はてなキーワード: あっとは
それはほんのちょっとしたいたずらだった。まさかそんなことになるとは、Cは夢にも思っていなかった。
先日学校からいじめバッジというのが全生徒と全職員に配られた。それをつけている者はいじめをしませんという証であり、それをつけていない者はいじめをされているという無言のメッセージを意味するらしい。しかしCのクラスでは、少なくともCの知る限りではいじめなんてなかったし、自分たちには関係のないものだと思っていた。それでも、教師がつけろというものだから皆仕方なくバッジをつけていた。
ある日の体育の授業開始時、Cは日直の仕事のため職員室へ行っていたため皆より少し遅れていた。授業開始のチャイムが鳴り、皆が出る頃に更衣室に入った。更衣室にはCが一人で取り残された。Cは焦って着替えていたが、そこでふと、友人Dの制服が目に入った。その襟元には例のバッジが光っている。Cの心に瞬間的にいたずら心が芽生えた。「このバッジを隠したらどうなるだろう」
DとCは自他共に認める親友同士だった。小学校以来の友人で、家族ぐるみの付き合いだった。よくふざけあったりしていたが、お互いに最も心を許せる友人だと思っていた。だからこそ、CはDにいたずらをしても許されると思っていた。
CはDの制服からバッジを取り外し、自分のポケットに入れた。バッジがなくなったことに気付いたDの焦った顔を想像するとニヤニヤとした笑みが浮かんでしまう。そこで「なんちゃってー」とバッジを出して笑いを取るという寸法だ。
体育の授業が終わり、皆が制服に着替え直す。しかしDはバッジがなくなっていることに気付かなかった。Dだけでなく、周りの誰もそのことに気がつかない。CはいつDが気付くかヤキモキしながらも、何も知らない風を装っていた。
次の授業は担任の受け持つ数学だった。担任が出席簿を見ながら点呼をはじめる。教室を見れば空いている席がないことなど一目瞭然なのだが、この担任はなぜかいつも一人一人の名前を読み上げる。そうやって生徒とコミュニケーションを取ってでもいるつもりなのだろうか。Cの名前が呼ばれ、少し後にDの名前も呼ばれた。Dがダルそうに返事をすると、そこで担任の点呼が止まった。
「おいD・・・。お前バッジはどうした?」
Dは最初、なんのことかわからないようだったが、すぐに自分の襟元をまさぐり、そこにあるべきものがないことに気付いた。Cはいまにも笑い出しそうだったが、必死に平静を装っていた。
「え・・・と・・・わかりません・・・」
Dが小さな声で答える。顔が真っ青になり、目がキョドっている。ここまで効果的だとは思わなかった。Cはそろそろ頃合だと思い、ネタばらしをしようとしたのだが、授業中のしんとしたこの重い雰囲気の中で「なんちゃって」を言い出すことができず、言葉を飲み込んでしまった。
「お前、いじめられているのか?」
「え・・・あ・・・」
Dはいつもの快活さを失い、どもりながら是とも非ともとれない返事をするだけだった。Cはいじいじしていた。ここで「違います」とか「なくしました」とか言えば、自分も「なんちゃって」が言い出せるのに。
「授業の後に俺のところに来い。ゆっくり話を聞いてやる」
「あ・・・ちが・・・」
「違う」と言ったようだったが、それは担任の耳には届かなかったようだった。クラスメートたちは哀れみや同情の目でDを見ていたように見えた。しかしどうやらそれだけではない空気も流れていた。「いじめられていたのか」「めんどくさいことしやがって」。誰かがそう言ったわけではないのだが、Cは皆がそんな風に思ってDを見ているように思えた。そしてCは、ますますネタ晴らしを言い出すことができなくなってしまった。
授業が終わった。今の数学がこの日最後の授業だったので、その後は掃除をして放課後だ。Dは掃除もそこそこに、担任のところに行くためか教室を出ていった。Cはもうニヤニヤしているどころではなかった。どうにかして誤解を解こうと思ったが、完全にタイミングを失ってしまっていた。ポケットの中のバッジを握る手は、嫌な汗でじっとりと濡れていた。Cは掃除が終わり、教室に人気がなくなったのを確認してから、Dの机の中にこっそりとバッジを返した。その後はDが戻ってくるのもまたず、逃げるように家に帰ってしまった。
