「再チャレンジ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 再チャレンジとは

2008-06-11

再チャレンジ

銀河鉄道じゃないけど、たった一回のチャレンジだからこそ必死にがんばるんだと思うんですよ。

2007-12-30

世の中ウソばっか

学歴なければ再チャレンジなんてできないじゃん

中途半端な夢みさせんな

マスコミ死ね

2007-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20071121220615

おいらも結婚できない男だけど、タクシーの中で大ロボット展の割引券を数百枚握ってヤフオクに出品しようと思ったら車内中に散らばった。

こんなんじゃダメだと思った。文才があるのは素晴らしい、が、そこまでだんどれる設定の男ならいくらでも再チャレンジできるだろうに。

2007-11-18

そっかあ。

大変だね。

なんだかその気持ちわかるなあ。

実は、その昔、「わたしも、まだ、高校生だから、これ以上は嫌」なんて言いながら、内心、裏腹だったかも。

でも・・・女の子の気持ちとしては、難しいところ。もう少し待って、3ヶ月ぐらいしてから、再チャレンジ

でも・・・君、幾つ?

そういうことは、成人してからにしなさい!!!!!!

2007-11-12

私の見た東京

去年の9月頃に見つけた徳島新聞経済コラムが保存してあったので晒してみる。

私の見た東京

 怖くて公共交通機関を使えない。出張などで東京を訪れるたびにこんな思いを強くする。

 「格差社会」といわれて久しいが、東京に行くと格差を実感せずにはいられない。地下鉄に乗っている人々は、もちろん、負け組であり貧者である。彼らの目はうつろで死んでいるか、ねたみで満ちている。車内の空気は殺気立っており、いつ争いが始まるかわからない。ずっと独り言をつぶやいているサラリーマンがカップルをにらんでいる。

 私の見た東京はこんな感じである。とても、住みたいと思える街ではない。

 こんな東京になってしまったのはなぜか。競争が厳しすぎるのである。私たち人間は(少なくとも私は)そんなに強くない。むしろ弱いといっていいだろう。競争状態に長く居続けるだけで、疲弊するし、無気力になるし、いらいらするのである。そして正直に言えば、そんなに頑張りたくないし、頑張ることもできない。とくに頑張るわけではないが、まじめに働いて普通に生活できる、そんな社会を求めている。

 「再チャレンジ」なんて机上の空論だ。一度でもチャレンジできる人は、放っておいても何度もチャレンジする。一度でも失敗できた人は、勝手に自分で起き上がり、さらに失敗を重ね、そのうち成功するだろう。

 真に目を向けるべきは、一度も失敗したことがなく、チャレンジすることもないが、競争という大きなプレッシャー押しつぶされそうな人々である。彼らのストレスと不満はそろそろ限界である。

 幸いにも徳島にはこのような空気はまだ入り込んでいない。「効率」、「能力」、「成果」、そして「努力」などという都会の論理にだまされてはいけない。都会の競争論理に参加してはいけない。都会の論理で成功できるのは、都会の一部の人だけである。圧倒的多数の都会の庶民と地方は押しつぶされてしまう。地方には地方の論理が必要である。(和)

それにしてもひどい。そういえば再チャレンジがどうこうとかあったなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20071112130256

例えばアメリカあたりと比べて日本が明らかに劣っているところは、再チャレンジ可能性ではないだろうか。

日本だと一度失敗したらそれで終わり、お先まっくらみたいなのが多すぎる。

あと、裁判沙汰になっても同様。

逆に言うと、日本もそこらが改善されると、自殺率は下がるし企業は作っては潰せるし(=ベンチャーの勃興可能性)

いい国になると思うのだが。

2007-09-05

それが「再チャレンジしやすい社会」かも

うつがSI系なんて目指すなよ、健常者でもうつ発症する業界なんだから。

うつ病発症したら SI 系引退して、一からやり直しですか。そうですか。

仕事がどうしても向いてないとわかったときに、やり直せる社会がいいと思うんですけどね。

病気になられて業務が滞ったり医療費増大に貢献されるよりは、なにか仕事をしていてくれたほうが生産性が下がりませんし。

もちろん最初の就職活動の手は抜いちゃいけませんけれども。

(ところで、健常者がうつを発症しない業界はあるのだろうか(純粋な疑問))

anond:20070904224653

2007-07-15

北九州市餓死事件に対する緊急声明

162-0814 東京都新宿区小川町8-20 こもれび荘

NPO法人自立生活サポートセンター・もやい

理事長 稲葉 剛

03-3266-5744

info@moyai.net

www.moyai.net

担当:事務局長湯浅誠(080-3022-4422)

