はてなキーワード: あいちとは
なんだか上手いこと返事が思いつかなくて間があいちゃったけど、
お返事しないのもあれなので・・・(もう見てないような気もしますが・・・)
思うに、私は「分からない、どうしようもない」ということに、増田さんは「ではどうしたらいいのか」ということに、重きを置いて考えているようです。
そうですね・・・。自分はプラグマティック・・・というほどには上等でないんだけど、即物的な物の考え方しかできなくって、
そこで増田の意見を読み違えたり、よりややこしく解釈しちゃうところがあったのだと思います。そこは手間を掛けさせて申し訳なかったです。
その言葉を聞いて『「自分はなにを思えばいいのか」とそのための不可能や無意味について考える』ということについて
足りない頭で考えてみたんだけど、そちらの方面ではあまり上手く考えることができず、噛合った話ができそうにありません・・・。
どうやら抽象的思考の訓練が足りていないようです。お役に立てずすみません。。。
自分の関心はどうしても即物的な部分に限られてしまうようです。
ただ、そういう「分からない・どうしようもない」限界に目を向ける、という視点は新鮮でした。
事故・事件の体験を見たときの考え方が若干広がったように思います。その点、ありがとうございました。
いずれ、増田のどこかでまたお会いしたときにはお役に立てる話ができるといいなー。
ググったら日本のblogって1700万ぐらいあるらしい。2008年の調べで。
日本の人口が1億3000万とすると単純計算8人に一人がblogやってるってことだろう。
でも日本ってblogなんて言葉もほぼ知らないだろう65歳以上が2500万人だし幼稚園児とかはblogやらないだろうしと考えるといわゆるblogやりそうな年代は1億人として5人〜6人に一人か。
じゃあいちばんblogやってそうな10代後半から30代とかになると2人とか3人に一人やってないとおかしい?
20代後半の俺の周りにblogをやったことあるやつとかやってるやつなんてほとんどいないんだけど。
隠してるだけか。1700万の半分以上が業者とかそれとも一人で複数ってことか。
2chのユーザー数もモバゲーのユーザー数もmixiのユーザー数もニコニコ動画のユーザー数も1000万超えてるだろうらしいけどなんか自分の周囲見たときに実感が全く湧かないんだが。
はてなも100万人って。
かなり利用者が被っているとしてもこれを信じるなら日本の若者のほぼ全員がblogか2chかmixiかモバゲーかニコニコ動画かはてなやってるってことにならないか。
そんなことないだろう。
それとももしかすると日本の人口の1億3000万って数値がそもそも嘘か。
別に死んでても生きてても関係ないんだけど。友人でもないし。聞きたけりゃCD聴けばいいし、見たけりゃYouTubeでも何でも見りゃいいし。芸能人の訃報を聞いてショック受けてるのって、豚インフルエンザのニュースでドキドキしてんのと何も違わない。自分の身体に関係ある分だけ、豚の方が切実なくらい。
では、なぜ清志郎の方が切実になっちゃうのか? それは俺が身体だけで出来てるわけじゃないからだ。目に見えない部分に、巨大な影響を与える奴に昨夜死なれた(らしい)。
でもなあ、それでもなあ。別に清志郎のニューアルバムを聴けないことが致命的な訳でもないし、「夢助」だって試聴しただけで買わなかったし。だからまじで、死んだって別に関係ないはずなんだけど。ライブだって、最後の奴に行けたからラッキー、みたいな感じさえするし、「全快おめでとう、キヨシロー!」「みんなサンキュー!」ばっかの、あんなユルユルなライブはつまらない感じもするし。正直、また行きたいなんて思えなかった。だからもう二度とライブ見られないってのも、俺にとっては致命的じゃない。
じゃあなぜ? ショックよ?けっこう。しかも微妙に横っ面を引っ叩かれた感触もありーので。なんかちょっと自分の最近の生活態度を反省しちゃうかも、ぐらいの勢いで。
