2008-05-30

中学生時代、いじめられていた頃の事を思い出した。侮辱や嘘が飛び交い、関係のないその場に居合わせていた同級生も「何事か」と注目をする。「学校の物を盗んだ」だとか「教師しか見てはいけない書類を勝手に覗いていた」などと僕がまるで卑劣な行為に走りそれを目撃したかのように触れ回る。「嘘だ、やってない」しかしそう訴えても悪魔の証明に敵うはずもない。騒ぎが起こって暫くしてから、おかしな雰囲気が立ち込めてくる。

確かに根暗で友達のいない僕には弁護してくれる人も存在せず、皆は『あいつが言われているんだから言われて当たり前』だと思っていただろう、そしてできれば関わりたくないからこのまま何事もなく収束する事を願っていたに違いない。その場にいた同級生の半分がこちらを疑視する中、構わず自分達の話を進行させる人もいた。しかしどんどん騒ぎが大きくなってくる。僕を攻める一人の、クラス中に訴えかける大きな声に巻き込まれ止むを得ずといった感じで全員がこちらに顔を向ける。数人が僕に寄って集って言い攻めるその様は明らかに僕への注意以上の攻撃が含まれていて、『その中にはもしかしたら虚偽や侮辱が含まれているかもしれない、でもだからと言ってあんな奴を弁護するのも気が引ける』とでも言いたげな哀れなものを見る様な目線が僕を囲む。それでも相手の口からは躊躇いもなく悪意の篭った暴言が僕に向かって吐かれる。僕は耐えられなくなり目に涙を浮かべながら教室から逃走した。

あの光景は今でも鮮明に思い出すことができる。被害妄想なしに書くと、自分といじめを行っているグループしか居なかった空間に急に他人が『傍観者』という具合で割り込んでくる。そしてその『傍観者』には悪意はないかもしれない、それどころか全く悪意などなく寧ろ善意との狭間でどう行動すれば良いか戸惑っている人もいるかもしれない。しかし僕には、その空間に入っただけの傍観者に対しては『見方かそれ以外か』しか判断ができず、見ているだけで何も言わない傍観者も含めた『見方以外』が増えた事に耐えられなくなる。

よく『いじめは見てみぬ振りした人間加害者だ』と言う人間がいる。僕はそこまで乱暴には考えないけど、加害者被害者しか居なかった空間に急に割り込んでくるのはやめてほしい。自分がいじめられているという哀れな姿は、誰にも見られたくないからだ。無視できないという自信がないなら、いじめを止める事ができないと分かっているのならどこかへ去ってほしい。加害者でない人間から哀れな目線で見られる事もダメージになり得るし、それが強烈なものになると居た堪れなくなってしまう。

ところでその時の僕は泣いてしまったわけだが、泣くという行為は自分の直面しているその事態に対して感情移入しているに他ならない。下らない事に感情移入した挙句自分が哀れな目線で見られていると思ってしまったわけだ。くだらない事で泣いてしまった自分にも非がある。もしかしたら重要なのは耐える事ではなく馬鹿馬鹿しく下らない事態に直面しても感情移入せず常に冷静さを保つ事なのかもしれない。

ちなみに僕はあの時から今まで4年以上引きこもりをしている。

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