https://twitter.com/9YugVF2F2FKD6u0/status/1426162758626672641?s=20
これを描いたのがもしスルメロック辺りなら、酷いミソジニーを表現し、伝えようとした作品だと思うし、批判されても仕方が無いだろう。でも実際にはそうじゃない。この作者は、「シュールギャグ」「不条理ギャグ」を得意とする作風の方だ。この作品についても、「判断力のない男の顛末」も含めての笑いどころなのだろう。
こうしてすぐ噛み付くバカが批判されるのは、「論理性のなさ」故じゃない。
「無知」と「偏見」と「想像力のなさ」を批判されているんだよ。
自分に都合のいい世界観で、自分に都合のいい仮定を設定して生きているから批判されるんだよ。他者を人間扱いしないで、他者の想いを汲み取ろうとしないで、刺激に反応を返す機械のように扱って、自分勝手な「解釈」の色眼鏡で他者をジャッジしたがるから批判されるんだよ。
「もしも作者がミソジニストなら」、たしかにこの作品はミソジニー表現なのだろう。でも、実際にはそうじゃない。「もしも作者がミソジニストなら」という仮定は、あなたが勝手に設定したものだ。「もしも作者がミソジニストなら、この作品はミソジニー表現で、だから作者はミソジニストである」と循環論法を無限に繰り返すことで、憎悪を増幅させているのだろう。トランジスタが電流を増幅させるように。