大地震や核の怖いところは、いつ来るか分からないことの怖さより、巻き込まれて生き残ってしまった場合が残酷すぎるからじゃないか?
例えば、交通事故で死にかけたとしても、近くの病院がしっかり機能していれば後遺症無く退院できる望みが高い。
ただ、大地震で死にかけた負った場合は絶望が待っている。十分な医療処置は望めないどころか、瓦礫に埋もれたりして自分が死にかけていることを人に気付いてもらえるかもわからない。よしんば誰かに気付いてもらえたとして、助けてくれる保証だって無い。
核の場合は、仮に被爆して生きてたとしても、皮膚がドロドロに溶けたりガラスが突き刺さってり、そんなボロボロになった自分の身体を引きずりながら、ひたすら水を求めるだけの怪物になるしかないんだ。
五体満足で生きてたとしても、被災地住民はかつての福島のように他の地方から差別を受ける。
精神に食らうダメージがケタ違いだということを、沢山の経験者が鮮明に語ってきたからこそ、未経験者はその具体性に怯えることができる。
一方で餅での死は、死んじゃってる場合その辛さが語られることはないし、笑い話になっちゃうことが多いからいまいち怖さが伝わりにくい。
日常死ぬ確率は自動車や餅の方が圧倒的に高いのに
大地震や核の怖いところは、いつ来るか分からないことの怖さより、巻き込まれて生き残ってしまった場合が残酷すぎるからじゃないか? 例えば、交通事故で死にかけたとしても、近く...