はてなキーワード: 東京人とは
自分はどこまでくだけても「標準語をベースにしてるから。口語だから」と言って、相手には「標準語からの逸脱を許さない」というのは理屈にならないと思う。それ、誰がどういう基準できめるのか教えてほしい。基準がないのに、自分は自信満々で「スタンダード」で他は「スタンダードじゃない」ってのは、実は単なる自分の趣味の問題じゃないの。
東京の人が大阪に住んで、徐々に関西弁を話すのはいいことだ。周囲に溶け込もうとしているわけだからね。
関西の人がそれが嬉しいっていうなら、どうして自分たちは同じことが出来ないの?
二行目、全ての関西人がそうしない、という事実は?これもないよね。
三行目、思いこみを元に喋ってるだけで、理屈じゃないってのなら、素直にそう言ってください。
ちなみに、どっちかつーと「きちんと」関西弁を喋れないネイティブじゃない関西弁ユーザーは、個人的にはウザいことこの上ないね。ドラマとか見てて中途半端な関西弁聞くと、むしろムカムカする。普通に自分の言葉で喋れ。
そもそもネイティブ並に関西弁ユーザーになるには才能と訓練と発想の転換まで必要なんだから、そうそう簡単じゃない。簡単だと思ってるその発想の安易さに腹が立つ。まあこれは余談で個人的な感想だけど。
→ 全員「心の中にお笑い芸人を飼っている」が正解。あと「理想の人格」はお笑い芸人。
2.会話は全て漫才
→会話は全て漫才「の考え方をベースにしている」が正解。「ボケ/ツッコミ」はコミュニケーションモデルであり哲学である。
3.「なんでやねん」が口ぐせ
→「なんでやねん」を口癖にするには「覚悟が伴う」が正解。ツッコミとして生きるには高いコミュニケーション能力や幅広い視野、高潔な人格が必要であり、何より自己犠牲の精神が求められる。
4.よしもとは大阪で人気のお笑い(TVが祭り上げたから調子に乗ってるだけ)
→大阪では「お笑い」が人気なのであって、「よしもとはその一つに過ぎない」が俺も正解だと思う。
5.ガラが悪い
→標準語圏の人間には「ガラの良い」関西弁と「ガラの悪い」関西弁の区別がつかないので、意味がない。他者との距離や乗車マナーのことを言っているとすれば、それは「ところ変わればマナーも変わる」としか言いようがない。
6.お金にがめつい(あくどく稼いできれいに使うのは美学(例:中央公会堂))
→「宵越しの銭を持たない」東京の方が、普通に考えてグローバルスタンダードではない。
7.おばちゃんパワーは絶大(どこも大体同じ)
→5.と併せて、俺も誤解だと思う。
8.具をぐちゃぐちゃに混ぜて焼くのが大阪風お好み焼き(それは大阪のお店で売っているお好み焼きのこと。一般家庭のそれとは違う。)
→大阪の「安い」店はそうかもしれないが、お好み焼きの標準を論議し出すと長いので省略。だが、お好み焼きは別に関西のソウルフードというわけではないと思う。どちらかと言えばたこ焼きがそう。
9.恐怖と混沌のはびこる町、大阪(東京だって危ない通りの一つや二つはあるんじゃないか?)
