酉島伝法の小説「皆勤の徒」のオマージュっぽいキャラクターや用語設定が出てくる。
もふもふの飼い主ヴュヌヴェヨヮは皆勤の徒の社長のイメージだな、
ネーミングは「グョヴレウウンン」の音の感じを再現しようとしてるんだな、
とか思って読むのはそれなりに楽しいし、オマージュはうれしいんだけど、
ほんのちょっとだけ「自分が小説(皆勤の徒)を読んで想像した世界よりも簡略化されているように見えてなんだかいやだな」という気持ちがある。
気持ちとしては「『病める惑星より愛を込めて』は面白い/『皆勤の徒』のオマージュはうれしい」というポジティブ感情が9割で、「ちょっといやだな」が1割ぐらいなんだが、どうもこのいやさが無視できなくてとりあえず増田に書きにきた。
というかここまで書いて気づいたが、どうも自分は「病める惑星より愛を込めて」のヒューマンドラマ要素にあまり興味がないのかもしれない。
「心を病んで自殺することが当たり前になっている世界」に、架空の宗教と歴史と社会設定、もふもふで(脳の電気信号を強制的にいじられて)癒されながら生きる人たちの人間模様。
設定はすごく好きなんだ。ヒューマンドラマも魅力的に描かれていると思う。ただ、読んでもあんまり自分の心は動いていない。わざわざ増田に書きに来るぐらいの衝動はあるのにね。なんだろうね。理不尽だね。