翌日。Dはまだバッジをつけていなかった。机の中にバッジがあることに気付いていないのだろうか。しかし教科書の出し入れをしていたので、気付いていないはずはない。では意図的に付けていないのか、それとも本当にバッジがなくなってしまったのか。しかし暗い顔で俯いているDに、それを尋ねることはできなかった。Cは朝からDと言葉も交わすさず、ただじっと様子を見守っていることしかできなかった。
朝のホームルームがはじまる前、トイレに行っていたCは廊下で担任と出会った。適当に朝のあいさつをしたところ、担任がCにだけ聞こえるような声で「後で職員室に来い」と言った。担任は理由はいわなかった。心当たりがあるといえば、昨日のDの一件くらいだ。ホームルーム後に職員室に行くと、担任は人のいない談話室へとCを連れていき、話をはじめた。
「Dから聞いたが、お前、Dの物をよく隠したりするそうだな。お前はいたずらと思っているかもしれんが、それでDは深く傷ついていたらしい。昨日バッジを外していたのはそのためだそうだ。お前のいたずらが、Dにとってはいじめだったんだ」
Cはとてもショックだった。まさかDがそんなふうに思っていたなんて。確かによくふざけてものを隠したり、背中を叩いたり、スリーパーホールドかましたり、ノートに落書したりしていた。そういうことをDはいじめと受け取っていたのかもしれない。
Cはどんよりした気持ちで教室に帰った。いつもと変わらない教室のはずなのに、皆の視線が自分を責めているような気がする。いや、昨日の今日で職員室に呼ばれたのだ、皆薄々と感づいているのかもしれない。CはDの方を見た。Dは一人で席に座り、何をするでもなくじっと俯いている。Cはとにかく悪意がなかったことを告げ、許しを請おうとDの前に立った。深々と頭を下げ「ごめん!」と叫んだ。Dは俯いたまま、小刻みに肩を震わせている。泣いているのか、起こっているのかわからなかった。そして次の瞬間、
「なんちゃって!」
Dが吹き出し、大笑いをはじめた。教室中がDに注目する。
「俺の方が一枚上手だろ?」
Dはいつもの快活な表情に戻り、ニヤニヤと笑っていた。
ますますわからない。
俺はネタを書いて楽しんでいた下劣な人間ですが君に言ってませんでしたばれてごめんなさい。
これで何で彼女が傷つかないといかんのだ。過去は全部話さないといかんのか。元増田は質問に対して説明する必要はあっても(それは増田という人間を知りたいという意味だから)謝る必要なんてないじゃんか。
こいつ頭かたいな。笑えるぐらい。釣りで意図的なんだろうけどさ。
このことは、はてな内の書評サイトがライトノベルを一般文芸並みに(またはそれ以上に)取り上げることにも表れているように思います。一般文芸にはプロの書評家の書く「模範解答」が存在するために、書評が書きにくい。誰も見に来ない。ところが、ライトノベルというジャンルには書評家が不在のため、いくらでも好きなように書ける。そのために、書評サイトの方々は、論じやすい一般文芸作品を捨ててでも、ライトノベルを取り上げるのではないでしょうか。(大の大人がライトノベルしか読まないということは無いでしょうし)。
いいか。俺は一般文芸なんてうんこみたいにつまらないものは全然読まないが、ライトノベルは大量に読んでいる大の大人だ。
他人の書評を気にして書けないとかもありえない。
あなたはあなたの見えている世界のそのままが歪んではてなに表出していると思っているようだけど、全然違います。
あれは見えているそのままの世界です。
いい歳して漫画読んでアニメみてラノベに耽溺するようなあなたからみるとキモチワルイやつらがあつまっている箇所が存在するのが、はてなです。
あっちいけ。
【性犯罪撲滅宣言】「再犯、常習者はエスカレートする」 早い段階で「厳罰」必要 - MSN産経ニュース
本紙ホームページ「MSN産経ニュース」をみると、地方ニュースのアクセスランキングで上位を占めるのは、性犯罪を扱ったニュースばかり。情報の受け手に問題意識を持ってもらえたのか、単なる好奇心を満たしただけで終わってしまったのか。ニュースの発信者として気にかかるのは、性犯罪とその当事者に対する世間のまなざしだ。
性犯罪の被害者は、概して警察に届け出ることをためらう傾向が強い。「思いだしたくない」「世間に知られたら恥ずかしい」などの思いから、沈黙を守る女性は後を絶たない。聴取や公判をこなす過程で、不愉快な記憶を呼び起こし、その詳細を説明することは、苦痛が伴う作業だ。
