はてなキーワード: 燃え尽き症候群とは
超伸びてるねwww
俺は今27歳で今まで付き合った人数は5人、
今まで生きてきた中で
今の嫁と、それもわりと最近に一回あっただけだよ。
超個人的な感想なので正解は俺らだけのものなんだろうけどその時わかった。
相手をただ喜ばせるだけのセックスはできる。
でも、お互いにもう死んでもいいと思えるほどのセックスは、
やっぱりお互いのことを深く知っていて
なおかつ自分が喜び、相手をそれ以上に喜ばせようと
二人ともが心の底からそういう思いでないとできないのではないかと。
それ以上は出てこない気がして気持ちの距離は遠ざかりつつある。
世の中知らない方がいい事もあるということで。
先月の連休で立ち止まったのが悪かったのか、完全に燃え尽き症候群。
仕事、超停滞中。
ヤルキダケカラマワリ。
もともと、誘われてほいほい仕事にしちゃっただけで、すげーやりたい夢だったとかじゃないからなぁ。
俺の夢は、コレを作る方じゃなくて売る方だったからな。
本が好きだったんだ。
一日中、本に囲まれて過ごしたかった。
だから、暇な本屋の店員になって、一日中本を読みまくろうと思ってた。
そもそも書く方なんて向いてないんだよ。
国語の成績はすげー悪かった。
クラムボンが何かなんてしらんわ!
賢治はそんな議論してもらうために詩を書いた訳じゃないだろう。
国語なんて大嫌いだ。
そして、るんるんるるんぶって何だ?
いまだにわからん。
新高卒、18歳です。
高3時代は、夏・秋と家族や家の宗教のことや自分の性傾向、失恋などで精神的に崩れてしまい学校の宿題を行き帰りの地下鉄・バスのなかでやるのみでした。(家には自分の部屋があるのですが、リビングのすぐ隣でテレビの音が親が寝る0時ごろまで聞こえ、親の声が大きいので親の声も聞こえて部屋で勉強するのはとても難しいことでした。学校から家が遠く早く起きなくてはならないので夜中勉強することも出来ませんでした。)
それでも、スクールカウンセラーに何度か通い、12月頃からは徐々に勉強できるようになり、センター試験までは順調に勉強できました。(部屋も比較的静かになったので。)
センター試験はほぼ8割という感じの点数でした。
しかしその後、燃え尽き症候群みたいなのかは分かりませんが、勉強に手がつかなくなってしまい、親も親でテレビをつけたりするようになってしまい、私立と国立の3日前くらいから焦って勉強するのみでした。(それぐらいになると親も静かになってくるので。)
それで、結果は、私立の慶應経済学部A方式は1点差で落ちてしまい、国立の京都大学経済学部も落ちてしまいました。
そして、私立の補欠を持っている間に、両親は自分がいる前でローンとか奨学金の話をしたりして、また母親は本当に私立に行きたいのなどと聞いたりして、全くいい思いはしませんでした。
また、宗教などにかぶれて元々ワルだったのが更生した両親に、大学に行くことによってさらに頼ることになってしまうことが、その時期になってひしひしと身に染みてしまい、自分は親から離れてできるだけ自分で生きていきたいと思い大学受験を決めたのに、その事によって更に親との結びつきが厚くなってしまうのに耐えられなくなりました。
ぼくがレベルの高い大学に行って、人生勉強も含めてたくさんのことを学びたいということもあり、レベルの低い私立大学に行って、スカラシップを認めてもらったり、働きながら夜間部に行くことが自分の中で認められなくて、自分はもう将来に希望を持つことができません。
もしもう一年目指す場合、高校入学時から思っていた東京大学を目指すために予備校に入り、自習室で主に勉強したいと思うのですが、それも結局は親に多くを頼らなくてはいけなく、とてもストレスを感じることは必至です。
普通は部屋が静かな場合が多いのですが、自分の所は違うために自宅浪人という選択肢もなくて絶望的です。
だから、夏~秋のときに考えたように、もう将来に希望が持てないなら、自分も親のように世間的に認められないことをしてしまおうかなんて思っています。
ここは自分にとって最後のよりどころです。
ぼくはこれからどうすればよいのですか。
そらひどい目にあったなー。毅然と対応できたあんたはえらい。
トラブル起きると、ホント疲れるよな。俺も今日いやな目にあった。鬱悪化気味だわ。そんなわけで今日は増田にいる。
