言語はそもそもコミュニケーションのための道具(テクノロジーの一種)。
たとえるならショベルカーなどの重機を使って自分の頭の中を再現するような行為。
別に重機じゃなくてもモールス信号とか発光信号とか車のクラクションとかなんでもいいだけど。
その自分の中の想起とは全く異質のテクノロジーを使用して自分の頭の中を再現することは実質的に不可能だ。
そういえば以前、「論理的思考の放棄」という題で天才プログラマーが如何に言語で思考することが非効率的で無駄であるかを語ろうとしたことがあったな。
そういうことにも繋がる話なのかな。
私は今この言葉を文章として書いているけれど、なぜこの言葉が私の頭の中から湧き出てくるのかを説明することは非常に困難である。
私の中の意図、というものはある程度汲み取ってくれているようなんだけれど、それがどのような仕組みによって言語化されているのかはよくわからない。
便所の落書き