 またも悲劇が繰返された。7月11日各紙が報道したように、北九州市小倉北区で死後1ヶ月と見られる遺体発見された。亡くなった52歳男性は、昨年末から生活保護を受けていたが、4月に生活保護の辞退届を提出、「受給廃止」となっていたという(7月12日朝日新聞)。

 本件に関して、私たちは、

(1)男性の辞退届け提出が、本当に男性の真意にもとづくものだったのか(事実上福祉事務所職員に強要されたものではないのか)、

(2)真意にもとづくものだったとして、男性のその後の生活の見通し(経済的に自立して生活していける見通し)について、福祉事務所は十分な調査(報道されているタクシー会社就職できる確実な見通しがあったか、それによって生活保護基準を上回る収入を得られる確実な見通し)を行ったのか、

(3)経済的に自立の見通しが高かったとして、なぜ実際に就労して保護基準を上回る収入を得た後に廃止する、という生活保護法が予定している通常の手続きを取らなかったのか、

(4)辞退届けを提出する義務も必要もないことについて、男性に十分な説明が行われたのか、

(5)説明が行われたのだとしたら、どうして報道されているように男性日記に不満(「働けないのに働けといわれた」)と記されているのか、

等々について、数々の疑問をもっている。北九州市は、昨年5月に発覚した餓死事件同様「対応に問題はなかった」と話しているが、本当に自信をもってそう言えるのであれば、北九州市は自ら積極的に生活保護ケース記録を開示するなどして、説明責任を果たすべきと考える。

私たちが、東京を中心に活動しながら、北九州市の件で今回のような緊急声明を発表することには理由がある。それは、北九州市以外でも同様の事態(経済的自立の見通しがないにもかかわらず、保護辞退を強要する、不適切な指導指示にもとづいて保護を廃止する)が頻発していると考えるからである。以下、私たちが受けた相談の一端を紹介する。

(1)先月、相談に訪れた50代男性は、都内の福祉事務所から「平成19年5月10日までに就労を開始すること」というきわめて不適切な「保護指示通知書」を渡され、6月22日付で「法第27条指示違反による廃止」という違法な「廃止の理由」で生活保護を職権廃止されるに至っている。職権廃止取消を求める不服審査請求はもちろん、精神的苦痛を与えられたことによる国家賠償請求も提起しうる事案だったが、本人がどうしても「あそこ(の区役所)にはもう行きたくない」と言って、権利回復は果たせなかった。

(2)昨年相談に訪れた50代夫婦は、その一年半前に強圧的な就労指導によって精神的に追い詰められ、経済的自立の見通しがまったく立たないにもかかわらず、生活保護を辞退した。私たちの元に相談に来るまでの一年半、妻が難病をもつ夫を支えながら月収7万のパート労働で暮らしてきた。私たちは、再度の生活保護申請を勧めたが、妻が「もうあんな思いは二度としたくない」と言って、ついに生活保護申請には至らなかった。

このように、「自立」の美名の下、実際には生活していく見通しが立たないまま、生活保護から半強制的に追い出されている人たちが全国に多数存在している、と私たちは推測している。その人たちは、心にトラウマが残るまで圧力をかけられ、権利回復を求める意欲も残らないところまで追い詰められ、そして放り出されている。福祉事務所は、本人たちから声を上げる力を奪っておきながら、「声が出ていない以上、対応に問題はない」と涼しい顔をしている。その声を上げられない力の剥奪の究極形態が「死」に他ならない。力を付ける(「自立の助長」生活保護法1条)はずの福祉事務所が、受給者から力を奪うという悲惨な逆転現象が起こっている。

事は北九州市のみに留まらない。その事態の深刻さに鑑み、以下主張する。

1)北九州市は、今回の餓死事件の厳密な検証をただちに行うべきである。生活保護を廃止した行為は、「辞退届けが提出されたから」などという薄弱な理由では正当化されない。

2)全国の福祉事務所は、不適切な指示書の乱発、辞退届けの強要、違法な職権廃止をただちにやめるべきである。もうこれ以上、福祉事務所被害者を出してはいけない。

3)政府は、経済的自立偏重の「自立支援」を根本的に見直すべきである。現行「自立支援」「再チャレンジ」は、多くの場合、弱者いじめにすぎない。人々に負担を求めるばかりでなく、人々の生活を保障する国の責任を果たすべきである。

 

2007年7月13日

 

http://www.moyai.net/modules/weblog/details.php?blog_id=165

 