また、周囲から「君にすきがあったんだろう」「あなたが挑発したんじゃないの」などと非難され、自責の念に苦しむ被害者も少なくない。露出狂に遭った場合は、被害者には深刻でも、周りに笑い話として受け流されてしまうこともある。
県警では、不幸にして性犯罪の被害に遭った場合、できる限り女性捜査員が対応するなど、被害者への配慮を心がけている。
県警捜査1課性犯罪捜査担当の女性警部補は「万一被害に遭ったら、自分自身が再び襲われないためにも、他の人が被害に遭わないためにも、泣き寝入りせず、絶対に警察に届けてほしい」と話す。
性犯罪の被害者を取り巻く環境は厳しい。司法関係者の行き届いた対応や、再犯を許さないシステムの構築はもちろん、周囲の好奇にとどまらない視線や被害者への理解が、被害届を出す勇気を後押しし、セカンド・ハラスメントを最小限にとどめることにつながるだろう。(豊田真由美)
http://anond.hatelabo.jp/20080214144925
いや、でも、ほら、ちょっとは高級イメージあったっぽいじゃないですか。その文章でも。誰でも持ってる、みたいなレベルではなかったんでは?
30年前にすでに1本100円でした。
アルバイトの1人も集まらなかったっぽくね。
結局、しなもんとジャックをご挨拶させただけで終わったのかな?
相変わらず迷走しているようにみえてハラハラするよ。はてなは。
走ってから考える。もしくは走りながら考えるタイプなのか?
経営層全員? www
はてなの営業分析とかしてきたけど、相変わらずビジネスロジックがみえない。
みえないというか、何を目指しているのかがまったくみえない。
まだ一昨年の方が「つながるサービス」とか、そういうビジョンがあったきがする。
去年のテーマを振り返ったときに、どう評価していいかわからない。
過去につくったサービスが衰退期にはいったものがでてきて資産が遺産に変わって重荷になりはじめた一年か?
アメリカ目指したのはアツかったんだけどな。
一年でどれくらい経営者としての見識やネットワークが広がったのだろうか。
いくらなんでも戦線をひろげすぎじゃないかな。
狭い範囲で動いてれば個人の能力で勝てる目もあるけど、兵站が確率できないまま戦線広げたら身動きとれなくなるだけじゃないかな。
何か考えがあるのだろうか?
競業相手とマーケットの奪い合いでユーザー数増える見込みないけどサービスの向上だけ要求されるという事態をあまり意識してないのかな?
サービス数も拠点数もちょっと保守、防御コストのことを考えると自分なんかはゾッとしてしまうが、いったいこれはなんだろう。
ノーガード作戦なのだろうか。
ユーザーの囲い込みを考えなければ保守コストも減らせるぜっ!って考えかなw
去年ははてなハイクとかスターとか既存のユーザーに訴求するものはあったけど新規ユーザーを引き寄せるものではなかったと思う。
あせっちゃうよね。。。
そんな状況で京都になんて分散してていいのかな……。
新しい収入モデルもつくれていない。
マーケットが伸びてる時期だから、こういうやり方あってるのかな・・・
せっかくうまくいってるのにもったいないとか思ってしまう。
わからん。。。
そっか、嫁の人は血縁で、おばあちゃんにそういう面倒を見てもらってたんだねえ。
お見舞いは、おねだりとか遺言関連とか、いろいろあるだろうから考えなかったんだけど
(これは他人が言うと嫌らしいから…)
多分、嫁の人は最強レベルでお金が大好きな人なのかもしれないね。
ただ、ちょっと気になったのが
介護してもらって当然とは俺も思わなかった。もし金が必要なら出すとも言ったし。
ってとこで、介護する人って肉体的にも金銭的にも大変なのはあるけど、
金よりも思いやりをくれって感じで、肉体労働でもないのにすごく追い詰められる。
(肉体労働の面もあるけどね。入浴とか)
だから、周囲からの「なんかあれば手伝うからね」とか「いつもありがとう、本当に助かってる」みたいな
ささいな言葉がすごくありがたい。
嫁の人には、そういう言葉があったのかなって、それが気になった。
ほんと妄想だけど、そういう言葉がもらえないと、ベクトルが逆走する可能性もあるのかな、とかね。
自分は介護する側だった人間で、いろいろ苦しめられたから、つい嫁の人に同情的になってしまうよ。
客観的に見れば、嫁の人の方がおかしいと思うんだけども。
ごめんね。
上手い文章って才能なの?
