はてなキーワード: 東京人とは
回答どうもありがとうございます。まず、都市圏についてのコメントはこちらの誤読と思います。鬱陶しい指摘をしてしまったようです。申し訳ありません。頭に血が昇っていたようで、当方の非礼を深くお詫び致します。しかし、揚げ足取りに終始するつもりはありませんでしたので、こちらも発言の意図について若干解説します。
物凄く荒っぽく言うと、何か可哀想なもんを見るような目で埼玉県を見られたようで気分が悪いのです。
自分は埼玉県民ですが、「埼玉県民が東京都民に馬鹿にされている」と主張されても、「○○ちゃんは○○君に苛められている!」と親に騒ぎ出された小学生のような気分にしかなりません。仮に埼玉県が本当に馬鹿にされていたとしても、そのことをわざわざ他人の口から聞かされるのは楽しいもんではありませんし、そもそも東京人がわざわざ埼玉県民を馬鹿にしている、という意識も実感もありませんので、そうした差別を前提として話を進められるのは「大阪人から見た埼玉県民の抑圧されたイメージ」の押し付けに感じられてげんなりするわけです。ましてそれを材料に東京人批判をするのは「可哀想な埼玉県民」のイメージを都合良く切り取って使われているようでなお一層気分が悪い。埼玉県民はどちらかというと自虐的な傾向が強いと思いますが、だからと言って「東京もんに差別されてる!」みたいな意識だと思われるのも不快です。
正直、埼玉県民が被差別階級っぽく認識されてる理由が逆に気になるのですが。東京人に偽装する埼玉県民の存在というのも想像が付きません。それは実在が確認された種族なのでしょうか。埼玉県民は東京都に通勤する人間が多いので、自虐的な意味合いから、埼玉都民と呼称する例は聞くのですが。
どこでもいいのなら、埼玉が選ばれたっていいでしょう。人の言動に悪い意図があると決めつけられるのは失礼極まる下司の勘繰りです。
自分はどこでも良いとは述べておりません。「どこにでもそのような卑屈な人は居る」と言いましたが。どうして地域による限定のない『我々は、自ら「東京人」と呼ばれたがる卑屈な人間ではない』ではなく、何で埼玉ってピンポイントに限定したの?という話をしたのです。「むしゃくしゃしてやった。どこでも良かった。とりあえず埼玉」という選ばれ方はある意味埼玉らしいと思わなくは無いですが、県民としては落としどころの無い怒りに囚われます。むしろ悪い意図がない方が深刻ですよ。
あなたみたいに私を意地でも避難したい方々は補足記事の方ではなく最初の記事にばかり文句を付けるのは本当に勘弁していただきたいです。本来の意図は補足記事を読め、って何度書かすんですか。
誤読した部分に関しては自分に責任がありますので、仰るとおりです。ただ、上述した「何か可哀想なもんを見るような目で埼玉県を見られた」不快感は補足記事で解消されるものではありませんでした。意図に置いて悪意がないとのことですので、この辺の心理も理解して頂きたいです。
はてなってのはこれだから困るんですよね。冷静に読まれていたものが、ある段階から斜めからしか読まれなくなって、何を書いても悪いようにしか取ってもらえなくなる。
で、これもそのたぐいだと思うからいちいち反論したくないんですがね。いい加減に腹に据えかねてきたから言わせていただきましょう。
どこでもいいのなら、埼玉が選ばれたっていいでしょう。人の言動に悪い意図があると決めつけられるのは失礼極まる下司の勘繰りです。
当事者でないあなたに「東京人が埼玉県民をダサイタマと馬鹿にしている」というステレオタイプをあたかもそれが事実であるかのごとく記述されると、二重に馬鹿にされた気分になります。
あなたが東京人ならともかく、埼玉人であるなら馬鹿にされたと感じる理由がわかりません。
「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」ではなく「俺は百円ショップでまで値切るがめつい関西人ではない」だったと仮定すれば、受け取られるニュアンスの違いが分かっていただけるでしょうか。
ニュアンスは何も変わらないと思いますが。
いずれにしても、「誤解の余地を与える書き方ではあった」ことは認めるけれど、悪いようにも解釈できるからといって悪い意図で言ったと決めつけられるのは心外です。まともな解釈が可能ならまともに解釈していただきたい。
これははっきりと言いがかりとしか言いようがありませんね。これは都道府県名ではなく都市名です。さいたま市を「埼玉」とうっかり変換してしまったのは誤解のもとだったかもしれないけど、私は「京都・大阪・神戸・奈良」とも書いている。あなたはまさか、私が兵庫県を馬鹿にしているとでもおっしゃりたいのですか。私が兵庫県人なんですけどね。そして神戸市民でもない。
穿った見方です。文化圏としての「規模」が大きいものを順に挙げただけ。「十大ニュース」というものを挙げた場合、ニュースは10個しかなかったとでも?
