はてなキーワード: ラッキーとは
去年まで開発にいたが、今年1月からSEに回されることになった。雰囲気も全然違うし、やりたいことが出来そうにもない。なので転職を考え始めた。一年前に休職してたときに応募した(体調不良だったので書類提出した後辞退)案件がもしかして残ってるかなと思ったら残ってた。これはラッキーと思って転職支援サイトに応募したら二日後に電話が来て面談に来てくれと。普通はネットでやりとりするものと思ってたのでかなりびびった。こちらは転職する心構えも出来てないのに。面談をしたのは若い女性。やりたいこととか転職のきっかけとか一通り話を聞いたらいくつか持ってきてくれた。N社はWebで申し込みをしたときに見つけた、一年前にも応募した職種。超がつくほど大企業。M社はその業界では有名なベンチャーで、募集してる職種も自分と近くて好印象。あと2つ持ってきたけどスキルが合わないようなのでパス。とりあえずこの二社を受けてみることにした。本命はN社のつもりだったので、「N社を先受けてダメだったらM社を受けてみます」とメールしたら、「M社の方があってるとおもいますよ。とりあえず両方受けてみませんか?」と言われたのでその通りにしてみた。履歴書や職務経歴書は一年前に作っていたので内容の追加確認だけで済んだ。あっちからは何も言われなかった。こういうところサポートしてくれないのかなぁ。
とりあえず今は書類選考待ちだが、困ったのは今の会社での仕事。上司から強制的に仕事が割り当てられるというのではなく、自分で候補を挙げたり候補を出してもらったりして最終的にはPMとの面接で決まる。もうすぐ退職するかもしれないのにと考えると積極的に参加する気にもならない。しかし積極的に仕事に参加するふりをしないと万一内定が出なかった時に困る。
こういう煩わしさから離れようとすると先に退職するしかないのだが、それだとすぐに転職先が決まらなかったときの金の問題も大きい。給料ももちろん、仕事も今より良くなる保証もないので安易に決めたくない。
困ったなー。
「テキトーな仕事してると能力主義だから給料下がっちゃうよ」みたいなことを刷り込まれたせいで
漠然と「ヤバい時代だなぁ」って思ってたわけ。
同級生で自分より優秀でも正社員になれずに正に「下流」になっているやつらもいっぱいる。
そんな中で自分はラッキーチャンスを得たのだから、自分でそれを手放すようなことはしたらマズいだろうと
思ったし、一生懸命がんばってきたつもり。
同業内で違う会社に移籍もして給料も並より多い程度はもらえるようになった。
でも終身雇用ではないし、自分のいる会社も安泰というわけでもない。
やっぱり将来への不安は消えない。
で、実際この年になってくると初めて査定権を持つようになって
ある人(年上)の減給提案を上司にすると
「そこまでの金額は下げれないよ」と言われた。
下げられたこともないから相場っていうものを知らなかったんだよね。
自分ではテキトーにやってたら簡単に下がるくらいの金額だと思っていたし、
なにも50%オフなんてムチャなこと言ったわけでもない。
え、出来ないんだ?
一応能力主義とはいいつつもやっぱ外資とちがってそこまでドライになれないもんなんだな。
まぁ確かにそれが原因で退職されちゃうと確かに代りを探すのは大変。それはすっごくわかる。
かといって率先して仕事をするほどの人でもないし。
まさにビミョーなポジション。
自分は管理職でその人はヒラ。
コストパフォーマンスが自分と明らかに違うだろ!と。
なんかズルいなぁ。
減らした分、自分に上乗せしてよ。
何回か昇進して、今までの上司が部下になった経験したけど
そこでその人が奮起して自分のポジションを奪いにくるかと思ってドキドキしながら
仕事してたけどそんなこと一回もなし。
それって今になって考えると
「別に減給とかされるわけではないから、まぁいいか。」って思ってたってことなのね。
むしろヒラのほうが責任がないから楽。
やっとナゾが解けた。
がんばれば昇給するけれど、テキトーにやっても減給はない。
したらがんばって身をすり減らさなくてもいーか。
みたいな考えになったんだろうね。
年取ってくると勢いもなくなってくるし。
じゃ、自分もそれで行きますわ。
とはなれないよ。
エラそうなこと言えば平均的な人よりは能力はあるのだろう。
かといって超能力は持ってない。
だから今の会社を辞めて完全能力主義の外資系に行けるとは思ってないし
儲かる業界へ転身するのは怖い。
カリッカリの状態で仕事できるほど自己犠牲の精神が高いわけでもない。
遊びたい時に遊びたいよね。
お金も欲しい。
自分は正にモヤモヤとした中流。
数キロあるものが落ちてきたんだ。
あなたも壊れたのがメガネだけでよかったとおもう。
猫も人の上に着地できてラッキーだろう。
だが、もしかしたら3階に人影が見えたりしなかったか?