そうでもあり、またそうではない。上司に褒められる程度の、あるいは注目エントリーに入る程度の「上手い文章」ならば、いくつかの『文章読本』を読み、練習を重ねれば、まあ5割の人は書けるようになるだろう。元増田が言っている「上手い文章」はそういう次元にない。何せ引き合いに出しているのが漱石。100年を越えて読み継がれる漱石だ。もしあなたがプログラマーなら「100年後に読まれ、かつ賞賛されるコードが書けるか?」という喩えが近いかもしれない。そのたとえにならえば、前述した「上手い文章」はせいぜい「動くコード」でしかない。
そういう歴史的レベルでの「上手い文章」は、どうあっても修練じゃ書けない、という元増田の主張にぼくは賛成。やっぱりかれらには天与のリズム感、引き出しがある。とりあえず最近もっともぼくが「人種が違う」と思った作家の文章を挙げておくので、読んで判断してほしい。
補足しておくと、引用する文は『文章読本』的観点から言えば零点だ。
さらに補足。これがデビュー作の冒頭。
サンディエゴにはおよそ三百万人の市民が住んでいるが、そいつらがどういうわけだかいろんな怪我や病気を背負い込んでホッジ総合病院にやってくるから、ERにいる俺は馬車馬三頭分くらいハードに働いてそいつらを決められたところに追いやる。チャッチャッチャッ一丁上がり。チャッチャッチャッもう一丁。やることもリズムも板前の仕事に似ている。まな板の上の食材を料理するときのチャッチャッチャッチャッ。板前と違うのは奴らが切り開いたり切り刻んだりするだけのところを、俺達は最終的に全部元通りに縫い合わせてしまうっていうところだ。何かを一旦メチャクチャに傷付けてそれをまた元通りに戻すなんて作業をするのはこの世で外科医くらいのものじゃないか?多分そうだ。俺はこの仕事が好きだ。人の怪我を治せることが嬉しいんじゃない。忙しいからだ。俺は忙しく働いて手を動かしながら歩き回ったり走り回ったりするのが好きなのだ。
前に、増田で、僕と似たような悩み?を書いてた人がいたんだ
その人も承認されたくてやってるみたいな感じで、僕も凄く共感覚えて読んでたんだけど、そのエントリに対する反応は散々なもので、それを書いた増田はどう思ったか知らないけど、それに共感した僕はどこかそれにショックを受けた。
バカバカしいとか、中ニ病だとか、そんな気持ちでやるなんて(ryとか、それじゃ永遠に身体もたないよ、とか、かわいそうな人だとか……僕に言われたわけじゃないけど、まるっきり共感してた僕にとっては僕に言われたも同然に感じて、ショックだった。でもそれが引き金となって本格的に考えるようになった。
確かに、皆が言う通りバカバカしいのかもなって。
別にそのエントリが原因じゃなくて、多分心の底ではうっすら思ってたことだったんだと思うけど。
何にせよそれから本格的に「確かにバカみたいかもしれない」って思った。そんな事で苦労するのって。独り相撲だし。際限ないし。
なんか、エジソンの例まで出されて凄く美化されてる気がするけど、僕が凄いといわれたいから、っていうのは、そんな大層なものじゃなくて、単純に「僕が」すごいといわれたいだけで、他者への暖かい気持ちがあるわけじゃない。ただ賞賛を得たいのは、それが「僕を」飾り立てるものだからであって、他人を喜ばせたいからじゃない。僕がいい大学いったのも、それで親を喜ばせたいとかじゃなくて単純に「あいつは凄い奴だ」っていわれて有頂天になりたいだけ。変わった趣味を持ってるのもそれが楽しいからでも他人を喜ばせたいからでもなく単純に「あいつあんな変わった趣味までもっててマニアックだ」とか言われてみたいだけ。単純に「こんな僕」に酔ってるだけ。要するに。その酔いを得るために他人の賞賛を求める、その賞賛を求めるがゆえに行動してるってだけで、そんな全然大層なものじゃない(現に、僕と同じ思いを書いた人は叩かれまくってたしね。僕の表現が悪いんだと思う。今もどう表せばいいのか分からない)。
今年のバレンタイン、例年通り職場の方々へ手作りチョコを持って行く。
日頃お世話になっている方々への恩返しって意味合いなので、
数日遅れでチョコ渡すのってどうだろう?って悩んでたけど、
「チョコ作ったの?」って。
「うん、作ったよー」なんて答えてたけど、
これって、チョコ期待されてるってことかなぁ?
