2024-09-12

種籾が食べ物しか見えないモヒカンタイプなのに、それを奪い取る力を持ってる訳でもない。

こんな考えのままでは幸せになれない気がしてならい

いつかの実りへの期待を糧に今を耐ぶのがザコよりもザコい人間に相応しい幸せのあり方なんだろうとは思う。結果がどうあれ、その日々の中で感じる物事にこそ人生面白みがあるのかもしれない。もし種が実る日が訪れたらそんなに素晴らしいことはない。

でもそんなさもしい生き方が嫌で嫌でしかたない。

与えられたものだけでは足りず、足りないものを得る営みからは避けられない。

りある人生時間をそれだけに費やして終わるのがおそろしくてたまらない。欲を捨てれば全て解決だけれど、それは戦わなければ負けないという発想でしかない。不戦勝よりも不戦敗に思える。

バランス大事で、悩んでいる時間で色々やったらいいというのは百も承知なのだけれど。それが中々出来ないから悩ましい。成熟した大人というのは読んだ本の数よりも社交性の高さよりも、それが出来るか否かなんだろうと思う。

まあ今は世紀末世界ではないし、食うだけならそんなに難しいことではない。

しかし人はパンのみにて生きるにあらず。愛にはこだわらないが、自分人生に満足していたい。面白い事を沢山したい。

メシを食い、再びメシを食うための営みに励むだけじゃ納得出来ない。

パンサーカスだ。色んなサーカスがある。見るか演じるかして興じる中に、ただ存在するだけの生以上の充足が待っているように思えてならない。

金がかからないものもあれば、沢山必要ものもある。

金を存分に使って楽しみを買い集める事だけが人生ではないのだろうけれど、だからと言ってそれが無駄という事にもならない。せっかく生きているのだからそういう楽しみ方だってしてみたい。

でも金はない。金がないなりの楽しみにかまけて、それすらも金を稼ぐための日々に追われて中々楽しめず、不満たらたらのまま死んでいくのは怖いですねえ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん