2ちゃんの哲学板とかいつぞやはてブでヒットしたニセ科学の菊池誠さんのBlogじゃないがそこらへんでよく見かけるフマ?なる人物がプライベートモードに追い込んだらしい本田由紀という方が最近朝日新聞で何かの賞を取ってそこらへんの流れからかその人が時流自論を最近担当している記事を読むことがあるのだけれども今日の記事をザッと独断と偏見で引用してみる。
まとめるとこんな感じだった((まとめてるか、ちゃんと要約できているかはわからない))
こういう見解は初めて見たので興味を持ってこちらにメモとして書き込むことにした。
問題は現在、平均的な共通社会意識が「ミクロな次元」の問題として認識するような社会環境に現状の日本にはあることが挙げられるかもしれないかな、と。
それは個々人が協同する機会が希薄化されているかもしれないことにも関連するだろう、とも思う。つまりインターネット((一例として挙げているだけで複数の現在の00年代日本における様々な間人媒体がって話っす。かな))というような副次的生活主体がリアルな生活主体を希薄化させてそしてまた双方が空中分解したまま進行していっている現今の社会環境が、その機会・可能性をますます低下させたまま進んでいっている、のかな、と。
以上、歿。((こんなに引用していいのか(Φ皿Φ)クワ?って今ちょっと不安に思いながらさて外出します図書館とかに。ひきこもりが。))
マクロにやっぱり見合った職が無いだけなんじゃないかと。
マクロに見合った職があるような経験っていうか教育を受けるマクロなものが無いってのもあるかもね。
ていうか両方じゃろうて。マクロがミクロをますます。ミクロもマクロをますます。じゃないかな。
いい感じに悪循環生み出してるからその分のマイナスの部分を国がどうにかせんと負債としていつか暴落しちゃうぜってことでは。大量粛清としての自殺者の切捨てっていうのとかで(ry。うふっ。