と、よい方に解釈して、遅くなってもちゃんと渡そうと思いました。
私の今年のバレンタインはこんな感じです。
http://anond.hatelabo.jp/20080214091040
元増田だが、確かに俺は鈍感な人間だ。それは認めよう。しかし、この件と「機微」が関係あるのか?
もう一度言うが、この話が「色恋沙汰」だと勘違いしてはいないかね?
俺が残念だと思ってるのは、親しい人間が現実の厳しさから目を背けて、刹那的な安易さに走ってしまったこと、そのことだけだ。だけれど、その「残念さ」というのはあなたが思っているようなことではない。
俺は、保護者でもない人間が利害関係もなしに、他人にあれこれ指図をして何かをやらせるということは傲慢であって誰の得にもならないと思っている。仮に今回の件で、俺が何か他の振る舞い方をした結果、あいつとの関係もそのままでなおかつあいつが試験に通ったとしても、それが一体なんだというのだ?あいつにとっては、親のいいなりが俺のいいなりに変わっただけで、何の進歩もないじゃないか。むしろ、自分の道も自分で決められないしんどい人間と一緒にいるのは俺自身が願い下げだね。
だから、あいつの進路はあいつ自身で決めるべきだと思うし、それは正しかったと確信している。その結果あいつが誤った選択をしたとしても、それは本人の問題であって俺の問題ではない。友人としては残念だが、俺自身の内面が傷つくことはあり得ない。
俺があの記事を通して書きたかったことは、「人間は安易な道を選ぶ」という一つの例だ。財産も能力も運もある人間が、目先の餌に釣られて簡単にチャンスをゴミ箱に捨てる。余りにももったいないことだ。大抵の人間は、険しい道を自分の足で切り開いて行くことこそが生に最大の充実をもたらすと言うことを知らないのだろうね。実際、「フラグ」だの「女に正論やめろ」だの、そんな甘っちょろいセリフを吐いてる人間が多かったということでその憶測は当たってしまっているように俺には思えるのだが。
まさかあなたがここのブクマでクダを巻いてるid:xevraのような屈折した根性の持ち主ではないとは思うので、真面目に書いてみた次第。
文学部に行って作家になろうと思っていたけど、『佳』に値するような賞をとることもできたけど、
いわゆる「上手い文章」を書くのは才能的に無理なんじゃないかと思ってしまった。
その頃からもうgdgd。自分で書けないならもう文芸に近寄っていても苦しいだけだと思って休学。
高校時代の第二志望だった工学部を再受験してエンジニアの道を選び今に至る。(ここで退学ではなく休学を選ぶあたりも痛すぎる)
だから、普通の小説はもちろん、ラノベを書いて生計がたっている人も俺は相当凄いと思っている。
よくスポーツの世界で「上に行ける奴は自分を全く疑わない奴だ」って言われるけど、
ブンガクの世界も一緒だな。あーあ。
たぶん今までほとんど全て僕は、他人に凄いといってもらうために色々やってきたような気がする
抽象的な話ですまないが
でも結局そうやって他人の賞賛が基準だと、それに振り回される
他人の思う事は自分には完全にコントロールはできない
それを躍起になってコントロールしようとすることがなんだかバカらしく感じられてきた。突然。
「他人に凄いと思って貰いたい」ということをモチベーションに、偉大な事業を成し遂げたり、人類史に残る仕事をした人はたくさんいると思う。たぶん「好きだから」という理由で偉大な事業を成し遂げたり人類史に残る仕事をしたりした人と同じくらい。
たとえば発明王エジソンのモチベーションなんてそうじゃないか。じゃなければ、なんであんなに色々な種類の「発明」をしなきゃならないのかさっぱり分からない。食べてくだけなら、ヒット商品2、3個出来ただけでいいはずだし、「したくてやってる」なら、もっと発明が特定の分野に偏ったって良いはずだと思うんだよね。だから、ああいう人のモチベーションは「人をびっくりさせたい」てな所にあったとしか思えないわけで。
もちろん「他人から凄いと評価される」ことを本当にばかばかしく感じ始めたのなら、それはそれで仕方ないけど、「本当は他人を喜ばせるのが好き」な人が、それをあきらめてしまうのはなんだかもったいないなとも思ったりするわけで。
それに、「他人を驚かせて楽しい」レベルのことなら、実は別にそんなにハードル高くない。手先が器用なら手品を趣味にしたっていいし、頭使うのが得意なら仕事で色々なアイデアを出す人に、ねばり強い性格ならやり手の営業マンになったっていいだろうし、集中力があるなら誰もがうんざりして投げ出すような仕事を短期間で仕上げても良い。楽しいと思うよ、そういうのって。
介護してもらって当然とは俺も思わなかった。もし金が必要なら出すとも言ったし(俺タラオ)。
で、入院した時点で施設に入れるしかないという話にはなってた。施設に入ってても家に外泊したり帰ってくることは可能だから。
祖母を引き取るという話は10年以上前にあったよ。でも本人にしてみれば死んだ祖父や子供達と暮らした家を出る気はなかったみたい。
嫁達の気持ちも実際分かる。ただね、実際祖母と嫁は血縁関係にあって(従姉妹)、縫製工場をやってたんだ。そこで祖母は何十年も働いて給料もとらず、家事や孫曾孫の面倒を見てたことを考えるとね…。助けるだけ助けてもらって弱くなったら投げ出すか!っていうのが皆の不満だと思う。
介護しなくても、家や土地を取られても、そこが帰る場所であり続ければまだよかったんだ。俺はただそれだけのせいで嫁達を許せない。
お見舞いの件は、まぁこれは書ききれない細かい事情があるので偏見としか思われないだろうから書かない。事実偏見の可能性もあるけど。
は、これだから餓鬼は(ぷ
見込みがありそうだから説教してやるぜ。所詮あがいたところでお前なんかクソ。なんだよ、その競走馬みたいな狭い視野。認められためにがんばってきた。なにそれ。笑うところ?井戸の外から空でも眺めてんのかよ。掃除機のホースかよ。トイレットペーパーの芯かよ。頼むから社会に出る前にそのケツの青いのを何とかしてくれ。迷惑だから。
ま、チャリでも買って春からあったかそうなところをてめえの足で走ってみるこった。世間広いから。お前の狭い視野と脳みそで測れねえくらい、世間も世界も広いから。
たぶん今までほとんど全て僕は、他人に凄いといってもらうために色々やってきたような気がする
抽象的な話ですまないが
でも結局そうやって他人の賞賛が基準だと、それに振り回される
他人の思う事は自分には完全にコントロールはできない
それを躍起になってコントロールしようとすることがなんだかバカらしく感じられてきた。突然。
いや突然じゃないか。徐々に実はそう言う気はしてた。でも僕からそれを奪ったら、何もなくなる気がして怖かった。だって僕は多分、心からただただ僕がやりたいものとか好きなものって無いんだ。趣味でもなんでも、好きじゃないわけじゃないけど、正直、それを趣味にしてる自分とかそれを好きだって言う自分が他人からどう見えるかっていうのを強烈に意識した上でのそれなんだよ。今までは別にそれでもいいと思っていたけど…
ていうかそもそも本当にすごいといってもらうためにやってたのか、最初から自己満だったのかもしれないよく分からない