あなたが最初から揚げ足をとりにかかってるからです。どんな文章でも曲解は可能であって、あなた方は「こいつは傲慢な関西人だ」と決めてかかっているからそういう細かい表現にまでいちゃもんを付けるのです。だいたい、私はあの記事をホットエントリ入りを狙って推敲を重ねて書いたわけでもなく、その場の勢いで酒飲みながら書き流してアップロードして読み返しもせずだったのだから、細部まで意が尽くされていないのは私も実感しているとおりで、だからこそ補足記事を書いたのに、あなたみたいに私を意地でも避難したい方々は補足記事の方ではなく最初の記事にばかり文句を付けるのは本当に勘弁していただきたいです。本来の意図は補足記事を読め、って何度書かすんですか。
あと、こちらの方に。
http://anond.hatelabo.jp/20080703085749
まず、挙げてくださった記事を見ましたが、私はその立場に同意しません。「産む機械」の例でもわかるように、邪推というのはいくらでも可能なのであって、「誤解されるのは書き手が悪い」というのは読み手の側の責任放棄だと思ってます。ましてや私は補足まで書いたのだから、責任は十分に果たしていると思う。
たぶん増田が空気読み違えたんだよ。だったら素直に認めたら?関東圏のことをよく知らないのに軽率でした、って。イメージトークしてました、って。
関東の中の細かい地域性についてほとんど触れていないのに軽率も何もあったもんじゃないでしょう。自分が「東京出身です」という埼玉人は少数ながらいますよ。少なくとも大阪人のうちのヤクザの比率ぐらいはいるんじゃないですかね。どっちにしても、ブックマークとかで見てる限り当初の反応は好意的なものが多かったわけだし、最後のほう批判的な論調が増えたのは「こいつは馬鹿なことを言っているに決まっている」とか「ホットエントリだから周到に推敲されたもののはずだ」という誤解の産物の集積物だと思ってます。というか、書いた記事がホットエントリになってしまうときってだいたいそういうことになるし、他の人の記事を見ててもだいたいそうなるから(トリアージ騒動とかその典型でしょ)、これはそういうもんだと思ってますが。
その点で「空気読み間違えた」とは思ってない。空気の側が変わっただけです。だいたい、私は「空気」に文句付けようと思って書いてるんだから。
そりゃまあ、元記事を「典型的な傲慢な関西人がクダ巻いてる」と思って読めば、突っ込みどころはいくらでもあるでしょうよ。正直、そんなことまで責任は持てません。法律家が仕事で書いてるんじゃないんだから、色眼鏡で見られても誤解されない文章を書く義務も意志もありません。
いいぞ、もっとやれ!
