「自宅で死亡している人を発見したニュース」を見るといつも思う。
人が死んだら、勿論とりあえず悼む。
だから皆悼むよね。惜しいとか、ご冥福をお祈りいたしますとか言ってる。
でも死んだ人間がいると同時に、必ずそれを発見した人間が存在していることになる。俺はそっちの方がいつも気になる。
冷静に考えて、人が死ぬところ発見する事自体が最悪すぎる。一生物のトラウマになる。
知らないオッサンが突然の心臓発作で息絶え、そこの辺に道端に転がってたとしても既にキツい。
加えて例えば今回の例で言えば、
・少なくとも自宅に尋ねられるぐらいには既知(多分マネージャーとか)
・見慣れた扉を開けるとそこには慣れ親しんだイケメンがグロい肉塊となった物体が!!
最悪だ。最悪すぎる。イメージするだけで吐き気がする。グロ死体の段階で嫌なのに、しかも生きてる頃をよく知っている人なら。
我々国民の中には、「ショック……頭真っ白……」とニュースの文字情報のみを受け取っても頭が真っ白になる人間がいるぐらいだ。
もし、目の前でそれを見てしまったらそれはいったいどんな衝撃なのか。
三浦春馬がどんな可哀想な目にあってこうなってしまったのかは分からないし、それを軽視するわけではない。
が、首を吊った三浦春馬を見つけた人はまだ生きているはずだ。
今も生前の三浦春馬と、グロ死体が頭の中に交互にフラッシュバックしながら、動悸息切れが止まらずに震えているのではないだろうか。
首吊り自殺した三浦春馬の死体、当たり前だけど見たくねえな
うちの義父は縊死したが、第一発見者は夫だった。夫に三浦春馬の報道は見て欲しくない……。
自殺した身内の死体は想像の倍どころじゃない衝撃受けました。 当然葬式用に顔も整えられてないし。 自分は警察で見ますか?と言われて多少覚悟を決めて見て、それでも衝撃を受けた...