一般的にネット民、ネットユーザーとしてネット上に文章を残す人達が存在するが、
ネット上に文章を残すには、それに相応しい自己肯定感や承認欲求があると思っている。自己肯定感については、よくネット上で自己肯定感がないといった文言を見る。しかしそれを全世界に垂れ流してる時点で変な感じがする。自己肯定感があった頃は何とも思っていなかったが、自己肯定感がなくなりそうな私は自分がネット上に文章を残すこと自体汚らわしいことだと感じ始めたからだ。一部のサービスでは辞めた。また、言葉を検索すると自分の存在が出てくるから、場合によってはそれを意識しなければならない。自分の主張を発信する際に、それが特に恐ろしいことではないだろうか?検索という不特定多数の人が行う行為に自分の存在を押し出すということに恐怖感を感じ始めた。そこで、検索をあまり意識しない(最低限のモラルは守っている)スタイルで全世界にキモ言動をしていた過去の自分が恐ろしく感じ始めた。自分の過去の発言はどうあがいてもキモくて自己主張してはならないものだという意識が根付き始めたからだ。その文章は消したが、ツイッターYouTubeニコニコ2chなどで自分を押し出すことに専念していた頃の自分が怖くてたまらない。そこで私の今はネット界隈の中で自分を押し殺すことに専念し、発信することを辞めたいと思っている。この文章もキモいかもしれない。ネットに文章を残さず、見るだけの人達、その人達はかなり賢いのではないだろうかという考えが浮かんだ。