でも正直いい大学へ入ったのは、完全に親とか他人から凄いと言われるから・自慢できるからであって別に立派な意思ありきじゃない。他の事もやっぱりそんなもん。でもそうやって頑張っても、他人から前よりももっと賞賛されるものをって思うとハードルはどんどん高くなっていくし、それに他人の賞賛の声も、狙ったとおり言わせられなくなっていって、疲れてきて、なんかバカらしいなと思うようになった。でもそれは逃げなのかもしれない。単に疲れたからバカらしいと思うことによって逃げているのかもしれない。
あーなんかわけわかんなくなってきた。
なんだか全ての意欲がなくなりそうで怖い。てかちょっとなくなりつつある。
元増田です。
(大家の旦那が老人ボケで自分の部屋に乗り込んでくる、具合悪くて寝てると大家が勝手に鍵開けて入ってくるなど。別の大家。別に延滞とかしてないのに…)
逆に隣人トラブルは経験ない。
基本的に借りる前、買う前に数回通って、住んでる住民層は把握しておく感じかな。
ストーカー系は、今のマンションだと鍵持ってないと入って来れないので安心。
ドア開ける前に受け付けと、ドア前とで2回確認できるし。
(ここらへんは分譲賃貸に住めばOKだろうけど)
とりあえず乙。気持ちが伝わるといいねえ。相手に楽しくおいしく食べてもらうのが一番。そういう気遣いは、自分なら嬉しいな。相手のことを考えて、そのとき一番すべきことを、だね。
いや、でも、ほら、ちょっとは高級イメージあったっぽいじゃないですか。その文章でも。誰でも持ってる、みたいなレベルではなかったんでは?
私たちが小学生のころは、すでにシャーペンは完全に出回ってたので。欲しいと思う対象ではない、というか。
そこらへんが関係してるのかなーと。
でもそんなトイレとかお風呂とかが三つも四つもある家に住みたいか?っていえば、「別に…」じゃない?私は「別に…」だな。だってトイレなんか三つ以上あっても無駄だよ。一回に一箇所しか使えないのに。豪華なお風呂とかはちょっとあこがれもするけど、普通に実家のお風呂で満足してる。足伸ばして入れるし。部屋だって、四人家族で2LDKとかは狭苦しい気もするけど、3LDKとか4LDKなら十分じゃない?そんなに広い家欲しい?私はいらない。掃除が面倒だし。自分用にちょっとしたプライベートスペースがあればそれでいい。
そもそも日本だって田舎に行ったらすごいよ。祖母宅なんか母屋10LDKくらいあった(というかそもそもこういう表記が虚しくなるほど、10畳20畳単位の部屋が余ってる)し、2LDKくらいの離れもあった。庭だって死ぬほど広い。駐車場なんかそこらへん全部自分のところの土地だから停め放題。
でも、最寄り駅まで車で二十分だ。車がなければ生活できないところなんだよ。外国って基本的そうじゃない?ニューヨークとかの都心部のマンションは、きっと日本と同じようなレベルだよ。
車でしか生活できないけど、広い家が持てるのと、電車で生活できるけど、狭い家しか持てないのなら、私は後者のほうがいい。車生活だと、おちおち酒も呑めないし。
一部のお金持ちは利便性のいいところに豪邸もってるけどね。でもこれは例外。それは外国も日本も同じだと思う。
そういえば家のそばのテニスコートつき豪邸が売りに出されたんだけど、そのお値段2億5千万!建物自体の値段は築年数からいっても0に等しいと推測されるので、多分土地だけのお値段かと思うけど、なかなか庶民には手は出せないかなーとは思う。
実家のそばは地価が高いので、家を買おうと思ったら4,5000万くらいはかかる。でも今勤めている場所の周辺はちょっと田舎なので、結構安い。2500万も出せば、駅からそう遠くない50坪くらいの土地が買えて、普通に一戸建ては建てれる感じ。実家と比較すると、むしろ「買いやすいなー」と私なんかは感じたりする。