特定非営利活動法人自立生活サポートセンターもやい

http://www.moyai.net/

2007-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20070709151106

再チャレンジに3度も失敗するなんて。

ここはひとつ安倍美しい国内閣に文句を言ったほうがいいですよ。

インストールが嫌いだ。

ああ嫌いだ。大嫌いだ。

普通インストーラがあるやつならまだいくらかマシだけど、

linuxとかでコマンド打ち込んでやらないといけないやつはもう大嫌いだ。

すんなり行ったためしがない。その度にネットやらなんやらで情報収集。

再チャレンジ。失敗。

バージョンの違いとかも考慮して再チャレンジ。失敗。

あーでもないこーでもないと試行錯誤して再チャレンジ。失敗。

げんなりしながらネットで調べてると、なにやら別の方法があるらしい。

その方法でチャレンジ。ようやく成功。

もういやだ。ものすごくイライラする。

しかもようやく成功したーって思って実行したらまたエラーが出たりするんだよ。

こういうことを繰り返してシステムを理解していくんだよって言われても

オレはそんなの別に求めてないの。ただこのソフトが使いたいだけなの。

2007-03-26

炎上に強いブログサービス

誰か、炎上に強いブログサービスを知ってる人しりませんか?

炎上で起こりうる攻撃をすべてディフェンスできる機能をもったブログサービスを探しています。

もっとも、機能がどんなに充実してても、管理人ヘタレだったらすぐに閉鎖するかもしれないけど、

一対複数で襲われたらだれだって怖いよね。

以前のはてなで書いてたブログがそれで閉鎖したので、再チャレンジでは二の鉄を踏みたくない。

はてなダイアリー炎上対策の脆弱さにはがっかりさせられました。

2007-03-09

日記ですから

日記を書くのです。

今日FF12を久しぶりにやってみた。

ヘネ魔石鉱でゾディアーク退治、レベルは68-69。

ダメだ、アレイズが追いつかん。

レベル2、3、4の倍数じゃまずいのが判ったので、

もう少しレベルを上げて再チャレンジとする。

2007-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20070219150158

いやいや、ナメック星まで。セルとかブウとか論外。

分かれ目は、フリーザ親子が未来からやってきたトランクスにあっさりやられちゃった回。

ちょ、ちょっと、未来からやって来たって。時間を移動していいのは、ドラえもんだけ。

2時間後のドラと4時間後のドラと6時間後のドラと8時間後のドラが一緒になって…(ry

ああ、話が逸れた。

ところで、瞬間移動って何?ナメック星以降は読んでないんで。

セルゲームに学ぶ再チャレンジ支援税制」』が話題になった時も、

ネタ元がよく分かってなかったけれど、ギニュー特戦隊は大好きな俺ですよ。

[][][][]今日の朝刊の時流自論より

2ちゃん哲学板とかいつぞやはてブでヒットしたニセ科学菊池誠さんのBlogじゃないがそこらへんでよく見かけるフマ?なる人物がプライベートモードに追い込んだらしい本田由紀という方が最近朝日新聞で何かの賞を取ってそこらへんの流れからかその人が時流自論を最近担当している記事を読むことがあるのだけれども今日の記事をザッと独断と偏見引用してみる。

企業の「家族依存」を正せ

まとめるとこんな感じだった((まとめてるか、ちゃんと要約できているかはわからない))

  1. 低収入の若年非正社員が3人に1人に達するほどの規模であるのに何故それが今現在看過されているのか
  2. 批判的な論調では若者が豊かな親世代に依存パラサイト(寄生)しているため。「若者の甘え」という問題なだけだ。
  3. しかし現実ではそうした個人単位家族単位ミクロレベルの説明を超えた規模で進行している。((ここに関してはデータの見方でまだ反論があるであろうところだろうけれども))
  4. 問題は現在では「マクロ社会システム間の関係性」という観点からの把握が必要になっている。
  5. 社会学者の居郷至伸の近刊論文での見解に興味深いものがある。
  6. その居郷氏の見解について本田氏が敷衍した記述が次だ
    • ミクロな説明は、仕事家族の間に「若者の甘え」という心理的要因を介在させることで、問題を若者個々人に帰責してしまう。しかし若者の甘えという無根拠((ここはまた異論があるかもしれないところだ))な要因を除去し、より大局的な見地から見れば、経済システム家族システムとの直接的な((直接的なのかは微妙かも(間社会的に)間接的に、とかじゃないのかな))依存関係という事実が浮かび上がる』
  7. つまり、これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせずに社会内に存在しえているのは、彼らを支える家族という社会領域の存在、その資産が企業側の依存に対しいまだ有効であるからであり現状で必要な生活保障の責任を各方面が放棄たらしめていることは長期的に持続可能なものでなく非常に脆く暫定的なものである。
  8. それゆえ家族単位などの社会領域、保護領域を持たぬ若者においては現下でも厳しい困窮状態に置かれている。
  9. 日本経済発展を遂げえた時期に労働していた親世代は今後数十年の間にこの社会を去る。その後に残されるのはむき出しの低賃金労働者の巨大な群れではないだろうか
  10. この現今の以上の問題を含む社会システムをどうするのか。「再チャレンジ」政策や「成長力底上げ戦略」は、機会の実質的な拡充を伴わないままに、問題を個人の努力というミクロ次元すり替え結果に終わることが危惧される。
  11. それに対して本田氏が挙げる具体的な政策の例としては『無償ないし生活費保護を伴う職業教育訓練の大幅拡充や、丁寧なカウンセリングと選択可能な複数の就労ルールを整備した確実性の高い就労支援、生活保護対象の基準緩和((生活保護下からの自立を支援する様々な政策))などが求められる。それらの実現のためにも、個々人が苦境に耐えるのではなく協同して怒りの叫びをあげる必要がある。』とのことだ。