自分たちのやっていることを手加減無しで批判できるのかという疑い。ブログをやってる人たちが、自分たちが肩入れしているものを議論したとしても、なんかいい話を見出して満足してしまうのではないか。
ブログってつまんなくなってませんか?ってフリには、検証のきっかけとして価値があったと思う。残念なのは、「おまえなんて事言ってんだ」というトーンが支配的になってしまったことと、振り出した側が、ブログがつまらなく変化してしまったとする諸要素を提示する前に及び腰になってしまった点だ。スパムブログに関する議論なんて当の昔に言い尽くされた話であり、誰しもが共通の敵としやすい対象で、安易な逃げ道だった。
「おまえなんて事言ってんだ」という側の人の多くは、ブログによって、何らかの、しかし大きなメリットを享受している人々。そういう人たちから強烈なブログ肯定論が出てくるのは当然。
一方で、ブログをやめた人、やれない人、やらない人のなかに、「ブログの限界」なるものとか、課題が含まれていると思われるけど、そういうサンプルはとってないし、紹介もされてない。
たとえば、
社員に毎月給料をはらうため、がんばっている事業主がいっていた。「ブログなんて、時間がある人ができる贅沢な趣味」
子どもが手のかかる年齢で寝る間すらない人いっていた。「ブロガーの集まりに呼ばれてただ飯食ったり、物もらったりってのはいいよねー(棒読み)ヒマで。全然共感できないけど」
こういう人たちって、間違ってる?
嫉妬に狂った悲しい人たちか?
マイノリティなんだろうか?
ときどき目にする「●●●というイベントに行ってきました」「●●●をもらいました」という記事は最悪だ。
イベントそのものが一般に開放された募集を行っていたり、参加基準が明確ならば、楽しそうだなと思ったら次の機会に参加できる。でも、「次のチャンス」が示されていないものなんて、期待も持てないし、関係性もない。つまり、読む価値が無い。「選ばれた自分て特別な存在なんですいいでしょすごいでしょ」とでも言いたいのか。
さらに「友達に誘ってもらった私ラッキー」「俺たちっていけてるよね」というクローズドなものにいたっては、閉鎖性ばかりが感じられる。このサークルに関わらないかぎり、その楽しそうなものは私たちと関係ないのね、と。微妙に上から物言ってる調子で書かれてると、何様だ。と思う。
この閉じたサークルが放つ特別感は、記者クラブの放つ排他的なイメージを似て、鼻をつまみたくなる。
ブロガーです。と名乗ると、そういう批判的な目線を浴びることを、そしてちょっと引かれてしまうことを、「なんでだろうね」と見つめてみないかぎり、ブログの存在感は今のままだと思う。
低俗なものを教えてください。
usbフラッシュメモリをポケットに入れて、持ち歩いて落としてしまったことがあった。
帰宅の道のりを探しにいったら、傷でぼろぼろになったメモリを見つけた。見つけたこと自体はラッキーではあった。
自転車で帰宅しているときに、滑り落ちたのだろう。
ひょっとすると車道に落とした可能性も高くて、その場合はくるまに轢かれ、踏み砕かれている心配もあった。
でも傷だらけでも、大きく破砕されているわけでもなく、家に帰って確かめたらちゃんと動いたんだ。
ただ落としただけではこれほど傷はつかないし、かといって車に踏まれたのなら破壊されているはずで、不思議な出来事だった。
丈夫そうなアルミ製の外装が、今もひしゃげたままになっている。
あるあるあるあるー!
時間が経って修復できるかもしれないよ。
…とまわりの大人たちに諭された。
今ならわかる。
もうこうなってしまったら
もがけばもがいた分だけ傷口を広げる確率のほうが高いんだ。
さらに時間が経てば修復できるなんて嘘だ。いや、できたら宝くじで特賞大当たり位のラッキーだ。
「もっかい話がしたい」…って「自分の」納得が行くまで話ができる希望なんて捨てたほうが良い。
その人だけが自分の友達の全てじゃないからね、
ちょっとすれ違っていて、合わなかっただけだよ!
反省するところを気をつければそのひととはダメでも次にやってきたひととは合うかもしれないよ!