でもとりあえずこれ読んだらどうだろ
http://anond.hatelabo.jp/20080627165405
実際に「ダサイタマ」って言う人はあんま見たことないんだけどな。せいぜい自虐ネタにするくらいでしょう。そもそも「東京人」というのも相当に違和感がある言葉だよ?ベタな漫画に出てくる関西人キャラクターしかいわない。
だからそもそも「埼玉県民」というラベルが存在するかどうかがまず疑問なわけです。関西でたとえるなら、「京都人」が「滋賀人」を馬鹿にするように東京の人は埼玉を馬鹿にしない、っつーかそういう意識はあんまりないんだと思うよ?つたわるかな?もちろんそれも「一部の京都人」の話だけど。
たぶん増田が空気読み違えたんだよ。だったら素直に認めたら?関東圏のことをよく知らないのに軽率でした、って。イメージトークしてました、って。
http://anond.hatelabo.jp/20080702211409
とりあえず気になった点を幾つか。
この「埼玉人」は集合名詞ではなく一般名詞です。つまり、「おおよそ埼玉人という奴らはすべて卑屈であって」という意味ではなく、「埼玉人の中にの卑屈な奴がいて」という話です。
それは結構なことですが、でしたら埼玉県民をいちいち例に使う意味が分かりません。『我々は、自ら「東京人」と呼ばれたがる卑屈な人間ではない』とでも言えばよいではないですか。どこの県民にも卑屈な人間はいると思いますが、わざわざ埼玉を使った理由は何ですか。せめて、「埼玉県民は卑屈」という全国的なコンセンサスが存在するならまだ諦めも付きますが、そのような話は寡聞にして聞いたことがありません。
それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。
当事者でないあなたに「東京人が埼玉県民をダサイタマと馬鹿にしている」というステレオタイプをあたかもそれが事実であるかのごとく記述されると、二重に馬鹿にされた気分になります。その上、埼玉県民をダサイタマと馬鹿にするような東京人に自分は会ったことがありませんし、伝聞でも聞いたことはありません。このようなステレオタイプに基づいて話をされるのが嫌だ、というのはあなた自身も仰っていることだと思いますが。
たとえば「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」と書いたとして、「大阪のおばちゃんは全て百円ショップで値切るほどがめついと思われているのか!」と読む人はいないでしょう。
この追記にある比喩は不適当と思います。「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」ではなく「俺は百円ショップでまで値切るがめつい関西人ではない」だったと仮定すれば、受け取られるニュアンスの違いが分かっていただけるでしょうか。
だいたい、「関西」と「大阪」の区別がついていないことも勘弁してほしいものだ。我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。京都・大阪・神戸・奈良という関西の四大文化圏は、関東における東京・横浜・千葉・埼玉よりもよほど個性が強く、言葉一つとっても一緒くたにできる要素など全くない。それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。
抗議があった埼玉県の話にしか気付いておられないようですが、「東京・横浜・千葉・埼玉」と書くのは神奈川県に対しても失礼と思います。自分達が中心で、他の地方を周縁と思っている、文化の違いを理解せずに一緒くたにしている、と東京の人間を非難しながら、あなた自身が他県の文化はおろか県名すらきちんと理解していない、という状態は見ていてあまり気持ちの良いものではありません(こうした間違いは人間には付き物だと思いますが、あなた自身がそういう「無邪気な発想」を非難している以上、こうした「無邪気な間違い」を見逃すことは出来ない相談です)。そもそも、関西を一緒くたに認識する人の批判をする文章中に、関東を一緒くたにする記述が見られるのはかなりグロテスクに見えます。その上もう一つ付け加えると、「京都・大阪・神戸・奈良という関西の四大文化圏」という言葉からは、逆説的にその他の関西の文化を軽く見ていることが窺えます。穿った見方になりますが『四大文化圏が中心で、他の地方を周縁の文化とみなす発想』に見えるわけです。それって、あなたが批判している東京人の姿とロジックにおいてどう違うのでしょう?(程度の問題だと仰られるかもしれませんが、下に見られた県民にしてみれば同じことです)
これらの記述を見る限り、あなた自身、東京中心主義に凝り固まった人々と同類項でしかないと思います。短い文章の中にこれだけの突っ込み所を残したまま東京中心主義を非難する、というのは天に唾するようなものですよ。日記の趣旨(ある都市の文化を「正しい」「当然」と思い込む発想への批判)には首肯する部分が少なからずあるのですが、当のご本人が無意識に同種の行動を取られているのはとても残念に思います。
どうも、この記事の作者です。前もって補足記事に追記して釘を刺しておいたにも関わらず、よくわからない反論(?)が来てしまったので、一応フォローしておきます。同様の誤解をしている人も結構いるらしいので。
実を言うと、この記事については反論することはあまりないんですね。言ってることは、細部はともかく全体としては同意できるものですし、知らないこともいろいろ書いてくれて勉強にはなりました。
ただし、唯一同意できないのは、それをもって私への反論だとしていることです。だって、この人の書いてることって、私の書いたことの「東京」と「関西」を入れ替えて、似たような立場から書いただけの話なんですから。それに私が文句言うわけないじゃないですか。そして、「関西の風土のよい点を聞きたい」といわれても、私は最初からお国自慢なんかする気はないと補足記事で断ったはずです。木によりて魚を求められても困ってしまうのですが。
この人に限らず、反応の中には、自分が批判されたと思いこんで怒っていらっしゃる方がおられたようで、それが少し気になりました。そうした方々は、私がいったい何を言っていると思ったんでしょうか。私は「東京」を批判したのではなく、「東京は中心で地方は周縁」という迷信を批判したのです。いくら私でも、東京の人の全員が「大阪人は民度が低い」なんてことを言っているとは思いませんよ。確かに、最初の記事を意地悪く読めば「東京の人間は全員偏見まみれ」と読めなくもないかもしれませんが、たとえば「アメリカでは、進化論さえも政治的な話題として扱われてしまう」という書き方だったらどうでしょうか。アメリカとかアメリカ人を全部ひっくるめて批判したことになるでしょうか?
その辺の誤解を防ぐために補足記事を書いたわけだし、題名に「東京が嫌いなんて誰が言った?」と書き、本文中に「文化や言語に優劣などありはしない」と太字を付けてまでわかりやすく書いたにもかかわらず、「お前なんか大嫌いだ」と言われるのであれば、もはやこの方は私が何を言おうと気にくわないのだと判断するほかありません。「そうですか、残念です」としか言いようがないことです。
この人ばかりではなく、同様の感情的な罵倒がいくつかあったことは残念です。「東京は中心」という迷信を批判したらそれがすなわち東京を批判したことになっているのだとしたら、その人の中では「東京こそが中心」という迷信が自明化されてしまっているのでは、とこちらまで邪推したくなりますよ、そのうち。
あと、埼玉の件が思った以上に誤解を招いているようなので、一応補足しておきます。
おそらく、誤解を招いているのはこの一文でしょう。
この「埼玉人」は集合名詞ではなく一般名詞です。つまり、「おおよそ埼玉人という奴らはすべて卑屈であって」という意味ではなく、「埼玉人の中にの卑屈な奴がいて」という話です。
たとえば「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」と書いたとして、「大阪のおばちゃんは全て百円ショップで値切るほどがめついと思われているのか!」と読む人はいないでしょう。そういうわけで、最初は「『産む機械』じゃあるまいし、邪推も大概にしてくれ」と思って無視していたのですが、確かに主語が「我々」となってみると、「埼玉人」も集合名詞であると誤解しやすいかもしれないと思い直したので、一応念のため補足しておくことにしました。ただそれにしても、直後に
それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。
とまで書いているのだから、埼玉が馬鹿にされたと読まれるとは正直思いもしなかったのですが。
あ、ちなみに、上の引用箇所の「東京人」も「(その手の)東京人」とでも読み替えてくださいな。なにしろ、ホットエントリになると思わずに愚痴を書き捨てただけだから、細かいところで舌足らずなのは正直ご勘弁いただきたいです。そこを補うために補足記事を書いたくらいなので。
以下蛇足。私が匿名日記を書くとときどき、捨て記事のつもりで適当に書いた記事に限ってホットエントリに入ったりする(受けを狙うと全くといってよいほど入らない)んですが、そのとき必ず一部の特定の同じ人たちが罵倒を浴びせてくるのはなんでなんでしょうね?毎回、全然違う話題について述べているのに。好意的な反応をくださる方は毎回顔ぶれが別なので、ますます不思議です。
もういい加減腹が立ってきた。
b:id:perfectspell 間違い探しゲーム, 100字コメント一部にそういう人がいるから「埼玉は卑屈」「埼玉は馬鹿にされている」と書くのがOKなら、「大阪は民度が低い」と全てのメディア(ネット含む)が言ったとしても、エントリ主には「一部の」と脳内補完されて無問題?
