。一度も、真正面からそういう心に向き合ってこなかった。とことんまで追求することもなかった。
確かにそつなく人生送ることはできた。でもそれでいいのか?で、それで、そつなく人生送って、自分はどうするんだよ、どうしたいんだよ。そういった疑問が今頃になってふつふつと浮かび上がってきた。本来はこうしたものは思春期に終えていないといけないのかもしれない。いまさら浮かび上がる。いまさら自分は「イタく」なる。
こういう「熱さ」みたいなのを、恥ずかしいと思っていた。「それで自分はどうしたいんだよ!?」そうやって自分に叫んだり、無我夢中であがいてみたり、自分の可能性を信じてみたり、それに向かって頑張ってみたり、そういう「熱さ」は、自分の世代じゃちょうど「寒い」ことになってて、マジに「自分のやりたいことで悩む」とかはなんとなく恥ずかしい感じがしていた。「自分探し」とか言い出す前に、そもそも「自分探しなんていう若者が最近多いけど、本当の自分なんてのは海外に落ちてるもんじゃねえよ」的な言葉を既に知ってしまっていて、それを見て、「そうだよな。自分探しなんてなあ(笑)」的にまた、深く考えることなく「分かってるポーズ」を自分は決めていた。何でもかんでも、「イタイタしいワード」が出てくるより先に、「そのイタイタしい行動についてのオトナの一般論」みたいなのを見てしまっている。その「イタイタしいワード」について自分で深く考える事も無く、「そうだよな(笑)」と「分かってる」振りをし続けてきた。
それが今になって、混乱している。それでいいのか。それでよかったのか。いや、過去をぐちぐちいっていてもしかたがない。でどうすればいいのか。自分はどうしたいのか?どう人生を生きたい?
そんなこと、今更考える事じゃないだろうといわれるかもしれない。
自分は、今更思春期が来たのかもしれない。
それでも、「分かっていた振り」を決めていた頃より、こうして真剣にぶつかる方が、なんというか、楽しい気がするのだ。
いや勿論、自分の嫌な所にぶつかるのだから、苦しさもある。けれど今まではただ封をして諦めていたところに、「希望を持ってもいいのかもしれない」というような希望が現れつつある。「イタいから、イタいからって今まで封印してたけど、いいのかもしれない」そんな希望みたいなものが生まれつつある。「枯れてる自分」を演出するのはもうやめる。イタくても寒くても熱いほうがいい。「枯れてる自分」を装っていると、確かにあまり傷つかないけれど、それは、最初から自分が水底に沈んでいるからってだけの話なんだ。傷つくのを恐れるのはもう……やめよう。
中二病設定というと邪気眼系を指すことが多いと思う(超主観)のだが、個人的にはクール系無気力系主人公をそこに加えたい。所謂セカイ系の主人公に多いタイプ。というかセカイ系が流行って以降、ライトノベル界を席巻しているタイプ。
世の中自分以外バカばっか、生きる理由なんてないけど死ぬのも面倒なので生きてる、みたいな。平凡な大人を軽蔑していて、周囲の人間を全員見下している(ここにいずれ自分も平凡な大人になるだろうという絶望が加わってたり加わってなかったり)タイプ。文化祭に盛り上がっているクラスメイトをちょっと離れたところから嘲笑してるタイプというか。大人な自分かっこいい。厭世的な自分かっこいい、みたいな主人公。
自分が年をとったせいか、最近無性にこのタイプの主人公がむかついて仕方がない。と同時に、過去に自分が行った行動を思い出して恥ずかしいというよりももっといたたまれなくてドス黒い思いを覚えてしまう。
大体において、「こんなやつ実際いたら確実にいじめるわ」というタイプでも何故かモテモテで、これまた脱力してしまう。そしてモテモテでも絶対に「そんなのどうでもいいよ」「人との係わり合いなんか面倒臭い」みたいな舐め腐った態度なのだ。マジテンプレ。少女小説ではあまり見ないがライトノベルでは腐るほど見た気がする。
知り合いに「ライトノベルなんだけど面白いから読んで」などと言われて借りた本の主人公がこのタイプだと、一気にその人の本の趣味に対する信頼度が地に落ちてしまう。「興味ないんだけどモテモテで困っちゃう」みたいな主人公とかお前人を舐めるにもほどがあるだろう。感想に困るんだよ。つーかこういう男の妄想大爆発><みたいな本読んでも面白くねーんだよ。お前だって「私モテモテで困っちゃう」みたいな乙女の夢大爆発><な本貸されても困るだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20071127121532を読んでも思ったことだけど、ハーレムものの時に男はひたすらに周囲の女の知能を下げる傾向(白痴レベルまで)があるが、女は上げる傾向がある(それがきちんと描写されているかはともかく)んじゃなかろーか。
何が言いたいかっていうと、大人を舐めくさった無気力主人公がモテテモテテ困っちゃう話はもう勘弁してくださいってことなんだ。全然タイトルと違うけどそういうことなんだ。文章おかしいけどな。
二人とも魔剣邪気眼に魅入られていたわけだね
そうか、やはりな……
俺は誰かと対話してたわけじゃなかったんだ……
俺はお前であり、お前は俺だったんだな……
俺が邪気眼で作り出した幻がお前だったんだ……
つまり俺は最初から一人だった……
俺はお前で……お前は俺だったんだ……
俺が一人で、全部喋ってたんだ……
それ以上言うな! クッ、邪気眼の力が目覚め始めやがった……
うん。おれは「音がないとダメ」派かも。
正確に言うと「大きな音があると無条件で喜んじゃう」派。花火とかも大好き。
なので
には大賛成!
電車の走行音より、コンビニ有線より遥かに小さいのに、なんで注意とかすんの? 音が漏れたことであなたの人生に何か迷惑が? 逆に聞いてるほうは自分の好きなことを中断させられて、そのうえ見知らぬ人にいきなり悪意をぶつけられて、結構へこむんですけど。なぁ、それってただ「良識に従って注意してるおれかっこいー&日常のスリル!」ってだけ違うんかと。
みたいな。
あとアレ。
自転車の人もリストの人もさ、それって「アレルギー」なの? 「アレルギー的に嫌」なの?
不可避な神経的メカニズムにもとづく病理なのか、文化的な、要するに「気分」なのかっていう。特に後者とかは
「おれって先祖が蛇神族だったみたいだからさー、煙草キライなんだよねー」
とか言ってる中学生と変わりないように思いますが。邪気眼邪気眼(くわばらくわばら、のアクセントで)。
あ、MINMIのシャナナは良かったよね。使いやすい、とゆーか爆発力があった。夏場にお世話になりました。
邦楽でソカが売れたのって、初じゃね?
食卓でゲームがダメなのではなく、汚い手でDS触るという行為がダメ
鋭い!!!!
邪気眼みたいに架空の概念を造語を交えてまるで現実と対応してるかのような創作文が書いてあるから夢と現実をさも当たり前のように混同して記述しないでくださいと指摘してるんでしょう。
原丈人の文章が邪気眼である、というのはあくまであなたや元増田から見たらそう見えるということでしかありません。つまり原丈人から見れば元増田の文章こそ邪気眼的に見える可能性もあります。
第三者である僕はどちらが邪気眼的な言葉遣いなのかは判断できていません。僕はこういった専門用語の知識が乏しいので。繰り返しになりますが、元増田の文章では彼の言葉と意味が理系村で共有されている、ということすら示されていません。つまり彼の言葉の定義が彼独自のものなのか、あるいはどこかに根拠があるものなのかすら文章自体からはわからないのです。
あなたは原丈人の文章が邪気眼的で元増田の文章を正しいと判断したようです。あなたと元増田のもつ言葉と意味が一致しているのはわかりますが、それが正しいことの根拠は何ですか?あるいは「正しい言葉」でなく単に「理系村の言葉」なのではないですか?
嵐のあらわる!
「独りぼっちの高和」は救急救命士。
あるとき、友人でバカのマッドオナニストにこの貯金箱を能登ひかりに渡してきてくれと頼まれて、いやいや体育館の裏に行くと、そこで、果てしない雰囲気を醸し出しているひかりと出会ったんだ。
ひかりはいわゆる現業系少女で、「長門は俺の嫁」が口癖の彼女はよく目を血走らせて突撃することが好きだという。
ぼくは本当の目的を思い出し、マッドオナニストから頼まれた貯金箱を渡すと、ひかりは邪気眼を持ちし戦士に変身し、
「ご主人様を探し出す??」
と叫ぶやいなや、無理矢理ぼくをつれてエデンへと連れて行くのであった。
ご主人様を探し出すとはどういう事……?
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