はてなキーワード: 娘。とは
この間久しぶりに銭湯に行ったんだ。
うちユニットバスだから、たまにちゃんとした風呂に入りたくて行く。
なんか娘がだだこねてるみたいなんだけど、どうも父親と一緒に男湯に入りたがっているらしい。
最近の子は背高いらしいからわかんないけど。
俺はとりあえずスルーして先に入り、体を洗ってた。
あの年頃のコが男湯に入るってありえねーよなとか思いながら。
そしたらしばらくしてさっきの父親が入ってきた。
マジで!?とか思いながらも横目でチラチラ確認してみた。
いや、そこにいた男全員がチラチラ見てる感じだった。
でもまあそりゃー見るよ。
一応タオルで胸と下を隠してるんだけど、
テレビの温泉リポーターみたいにバスタオルを巻いてるわけじゃない。
後ろはケツ丸出しだった。
ってゆーかタオル越しにもけっこう、発育してるのがわかる。
こらマズイだろ、常考。
とか思いながらも、目の前の鏡に石けんを塗って曇らないようにした。
理由は聞かないでくれ。
父親は半ばあきらめたような感じだったと思う。
二人並んで座って体を洗ってたんだけど、
そのときはもうタオルを下ろしてるから、まあ、丸出し。
俺からは鏡越しにちょうど横乳が見える感じ。
あれBかな。もしかしたらCくらい行ってるのかも。
お父さんが「隠せ」みたいなこと言ってたけど、
「だって体洗ってるし」って言い返してた。
っていうか、この時点ですでに俺のウィンナーはやばい感じ。
アルトバイエルンからフランクフルトの中間くらいに成長してきてる。
本当はもう体を洗い終わって湯船に浸かりたいんだけど立ち上がれない。
しばらくすると親娘が先に湯船に向かった。
俺はもういっそのこと一度出すべきかとも考えた。
そんなに客はいない。
洗うふりしてバレないようにできないだろうか。
いや、さすがにムリだ。
なんてことをアレコレと考えていた。
すると後ろの方で娘が「パパ、あぐら(?)して」とか言ってる。
父親はなんか慌てだした。
「静かになさい」
銭湯ではダメ?ってことはつまり家では父親があぐらをかいて娘がその上に座
という妄想をしてしまった。
↓のせいだ。
http://anond.hatelabo.jp/20071018161504
私の時間を返して欲しい。
本来アイドルって偶像性が売り物だったはずだ。う○こもお○らもしない。そう思わせて何ぼのはず。ところが、最近のアイドルと来たらぽこぽこ妊娠しやがる。それもどこの馬の骨とも知れないような男の子種で。
これで偶像性云々を見ろというのが無理。アイドルじゃなく、小娘。しかも近所の小娘より素行が悪い。はてなのトップを見ると、ハロプロの一押しのアイドルたち、それも15歳にも満たないような子の写真が踊っている。「ああ、この子達も3年もしたら出産だ」と身も蓋もないことを考えるのは、きっと俺が悪いのではなく彼女達の先達の行いに負うところ大だ。アイドルの偶像性をじわじわと奪っていったのは週刊誌の暴露記事だが、一方で「等身大」とよばれる小娘達が大量に出回ったために、アイドル自身が偶像性を捨てることになった。悪貨は良貨を駆逐する。
偶像性からすると、アイドル全盛期は多分80年代前半だろう。早見優とか、河合奈保子とか、石川秀美とか中森明菜とか、小泉今日子とか、松田聖子とか、そりゃもう華やかだった。
中森明菜に関しては、10年位前に同じ職場に居た女の子が「自殺未遂ってだけで、偶像性が0になった」と厳しいことを言っていた。が、う○こもお○らもしないはずの彼女が、恋に命を絶とうとした、その一点だけでも、今となっては神話的ですらある。
http://anond.hatelabo.jp/20070810001656
http://anond.hatelabo.jp/20070131134814
この2つのURLを人から教えてもらったので、ちょっと書いてみる。
「なぜはてなにモーヲタ系が多いか?」という問いに対する答えとして、個人的には「はてなアンテナ開始時のユーザーにモーヲタが多かったから」と思っているんだけど、「じゃあなんでモーヲタが多かったの?」という問いに対する答えは……というように遡って考えていって、大体最初の辺りから説明していくことにする。
2001年頃、「エスロピ」というサイトがあった。一言で言うとハロプロ系個人ニュースサイト。エスロピは「あめぞう2000ヘッドライン」に登録されていた。それを見たさかもと氏(当時のサイトは「楽しい科学」)が「モーヲタ系サイトをヘッドライン表示させると便利なんじゃないか?」と考えて作ったのが「モーヲタヘッドライン2001」。
別の流れとして、2001年8月には2ch閉鎖騒動「8月危機」があった。それに伴い、2chモーニング娘。板の「モ娘。(狼)」の避難所が乱立、というか避難所を作るのが一種の流行だった。その1つとしてさかもと氏も掲示板を作った。スクリプトは「17スクリプト」を使用。
そして「モーヲタヘッドライン2001」と掲示板の2つを統合して、「モ娘。(楽)」として2001年9月17日に公開。
しかしヘッドラインでの表示がなかなか上手く行かなかった。そこで注目されたのがアンテナ用スクリプト「なつみかん」。これを使用して作成されたのが「娘。アンテナ」。「モーヲタヘッドライン2001」の替わりとして2001年10月20日に公開。
実は、この1ヶ月前に「豚の戰爭」猪川氏が「LINKS ARoMATIZED」というスクリプトを使って作成した「娘。アンテナ(仮)」(後の「娘。アンテナ(假)」)というのが公開されていたんだけど、知名度が高いとは言えなかった。