たまに、いや、結構最近頻繁に、思う。仕事で、自分のことをゆっくり見つめる暇もなく追い立てられ、経済に取り残されないように必死で経済記事を読み、日経を読み、保険にも入って、もちろん仕事についてきために仕事の知識も調べ、そうやってサバイバルのために知識を磨いて、誰にも負けないように、なめられないように、人並みの人生を送るために、っていつも必死にしているんだけど、私って、一体なんのために頑張っているんだろうって。
数年前の俺にちょっとカブる。てか、今のこの時期、数年前の俺より大変な環境だよな。俺はそれで、うつになって、「もういいか」って実家に帰って転職して、今じゃ無職になってるけど、貯めたお金(と親)があるおかげで今はゆっくり休んでる。十何年かぶりに昔の夢を追いかけてみて、ダメだったら何かの資格取って、最底辺あたりでも生きていくつもりだ。大学全入時代だし、子供への教育は塾に通わせなくても家で教えればいいし。核家族ではなくて三世代同居なら子育ても楽になるし光熱費も安上がりになるし。LOHASって生きかたもあるわけで。
ところでさ、日経ってひどい媒体でさ、まあ俺は日経新聞じゃなくて日経ビジネスをよく読んでたんだけど、連中、新しい経営とかを紹介した数年後にはそれを否定する記事を書くのな。最低なマッチポンプ週刊誌だよ。連中に振り回されてる企業経営者とか日本経済って、気の毒というほかない。MBAって覚えてる?300万台クラブとか、今じゃ話題のわにもならないっしょ。
もちろん、それ読む事で一社員でありながら、経営者が何考えてもの言ってんのかが分かるってご利益はある。でもそれだけといってもいい。ちなみに健康保険は共済が良いと俺は思うぞ。
もうそんな修羅で生きてく元気がこの先続くのか、来世は人間なんかに生まれ変わらずに岩とか星雲とか、生々しくない無機物に生まれ変わりたいよ。
まったくだ。生まれ変わり? No Thank youだよな。てか星雲になるっていいな。
ところで、眠れないとか早朝覚醒とか夜中に何度も目が覚めるとか、うつ状態が2週間以上続いてるとかだと、一応、燃え尽き症候群とかうつ病とか疑ってみてもいいんじゃないかと思うぞ。まあ、そんな事承知してるだろうし、なんでもかんでもメンタル系の病気扱いするはてな界隈の雰囲気も俺はどうかと思いつつ、こんな事書いて申し訳ないんだけど、一応、心配しちゃったので念のため。
これは、多分単なる「疲れ」から来る疑問でないと思う。自分の人生に根ざした、根本的な、なにか。これがいったいどこから来るのか見極めたいのだけれども、そいつの影も形も、全然見えたためしがないんで、どこからはじめたものか。ミクロ的に見れば悪いのは自分?マクロ的に見れば社会?その自分と社会をつくった国家と世界?
本当に、どこから、こんな思いがやってくるんだろう?
ビョーキの話は置いといて、取っ掛かりがほしいんなら、とりあえず整理してみようぜ。自分の性格と、価値観、社会の価値観を並べて書いて、衝突してないかチェックするんだ。
社会の価値観に自分を合わせようとして、疲れているんじゃないかとか。んじゃ自分にとって一番大事なのって、なんだろうとか。国家とか世界はちょっと大きすぎるから、それはとりあえず保留して。
で、いきなり社会といってもあまりにも多様すぎて大変なんで、自分の会社の方針(建前)と、実際に行っている事(本音)がどうなってるのか整理してみたり。
自分の理想の姿が、世の中の雰囲気の中で作られたものなのか、自分の根源的な欲求に基づくものなのか見極めてみる。自分はどうしたいのかとか。
俺の場合、高校のとき周りの目を気にしすぎて、「そういや、自分ってどんなやつだっけ」って見失っちまった時期があって、1年くらい悩んで、最終的に自分の感情を頼りに再構築した事がある。何が面白いのか、何が嫌なのか。他人がどう反応し様と、俺は面白いと思った事は面白いんだと。他の人がつまらんだじゃれだと白けて見せても、俺は自分が面白ければ笑っちまえと。
そんなわけで、何もかもが分からなくなったら、自分の感覚を頼りにするって手もあるよ。
あとは、ビジネス書はちょっと置いといて、歴史モノとか読んだりして、昔の人の考え方と、今の人の考え方の違いとかを眺めてみると面白いかもよ。
私みたいなヘタレは多分今の競争社会じゃ生きるな、つーことなんだろうか。しんどいのがデフォルトで、少しでも弱気な者から死んでいくのがこの陰惨な社会なんだろうか。
どーだろうね。未来の社会じゃ、逆転するかもよ。最近は強気のヤツでもどんどん死んじまう世の中だし。いずれゆり戻しが来るって。
で、そのしんどいの経験してるってことはさ、あとから来るヘタレが同じように悩んだとき、一般論に頼らず、自分の言葉で相手が必要とする言葉を選べる能力を獲得してるってことなんだぜ?泣いても笑っても、食って寝りゃ生きるんだから、泣きながら生きていこうや。ずるずると生きていこうや。
それに、選挙権持ってるオトナである以上、今の陰惨な社会をなんとか変えなきゃいけないと思ってるし、それは俺の目標でもある。諦めるのは、先送りにしようぜ。無理しない程度に。
てか、休もうぜ。疲れたら休むのが生き物ってもんだろ。逃げる体力は、残しとくもんだ。
キーワードより
いろいろあるなー
おはこんばんちわ。上記のエントリを書いた17で子持ちになった増田です。思いのほかはてブ等で反響があったので、誰も気にもしていないのに17歳で子を持つに至るまでの4半生についても勝手に自分語りを始めます。前エントリで最初で最後といったくせにね。17歳以後と比べるとたいして特殊でもないDQNのつまらない話です。
親が転勤族だったこともあり小学校では転校を三回経験。その経験のせいで「人間関係をあまり重要視しない」という性格を形成するようになったんじゃないかと思いこんでいたりする。そのため自分の子供には転校をできるだけ経験させないであげたいなと思っているんだが、、、まぁ考えすぎなのかな。
やはりこれだけ転校すると今だに連絡を取るような小学校時代の友人は一人もいなかったりする。でも当時は転校に対してネガティブなイメージはなくて前の小学校で失敗した小さなことを次の小学校ではこう直そうとか考えたりしていた(大学デビューみたいなもんか)。やっぱり「人間関係をあまり重要視しない」ってのは天性のものだったのかもね。
学校の成績とかは苦労はまったくしなかったが、単に塾に通っていたからだと思う。「勉強しなくても特に苦労することはなかったなぁ」とかいっている天才とは多分頭の作りが根本から違うんだろう。
中学は都内の私立男子校に入学することになった。いわゆる御三家に落ちた人たちが集まる滑り止め校で、自分もそのパターン。
入ってから半年ぐらいは成績も中の上ぐらいなもんだったけど(試験の全順位発表する学校でした)、次第に成績は落ちていって1年の終わりぐらいには最下位グループに固定化されてたと思う。
そういえばそのころ初めて「いじめ」みたいなのも経験した。こういう進学校もどきの特徴なのかは分からないが基本的にターゲットは成績の悪いやつなんだよね。成績がそれなりだったころは仲も良かったクラスメイトが急に自分を攻撃してくるようになったのだ。といってもうしろから消しゴムを投げてくるとか漫画を持ってきているのを先生にチクられるという些細なもんだけど。
もうひとつそのクラスの特徴と言えるのかもしれないけど、自分以外の例を見ても基本的には「攻撃する奴」「攻撃される奴」の1対1というのが多かった。いわゆる同調圧力なんかはなかったように思う。だから集団シカトとかそういった類のものは発生していなかった。他の人間はそれを積極的に止めたりもせず「あーあいつらまたやってらー」ぐらいの感じで眺めていたように思う。
そして2年生になり、ますます成績は落ちていくんだけどまったく勉強はせず学校帰りにゲーセンに寄ったりしてそれが見つかって反省文みたいなことを繰り返していた。そういえばそのころ流行っていたNBAのトレーディングカードを持っていっただけで反省文だったなぁ。
「お前は腐ったミカンだよ」
担任にそう言われたのはそんな反省文を何度目かに命じられた時だったと思う。正直その時はそれが金八で使われていたというのも知らなかったけど。金八先生のファンなんだろうかあの先生は。
そんなこんなでいろいろとやさぐれて中間試験や期末試験をさぼったりするまでになって2年の終わりに留年勧告。いや、本当のところはよくわからないけど。親が呼び出されて話をしたので。そしてそれを親が断わり自主退学。
別に自分は中学留年でもいいんじゃないかなぁとも思っていたけど、まぁどっちでもいいかと思って了承。
親の都合もあり東北地方に引っ越して3年は普通の公立中学に転入。でも3年の授業は前の学校で終わらせちゃっていて、つまらなくてほとんど寝てばっかだったとおもう。試験も相変わらずさぼったり白紙提出したり。でも公立はそれでも卒業させてくれるんだから楽なもんだよね。