本当に「間違い探しゲーム」ですね。まず、「民度」という言葉は集団に対して使う言葉ですね。次に、「馬鹿にされている」と書くことが罵倒なら「障害者は差別されている」と書けば障害者差別なんですかね?最後に、「埼玉は卑屈」なんて書いてないでしょ。人の書いたことをわかりやすく歪めないでください。だいたい、「一部の」とかそういう問題じゃなくて、たとえば「馬鹿な男が」とか書いたら「男は全員馬鹿」って意味になるんですか、という話ですよ。誤解の余地がある書き方をしてしまったことは認めますが、わざわざ悪い方に解釈されるのは心外です。
まあ確かに、標準語と東京弁・関東弁の区別がついていない東京人は多いよね。
私なんかは、通じる範囲でなら方言で話していても問題はないというか、むしろ面白くて良いと思うんだけど。関西人以外の人も、どんどん自分のお国の言葉で話せば良いのにと思う。江戸っ子のべらんめえ口調も、小気味良くて聞いてるの好きだよ。
たぶん、東京に来ても関西弁を話す関西人を嫌うのは、生粋の東京人よりはむしろ地方出身者なんじゃないかな。自分は努力して東京人と同じように喋ろうとしたのに、それをしない関西人がムカつくと。地方出身者としてのコンプレックスがあればあるほど、関西弁を押し通す関西人は、自分のコンプレックスを刺激するものになるんじゃないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080629214911
上の記事を書いた者です。
うわあ、こんなトラックバックの数にびっくり。頑張ってレスしてみます。
当然じゃないです。関西で関西弁をしゃべらない人を私はおかしいと思いません。標準語でも構わないし、地元言葉を地元言葉と思ってしゃべってる分にはOK。
関東弁が標準の世界で我が物顔で関西弁をしゃべろうとする輩が多数(少なくとも他の地方出身者に比べて)いるのだから、そりゃ非難されて当然だと思うが。
そういう人がいることは認めますが(といっても実際に見たことはないし、日本で英語で押し通そうとする一部のアメリカ人ほど目に余るとは思いませんけど)、関西弁自体が下品という理由にはならないですね。下品な関西人は下品な東京人と同様に下品、それだけのことです。
だいたいあんた、「じゃね?」は方言だと指摘しとるんやからわざと使うのやめてんか。
今でも言われるときがたびたびあるが、自分はそもそも名古屋弁をあまり使わない。らしい。別に意識しているわけじゃない。どうも方言が身につかなかったらしい。
両親とも名古屋人だから、触れなかったわけではないけど。
関西人でもそういう人は結構いますよ。
そうそう、なんで関西弁をわざわざ使ってるんだろうなあ、って人がいますね。関西に移住してきた人は、岐阜より東の人は標準語に合わせるか関西弁を身につけようとするのに対し、岡山や四国より西の人は自分もかまわず地元言葉でしゃべったりする人が結構多いです。なんでなんでしょうね。
「気にするのはお前に原因があるからだ」論法ですか。やめていただきたいですね。
本当に都会人として生活しているなら、この世界は多様性に満ちていて、何が奇妙で何が奇妙ではないかなんてことを決めることができる者はこの世にはいないってことを当然心身に刻みつけているはずだからね。
うーん、「都会人」って言い方が気になりますね。都会の人って(私自身も含め)、都会の方が田舎より高等だと思いたがる気がするんですが、これも偏見ですよね。某社会学者が「田吾作」って言葉を侮蔑語で使ってますが、下品ですよね。
b:id:anigoka 笑いの聖地とか本気で信じてる奴らに言われたかねぇよ、てかつまらないのにお笑いルールを強要してくる関西人とかマジ迷惑|↑うん、ごめんやっぱ大阪