気にしてたんだよな、多分、いつも。勝手に生活の指針にしてた嫌いがある。俺は「人ごみに流されて変わっていく」のが不得意な人間なので(じゃなきゃGWにこんなことグダグダ書いてない)、清志郎のように人ごみとバリバリ摩擦してる奴が大好きだったのだ。しかも清志郎の目は、どんどんクシャクシャになっていく頬の皮膚とは対照的に、いつまでたってもチンパンジーのように澄み切っていた。まさに矢野顕子の言う「心の美しさが歌に表れている人」、或いは渋谷陽一の言う「凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった」人だった。そういう奴はあまりこの世の中にいなかったのでね。つい好きになっちまった訳ですよ。
なんで会ったこともない話したこともない奴の、そんな内面みたいなことについて知ったふりをしているのか? それはもう「歌に表れている」としか言いようがない訳で。「ヒッピーに捧ぐ」でも「雨上がりの夜空に」でも「トランジスタラジオ」でも、はたまた「ワザト」でも「石井さん」でも「激しい雨」でも、とにかくなんでも、彼の心のいろんな目に見えない部分が、声になって出ていた。誰でもそうなのかは良く分からないけど、心の中をそのまま声に出す奴がいると、そいつがめちゃめちゃ愛おしくなるな。そしてそれを聴いて、俺も何かを声に出して歌いたくなったのだった。犬の遠吠え合戦みたいなもんだ。愛し合いたかったんだな。俺と清志郎はそんな関係だった。だからリアルで友人じゃなくても、死なれるとぽっかり穴があいちゃうのです。
【はじめに】
投稿者にも該当しうるのでUPする。
杉山登志郎(すぎやま としろう)あいち小児保健医療総合センター心療科部長(児童精神科医)
これまで、高機能広汎性発達障害は圧倒的に過小診断が問題となっていた。代表は、学習障害(LD)と高機能広汎性発達障害との異同に関する問題であるが、自分の中では、これは既に決着済みと勝手に考えている。非言語性学習障害の診断は、発達性協調運動障害以外は、ほぼ全て広汎性発達障害(高機能に限らない!)、学習障害の診断の相当数も広汎性発達障害の児童である。静岡に来て一番最初に受けたショック(筆者はつい先ごろまで静岡大学で教鞭をとっていた-編集部注)は、学習障害のメッカと呼ばれている県内某医療機関で診断を受けた学習障害児が、ほぼもれなく広汎性発達障害という診断も可能な児童であったことであった。ただし、国際的診断基準では、広汎性発達障害と学習障害との合併は診断の併記となっているので、これは片方の診断を見逃していただけと考えることもできる。最近は、注意欠陥多動性障害(ADHD)という診断をもらっている高機能広汎性発達障害の児童が目につく。この場合は、後者が優先診断になるので、誤診ということになる。注意欠陥多動性障害なのに、成績が良く、人嫌いで孤立が好き、といった児童の場合は、診断を見直してみる必要がある。
しかし、ごく最近になって、逆の例が目立つようになった。高機能自閉症の自己診断、あるいはアスペルガー症候群の誤診である。前者(自己診断)は、ほぼ例外なく「自閉症だった私へ」(ドナ・ウイリアムズ著、新潮社)を読んで、「自分は自閉症だったんだ」と自己診断をした人である。しかし、そのような場合に、実際に本人に会ってみると、ほとんどは対人恐怖、境界性人格障害、さらに分裂病圏病態の診断がつく人たちで、その中で本当の高機能者は10人に2人もいなかった。後者(誤診)の例では、自閉症の治療経験のない成人精神科医が、アスペルガー症候群の診断を下している場合が多い。
まず「自閉症だった私へ」であるが、そもそも自閉症圏の人たちは、書いたものから受ける印象と実際に会った時の印象は、相当に違うものである。文章の方が、何というか、ずっと普通の印象を与える。さらに翻訳の問題があり、極めて読みにくい原文に比べると、あまりにこなれた日本語になり過ぎている。しかし、映像だと一変する。例えば、ドナ・ウイリアムズのドキュメントを見て、「君が教えてくれたこと」(TBS系列放送ドラマ)を見て、テンプル・グランディン(邦訳「我、自閉症に生まれて」、学研)に会ってみて、「自分はどうもそうらしい」という場合には、自己診断でもほとんど誤診がない!