こういう見解は初めて見たので興味を持ってこちらにメモとして書き込むことにした。

問題は現在、平均的な共通社会意識が「ミクロ次元」の問題として認識するような社会環境に現状の日本にはあることが挙げられるかもしれないかな、と。

それは個々人が協同する機会が希薄化されているかもしれないことにも関連するだろう、とも思う。つまりインターネット((一例として挙げているだけで複数の現在00年代日本における様々な間人媒体がって話っす。かな))というような副次的生活主体がリアルな生活主体を希薄化させてそしてまた双方が空中分解たまま進行していっている現今の社会環境が、その機会・可能性をますます低下させたまま進んでいっている、のかな、と。

以上、歿。((こんなに引用していいのか(Φ皿Φ)クワ?って今ちょっと不安に思いながらさて外出します図書館とかに。ひきこもりが。))

ていうか今確認画面見たら脚注、使えてないじゃんorz

> anond:20070219094329

マクロにやっぱり見合った職が無いだけなんじゃないかと。

マクロに見合った職があるような経験っていうか教育を受けるマクロなものが無いってのもあるかもね。

ていうか両方じゃろうて。マクロミクロをますます。ミクロマクロをますます。じゃないかな。

いい感じに悪循環生み出してるからその分のマイナス部分を国がどうにかせんと負債としていつか暴落しちゃうぜってことでは。大量粛清としての自殺者の切捨てっていうのとかで(ry。うふっ。

2007-01-03

格差社会

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070103-00000148-mailo-l42

日本有数の繁華街新宿年末にこの街を訪れた。夕暮れ時、サラリーマン学生であふれていた。友人らと居酒屋に入ろうとしたが、どこも満員。4件目でようやく席が空いていたが「2時間制です」とくぎを刺された。

 そういえば、長崎では師走に入っても客足は伸びず、どの店の店主も渋い顔だった。裏金問題で自粛気味だった県庁職員に「忘年会はやって下さい」と知事が異例のメールを送ることもあった。

 都会への集中に歯止めが掛からない。人、金、そして教育も。人気が集中する都会の大学に進学するには、自宅から通学できる都会の若者が圧倒的に恵まれている。地方から都会の大学子供を出すには家賃を含め、月10万円を超える生活費が必要になるからだ。

 学力の前に親の財力が欠かせない。あるいは、親の犠牲と覚悟が必要になる。これも地方のハンディ、中央との格差なのだろう。

 大みそか長崎市浜町アーケード街。深夜になっても明かりは消えず、時折、着飾った若者やカップルが行き交う。降りたシャッターの前に段ボール箱が並べてある。ホームレス男性の寝床だ。

 五十歳代の前半。中学卒業して勤めた職場が数年前に閉鎖となり、以後、仕事はしていない。一度、この生活を始めると、抜け出すのは容易ではない。「住まいも携帯電話も持ってないんで雇ってくれる会社もない」

 兄弟が多かった。「お年玉なんか、もらったことがなかった」と子供のころの正月を振り返る。

 今の生活は、コンビニの期限切れの弁当を食糧に、昼は港のターミナルなどで寒さをしのぐ。夜は人けがなくなるアーケード街へ。「立ち去る前に使った場所をきれいにしておくことが礼儀だ」

 酔った若者千鳥足で通り掛かった。「あんなになるくらい飲んでみたいな」と男性は笑った。話すうちに午前0時を過ぎ、新年を迎えた。人通りも少なくなり、彼は“ベッド”に横になった。

 過疎と集中。チャンスがある者と無い者。持てる者と持たざる者。年末年始の華やかな時間にこそ「格差社会」を実感する。再チャレンジ政策も必要だが、一度もチャンスがない人たちがいることを忘れてはならない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん