東京五輪を契機に、小山田圭吾と村上清によるQJの連載企画『いじめ紀行』が再読されるようになったことで、急にサブカル業界人たちが訳知り顔で「これから自分たちも考え直していかなければいけない、問題に向き合っていかなければならない」等と語り始めたが、非常に空虚な物言いだなと思う。
この手の「これから考えていかねば」と言うサブカル業界人たちは「自分たちが考えたことを何ヶ月以内に一先ずまとめ、中間発表を行い、それに対する世間の反応を集約して公表する。それを元に再び考える。このサイクルを半年〜一年周期で定期的・永続的に反復・継続していく」とか「過ちを仕出かさないためにも、具体的なプロトコルを制定し、取材や執筆がそれに則るものかを部外者の目でチェックする機構を設ける」といった、具体的な行動指針を示すことは決して無い。
何か抽象的に「これから考えていかないといけないよねえ」「そうだよねえ」「自分たちは考えている」とブツブツ言いつつ、なし崩し的に年月だけが経過し、そして再び似たような間違いを繰り返す。
ライターや編集者に個人任せで、具体性に欠けたフワフワした「考えます」的なお気持ちポエムでは、最早サブカル業界の腐敗は無くせないと、まだ自覚していないようだ。