自閉症圏の方々の持つ社会性障害にしろ、コミュニケーションの障害にしろ、対人的な実際の動きの中で立ち現れるものである。高機能自閉症にしてもアスペルガー症候群にしても(通称アスペと呼ばれる)、基本的な問題は自閉症と同一であり、自閉症に接しなれた人間であれば、数分言葉を交わしただけで、それと分かる独特のずれを抱えている。この部分が、文章からだけでは伝わらないのであろう。
だがもっと憂鬱なのは、この自称アスペたちが、周りに著しく迷惑を掛けていることである。ニキ・リンコさんやペンギンさん(ペンギンクラブ)といった本当の高機能者のホームページに、偽アスペの方々が乗り込んで、「おまえは本当には存在しない」などといった、非常に攻撃的な文章をまき散らす。ニキさんら、本アスペの人たちは、「そう言われると、ここにいる私は本当は存在しないのかしら」などと、いかにも彼ららしく悩んでしまう。アスペの人々は、基本的に悪意がもてない人たちである。彼らが攻撃的になるときは、極めて具体的な被害念慮に基づくものである。偽アスペは、文章を見ただけで分かるのであるが……。
一つの診断概念が定着するには、試行錯誤期間が必要だとしても、しばらく憂鬱な日々が続きそうである。
【ソース】
多数派か少数派かは分からんけど、俺は結構使うなぁ、アレ
ちょっと歯にスキマがあいちゃってる部分があるのでな…
食後に楊枝使うのはおじさんに多い気がする(根拠はない)から、若者には不人気なのかもね
ちなみに俺はおじさん。
それは大阪府が勝手にやった事だと思うけど。いかにもお役所仕事だとは思うが。
そこで、実際にありもしない「女性団体の抗議」と言う話を持ち出すのは何故?
赤ランドセルの廃止とかもね
今回のニュースのせいで検索には引っかかりにくくなっているが
男女統一のトイレマークは、1996年に県の女性総合センター(ウィルあいち)が、男女とも文字だけの表示を採用したのをきっかけに広がった
まぁ、「それは大阪府が勝手にやった事だと思うけど。」と言うか
女性総合センターだけにコチコチの主義者の担当役人がやったんじゃない?
フェミ団体はサヨクと同根で役所勤めは多いからな。
I'm lovin' it.
そもそも、Mクドナルドの「I'm lovin' it.」ってどうなんだ。
【他動】
(人)を愛する、(人)に愛情{あいじょう}を抱く
・Love me, love my dog. : 誰かを好きになるとその人のものすべてが好きになる。/あばたもえくぼ。◆聖ベルナルド修道院長教会博士(Saint Bernard of Clairvaux, 1090??1153年)のラテン語の言葉(Que me amat, amet et canem menum.=Who loves me will love my dog also.)を訳したもの。
・Love your neighbor, yet pull not down your hedge. : 隣人を愛しなさい。しかし慎みを持って接しなさい。◆イギリスの詩人George Herbert(1593??1633年)の格言。
(人)に性的{せいてき}な関心{かんしん}[欲望{よくぼう}]を抱く
??に愛着{あいちゃく}を抱く、??に強い関心{かんしん}がある、??にほれ込む
・I love that song. : あの歌、大好きなんだ。
・You'll love it. : 絶対気に入るよ。
(人)を抱き締める、(人)を愛撫{あいぶ}する
(人)とセックスする◆やや古めかしい表現。
??が大好きである、??をしたいと強く思う
・You're going to love working here. : 君はここで働くのがきっと好きになるよ。
??が必要{ひつよう}である、??で育つ
・This plant loves fertile soil and lots of sun. : この植物には豊かな土壌と太陽が必要である。
「愛する」「関心を抱く」「愛着を抱く」などの意味で使われるloveは状態動詞で、進行形不可なんじゃないのか?「私はリンゴが好き」を「I like an apple.」と言って「I'm liking an apple.」と言わないように、「愛しているよ」は「I love you.」であって「I'm loving you.」とは言わないだろう。
同様に考えて、「必要である」も進行形はとれないだろう。
とすると、「I'm loving it.」の「love」は「抱きしめる」「愛撫する」「セックスする」という意味になってしまうと思うのだが…
(e g a c h a n とか関係ないです)
プログラミング始めた頃なんて、セキュリティも何も知らないけど、自分でサービスを作って公開したい!とか思うわけじゃないですか。
それでサービス作って、公開して、XSS!XSS!とか騒がれて、直して、そうやって成長していくわけですよ。(直さないやつは問題だけど)
そうやって成長していっても、やっぱ基本的なセキュリティ問題をやっちゃうときもあるわけで、
たまたまやっちゃったそれを「前に指摘したのに直してない!」とかいうやつは何なの?完璧な人間なの?
ブログでそうやって言う前に、自分でサービス作るとか、してるの?
言うんだったら、「直してない!」じゃなくて、「ここまた穴あいちゃってるよー」とか言ってあげれば済むんじゃないの?
誰も XSS 起こしたいなんて思ってないでしょ。
あと「直してない!」とか言うんなら、たまたま引き起こしちゃうような基本的なミスを絶対に阻止できる方法を、きちんと書くべきだと思う。