確かにそういう奴もいますね。代わりに謝っておきます。でも、関西のお笑いが関東人から見ておもしろくないのと同様、小島よしおとか関西の基準でいうと全然面白くないわけで、でもちょっと前までは「小島よしおつまらん」というと「KY」と言われかねなかったわけで、その辺はお互い様じゃないですかね。
何やら嫌みの一つも言いたげだけど、一般的に一橋と早稲田は実際に格が違うんでね。
そこんとこよろしく。
ひとつ考察から抜けている点があると思う。
地方を笑っている東京人が、実は「東京」の基準で笑っているんじゃなくて、典型的な田舎モノの振る舞いとして「余所者」を「余所者」であるというだけの理由で笑っている、という可能性は大いにある。
本当に都会人として生活しているなら、この世界は多様性に満ちていて、何が奇妙で何が奇妙ではないかなんてことを決めることができる者はこの世にはいないってことを当然心身に刻みつけているはずだからね。
単なる愚痴で書いたつもりの記事がホットエントリという形で予期せぬ注目を集めてしまったため、真意が伝わりにくい場合があるようなので、本文に違和感をもたれた方はこちらの補足記事を併せてお読みいただくようにお願いします。
生まれ育った関西から東京に移り住んで二年経つが、東京の感覚にどうしても馴染めないところがある。車が通らなくても信号を馬鹿正直に守るとか、エスカレーターで左側に立つとかそういう些細なことはどうでもいいとして、「東京の文化が中心、それ以外の地方文化は周縁」ということを無邪気に信じていることだ。テレビなんかで「六本木」だの「原宿」だのという東京のローカルな地名を断りなしに出すとか、「都内」はすべて都会であると思いこんでいるというのもその一つだが、最大のものはやはり「言葉」だ。
一番不思議なのは、「訛る」という言葉だ。地方出身の誰かが方言の語彙や抑揚をうっかり混ぜると「訛った」と言いたがる。これがよくわからない。自分たちも関東弁をしゃべっているくせに、九州弁や関西弁を「訛った」も何もないだろう。そのくせ「関東弁と標準語は別物だろ」というと全力で「それはない」と否定される。「じゃん」だの「じゃね?」だのが標準語だとでも思ってるのだろうか。
そのくせ、「関西弁は柄が悪い、下品だ」というような差別を平気で口にする。これはその辺のオッサンとかガキとかだけじゃなくて、結構なインテリさんでもそれが差別だということに気づいていない。いったい何なのだろうか。
これがただの言葉の問題で済めばよいが、ネットなどを見ると「また大阪か」「大阪は民度が低い」などという言葉まで出てくるのだから、事態はもう少し深刻な気がする。
誰であれ、慣れ親しんでいない言葉は奇異に感じるものだ。タモリのインチキ外国語という芸が成立するのもそのためだ。しかし、そういう感覚は相対的なものでしかないことは頭に置いておく必要がある。関東人が関西弁に違和感を感じるのなら、関西人も関東弁に強い違和感を感じているのだ。特に、関西弁の語感からすると「じゃん」とか「じゃね?」ほど虫酸が走る言葉はない。もちろん、ここは関東だとわかっているから、それに文句を言うのは筋違いだと思って我慢をしてはいるが、その苦労を知らずに関西弁の悪口を言われるとやりきれない思いがする。東北人や名古屋人が方言を必死で封印している涙ぐましい努力が彼らには想像できないのだろうか。私は普段標準語を使うように努めているが、とっさの時にはどうしても関西弁が飛び出てしまうから、その苦労は想像して余りあるのだが。
確かに関西人も、関東出身者が「じゃん」とか「じゃね?」とかを関西で使うと一斉につっこみを入れるが、それは「標準語」を嫌っているからではなく、「関東弁」を標準語と勘違いして無邪気に使っていることにつっこみを入れているにすぎないのだが。