→偏見のある標準語圏の人間には危険な街であることに間違いないので「恐怖と混沌」は別に間違いではない。現地人は普通に暮らしているが『冷やかし半分のお高くとまった観光客には危険』な街は世界中にあることだし。
http://anond.hatelabo.jp/20070904095818
最後に10個目を追加
→関西人は「東京人は巨人ファンだ」と思っているのでお互い様。個人的には関西人は阪神ファンに対して社会的に許容度が高いだけだと思う。たとえば、上司が「私はオリックスファンでね」と言ったとしても「仕事場で趣味の話すんな親父」という空気になるのがオチだが、「私は阪神ファンだ」と言ったとしたら、何か急に上司が親しみやすい人格の持ち主であるかのようにみなされ「じゃあ今度みんなで甲子園行きましょっか!」という空気になる(その場合別に課員が阪神ファンであるとは限らない)というような。
http://anond.hatelabo.jp/20070226172918
承前。
最近、ネットなどの新たなメディアのおかげで東京に対して興味を持つ関西人が増えている。
大阪人などは日本に対する高感度が高く、大きな都民会なども開かれるようになった。
それはいいのだが、最近よく見かけるようになったマナーの悪い関西人が嫌いだ。とくに大阪人はマナーが悪すぎる。
まずひとつの例として http://www.youtube.com/watch?v=ZMUpXGlTyAc を見てみよう。おそらく東京に旅行に来た大阪人がジョークでカメラを乗せた例だ。食品が乗るところなのだから衛生的にも問題があるには彼らにもわかるだろうし、ふざけるレベルではないと思う。千葉の不良ですら携帯のカメラを乗せたりはしない。
一番ひどいのは http://www.youtube.com/watch?v=Cej22iu0y5M だろう。このような関西人を見かけたらすぐに注意しよう!その際必ず標準語で注意すべきだ。
関西人の大半は東京人に対しても関西弁で普通にしゃべりかけてくる。これはまったくもって馬鹿にしているとしか思えない。確かに関西弁は方言のひとつだが、日本人すべてが分かるはずもない。その地方にいったらその地方の公用語で話すべきだ。方言なんて関係ない。私は少しなら関西弁を理解したりしゃべれる。だが東京にいる関西人には必ず標準語で応対している。関西弁をいきなり使ったものにはきつく注意する。そうしないと彼らはわからないからだ。
では大阪での東京人はどうか?われわれも気づかずにマナー違反をしているかもしれない。必ず大阪へ行くときにはまずはじめに最低限のマナーと言葉を学んでからいくべきだろう。
まあそんな感じ
#追記
当日顔に出さなかった感想としては
#さらに追記
マイミクに教授がーギニャーみたいな話も思い出した。やべー超ジェネレーションギャップ感じたー
僕は広島県の神から見捨てられたようなニュータウンに住んでいるのだけれども、僕の街はそんなに広島に遠いところではない。これは実は中国地方の街に住むものにとっては、かなり大きいことなのだ。広島というのは、軽い中華思想にまみれた街なのだwこれはどれくらいの人が共有できる感覚なのか分からないのだけれど。
中国地方は『田舎』である。この『田舎』というのに、注意しなければならない。これは実は(広義の)政治的なものなのだ。日本の『田舎』が北海道でもなければ、沖縄でもなく、九州でもないことに注意しなければならない。寒村風景というのは日本人においては昔話にも出てくるような"原風景"であるが、それは、本土の風土(北海道では『北の国から』になってしまうわけで)、それもより亜寒帯よりの温暖な気候という中国地方的な風景なのだ。
やっと本題だが、しかし、広島は違う。広島はイケているのだ。広島の街は実際歩いて見ると分かるのだが、東京のデフォルメされたミニチュアのような感じがする。例えば、その象徴としての横川シネマ。ここは所謂、オサレ系の映画を広島の街ではこの映画館が、ムービー・コンプレックスとして一手に担っているのだ。つまり、ここは広島において、「オサレ映画」の象徴の具現化なのだ。当然、東京のようによりもっと深くとはいかないのだけれど。
この街は、楽だ。オサレを追求する必要もない。まだ、広島にも"中国地方"的なものが残っているのだ。オサレとそれを上手く折り合いをつけていけば、広島的なライフスタイルは、広島人にも、東京人にも、有効である。ここは、街と村の境目なのだ。昼間は横川シネマ行くナウいお嬢さんが、その日の午後にはしゃもじ踊りしてるっていうその感覚は分かってもらえるだろうか?パトリオティズム、それも農本的なもの、それこそ、"中国地方"的なものと僕が呼ぶものだ。それが東京のミニチュアのような都市にまとわり付いている。その広島的なカルチャー(サブカルチャーも含め)を、僕は否定する気はないが、受け入れてあげる気もない。はっきり言うと、その中途半端さが嫌いなのだ。