この頃はまだはてなアンテナもなかったので、モーヲタ系サイトの更新取得は「娘。アンテナ」が一手に引き受けていた。サイト登録数もどんどん増えていって、派生サイト「「娘。アンテナ」ガイド」の2002年5月頃の記録では約150サイトが登録されていた。
このようにモーヲタ系サイトのコミュニティが形成されていったが、その反面、ハロプロ自体の勢いは下降線を辿っていったように思う。これは各人の感じ方にもよると思うけど、個人的にはそう感じていた。ハロプロがどうこうというよりも、個人的な「飽き」の部分が大きかった。象徴的だったのは2002年7月31日の「ハロマゲドン」で、これが1つの転機になった。
前後して2002年5月、「はてなアンテナ」サービス開始。当時のモーヲタの感覚としては「自分でサイトを選んだ娘。アンテナが持てる!」というものだったと思う。
そして2002年9月「娘。アンテナ」閉鎖。同年10月「エスロピ」閉鎖。「娘。アンテナ」の登録サイトリストをそのままインポートした「娘。アンテナβ」など後継的なアンテナがいくつか出現し、2003年1月には「はてなダイアリー」がサービス開始。この流れが現在まで続いて、「はてなにモーヲタ系が多い」という現状認識に至ったのだと思う。
全体の何割かというのはもちろん把握できないけど、サービス開始当初は「はてなはモーヲタばっかりだな」という印象があった。あと、当時は雑誌「ネットランナー」で「はてなランキング」と銘打った、はてなアンテナからのアクセス数によるサイトランキングが掲載されていて、それを眺めても「はてなはモーヲタばっかりだな」という印象があったと記憶している。
以上。事実関係が前後していたり思い違いしている可能性があることを一応お断りしておく。
<余談1>
はてなを「村」と揶揄しているのを見て、そういえば昔エスロピ界隈も「村」と揶揄されたことがあったなあと思った。
http://choco.2ch.net/morningcoffee/kako/1006/10067/1006718399.html (117-126辺り)
<余談2>
http://www.machineworks.co.uk/whg/2006/09/post_3057.html
最近は「ハロヲタ」という呼称をよく見かける。モーニング娘。も一応存続しているけど、勢いという側面から見るとベリキュー(Berryz工房、℃-ute)の方が上だし、昔ながらの「興味あるのは娘。だけ」あるいは「娘。が一推し」という層は大分減ったと感じる。というか、今でも残っているファン層というのは、推しの違いこそあれ、「ハロー!プロジェクト」という団体自体に少なからぬ思い入れがあるように思う。
だから「モーヲタは死んだ」ではなく、「モーヲタは死んでハロヲタになりました」ということにすればいいんじゃないの。どうでもいいけど。
<本文に関連した項目による年表>
はじめの事件が、故意に流されたものなのか、漏れたものなのか、それすらもう定かではない。そもそもどれがはじまりだった?
かねてより勝手気ままに動くメンバーたちの情報管理に疲れきっていたつんく♂は、はじめの事件が報道された時点でこう言った。
「もうええか。これからはこういう方向で行きましょ。次もあるし。もうええやろ。」
彼の興味は既にモーニング娘。には無かった。その後さも最近明らかになったかのように続々と報じられるスキャンダル。
『こういう方向』だ。しかし、こんなワイドショーに媚びるような路線で生き残れるはずがない。終末に向かう方向転換。
つんく♂は、既に有望なメンバーを集めて新グループを作るいつもの方法で着々と事を進めていた。
もはや誰の目にも明らかだった。モーニング娘。といういれものは、もうすぐ放棄されるのだ。
「モーニング娘。が、好きだったんです。」
とは、そのメンバーの弁である。それが、引き金になった。散り散りになっていたメンバーを、引き戻す引き金。
新たなグループに組み込まれるはずの者も、芸能界を辞めるはずの者も、既にスキャンダルで消えた者や、卒業していった者まで、
最後に、最後に一度だけ、イベントをやろう。誰からともなく発せられた言葉は、全ての娘。を集めるのにさほどの時間を要しなかった。
しかし、時既に遅く、最後のイベントに対するファンの風当たりは、開催前からひどく強いものだった。
スキャンダルで一時は消えた者に対して、モーニング娘を「捨てた」と揶揄されるものに対して、ネット上で怒号が飛び交った。
ファンは、世間は既にモーニング娘。を必要としていない。その空気を素早く読み取ったつんく♂は、イベントの中止を断行した。
何とかゲリラ的にでもイベントを実行しよう。そういう流れも、つんく♂に、事務所に見放された後は細々としたものになった。
一度は集まったメンバーたちも再びバラバラになり、最後のイベントは、夢と消えるかと思われた。しかし、
「あたし、やるよ。」
彼女は、そう言った。最後の一人になっても、イベントを成功させる。そして、イベント当日。
会場は武道館ではない。既に事務所は金を出してくれない。イベント会場は、小さなライブハウス。
メンバーは全員ではない。既に全員が散り散りに、いや今の居場所へ帰っていった。イベントを行うのは、たった一人。
それでも彼女はこの最後のイベントに固執した。思い出にすがった。当時の衣装は少しきつくなっていた。新しい衣装の予算などない。
会場からは、まばらなコールと野次。誰も期待してなどいない。それでも彼女は行かなくてはならなかった。