私は医療従事者。ワクチン接種が職場で呼びかけられたが接種しなかった。理由は小さな子供を育てているから。
ワクチン接種で死んでしまうリスクがあるのと、コロナにかかって死んでしまうリスクを天秤にかけて、後者を選択した。でも、接種したくないとは言えなかった。死にたくないとは言えなかった。
今度、私の親がワクチン接種の選択に迫られている。高齢であり、既往症があって、血栓のリスクがある。ワクチンの種類は選べない。
生死の選択を迫られている。今、死のリスクに挑むのか、後日死のリスクにさらされるのか?周囲に死をもたらす存在になるのか?
親は孫に会えていない。1歳児の可愛い盛りなのに、生まれてから1度しか会えてない。
「ワクチン接種したらいけるかな、でも感染させたら悪いし、やめとくかな」なんて悩んでいるらしい。私も悩ましい。
私はワクチン接種を選ばなかった。その選択の結果を周囲に話すことはできない。「ワクチン接種しなかった」は、「悪いやつ」とみなされて迫害されるからだ。
「どれくらいの死のリスクか?」を知らしめて判断をしてもらおうとした野党議員の問い合わせを「自分で調べろ」「税金の無駄遣い」と叩く人たち。
彼らは何でも叩ければ満足。ストレスがたまっていてそのはけ口なんだろう。
そういうストレスのはけ口を探している人からすると、ワクチン接種を回避した私なんか格好の的だ。