それにしても、関西弁が柄が悪い、というイメージはどこから来たのだろうか。おそらく、テレビのせいだろう。吉本の芸人はかなり無茶な突っ込みをするし、強引に笑いを取る。だが、吉本の芸人が使っている言葉をそのまましゃべっている関西人はほとんどいない。あれはいわば「吉本弁」なのだ。「吉本弁」は大阪南部の言葉がベースにはなっているが、それと全く同じではない。だいたい、ああいう下町言葉を「下品」だと言うのであれば、我々も「てやんでえ」だの「あったりめえよ」という言葉にはかなり違和感がある、と言わざるを得ないのだが。
そもそも、吉本のステレオタイプで関西すべてを解釈するのはなんとかならないものだろうか(そうでなくても、誤解を恐れずに言えば、吉本の芸人の一番おもしろい部類は全国放送されていないのだ!)。テレビで「関西人」の街頭インタビューとなれば、間違いなく「がめつい大阪のおばちゃん」だけが選んで写されるが、関西人が全員ああだというのはまるで、イギリス人は全員Mr.ビーンやチャップリンであるというようなとんでもない思いこみである。
だいたい、「関西」と「大阪」の区別がついていないことも勘弁してほしいものだ。我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。京都・大阪・神戸・奈良という関西の四大文化圏は、関東における東京・横浜・千葉・埼玉よりもよほど個性が強く、言葉一つとっても一緒くたにできる要素など全くない。それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。
なんだか愚痴がとりとめもなくなってしまったが、こういう人たちに「民度」を云々されるのだけは勘弁してほしいものだ、というのが私の偽らざる感想だ。少なくとも、橋下知事を選んだ府民を馬鹿にするのなら、石原知事を選んだ君たちはいったい何なのか、よく内省してもらいたいものだよ、まったく。
まずあれだ。
企画をたてるんだ。で、自分で募集しれ。
おもしろそうだったらいくよ('(゜∀゜∩
東京人はこういうところがあかんのぉ。
http://anond.hatelabo.jp/20080302004743
ネットのコメント欄とかで関西弁の書き込みを見ると、何かうらやましい気分になってしょうがない。
これは特に大阪の人間に多いと思うんだけど、ちゃんとした文章は標準語で書けるくせに、ネット上のやりとりになると「わざわざ」方言を使って自分が関西人であることをアピールする。これを非難する人も多いけど、私には、これができる人間が非常にうらやましい。なんで自分にはふるさとの言葉は「NHK弁」しかないんだろう。
父方の祖父母も母方の祖父母も東京在住なので「帰る田舎がない」とこぼす東京人もいるが、私はそれの方言バージョンだ。
こういうのを擁護するのを「地方的党派心」「コミュニケーションの妨げ」と言う人もいるけど、私は必ずしもそうだとは思わない。逆にこういうお国言葉から会話のきっかけが出来て、コミュニケーションが生まれる事だってあるのではないだろうか。
「東京人」もいやだな。
http://anond.hatelabo.jp/20071004225411
追記:
「なになに人なんて恥ずかしい言い方だ!」と馬鹿にしているのではなくて、
自分のことをそう称するのがはずかしいだけね。
「地球人」とか。
関東人ってつかわないんだ、じゃあ他地域の人に自分の地域を言うときはなんていうの?
東京人?
都民?
あ、関東人って言われるのがイヤだったらスマソ