試験が白紙ばかりだったんで内申点で落ちるよと担任に脅されながらも一応その地域の進学校を単願で受検。落ちたら東京にいって働くかなんてことを考えていたりした。ところが進学校のくせに倍率0.99倍とかになったせいか合格。
これを機会にやり直してみるかーと思ったのは最初だけで、燃え尽き症候群的な態度は変わらず授業は寝てばっかで試験は白紙提出を繰り返していた。(そういえば燃え尽き症候群ってのは中三のときの担任にいわれたんだったっけか)
一方そのころとあるネット上のコミュニティサイトにはまっていて。誰でも知ってるようなサイトですが。で、そこの東京でのオフに足を運ぶことになる。そうすると高校落ちていたら東京に戻るはずだったという思いが再燃してくるんですよね。2年弱東北にいたせいで東京コンプレックスみたいなのを持ち出していたんだと思う。その時に会った人にそんな自分の思いを伝えていたらじゃあ東京に出てきて単位制の学校に通ったらと勧められることに。まぁ学校に行くってのは親へのポーズであってとにかく東京にでたいんだという気持ちだったんだと思う。今思い返しみてもその時のその情熱はちょっとよく分からない。
なんとか親を説得して高校を自主退学。その単位制の学校を受験するんだけど落ちました。やっぱ都立って内申点重視するのね。で、急きょ同じ学校の通信制と他の私立の夜間定時制の学校も受験して一応合格。学校あまりいきたくないという思いもあったので通信制に入学。土曜日だけスクーリングがあったんですが、校内に生徒用の喫煙所がある変な学校でした。
で、入学して2か月ぐらい働き先を探したりもせずに彼女の家に転がりこんだりしていたら、妊娠発覚。前エントリに続くという感じです。
(学年的には2年生)とか書いていた理由も分かりましたかね。小学校4つ、中学校2つ、高校2ついったというのはちょっとした自慢だったりもします。
ときかれて
「花のお江戸に御旗を立てるんです。学校にいきながら働くつもりなんです。」
といったら
「ププッ。何かスキルでもあるの?」
「いえ…。でもプログラムをこれから勉強しようと思っています!」
「あのねぇ、そんなに簡単に世の中はいかないんだよ。まずは学校でしっかり勉強しなさい」
みたいなことをいわれた。その1年半後には400万弱の年収で子供が離乳食を食べ始めていたわけなんだが。
あれから8年、まだ御旗は立っていないけど。
情報工学系の大学 4 年で出てプログラマとして就職、今 27 歳。それなりに忙しく楽しくやってきた。ここ 1 年は火消しに駆り出されて 2 ヶ月前ようやく収束させることができた。今は落ち着いて仕事は無いに等しく、久しぶりに毎日定時に帰る生活になった。落ち着いた時間が取れるようになるな、と思いきやものすごく体の調子が悪くなった。
夜に眠れないのだ。眠りについても数時間で起きてしまい、翌日の午前中はほとんど起きていられない。ただ、前述のように仕事は大した量じゃないので問題にはならなかった。
それと、まだ日が明るい内に家に帰っても何もしない日が多くなった。火消しに躍起になってたころは、家帰った後も、より良い設計/実装は無いかとか、色んな文献やネットを調べたり、実験にコード書いたりしてたのに、何もやる気が起きない。ヒマになったら読みたいと思っていた本が、試したいと思ったコードが、たくさんあるのに。
これはマズい、と思い心療内科を受診。「意欲喪失、睡眠障害……典型的な心身症ですね、あなたみたいなケースではよくあることですよ。睡眠導入剤でしっかり眠り、キツいときは仕事は休んでのんびりするようにすればいいですよ」
結果として良い方向に傾いた。軽めの睡眠導入剤を処方してもらい、薬でよく眠ることで気持ちは楽になった。まとまった睡眠時間をとることの重要さが本当に身にしみたし、今日も有給取って休んでる。
正直なところ、何もやることがなくなることがうつ病に繋がるとは思わなかった。燃え尽き症候群というか、そんな感じなんだろうな……大した学歴があるわけでもあるまいに、お笑い種だ。まさかこの俺が、って感じ。
マジメなヤツほどうつ病になりやすい、って言うけどホントだよ。俺がぜんぶ直すかラッパー作るかするハメになったバグでまくりのコードを書いた張本人は他プロジェクトに追放されてノホホンと出社してるの見るとホントそう思う。あれだけムチャクチャなコードコミットしまくってるくせに、なんとも思わないのだろうか。思わないんだろうなぁ……