差別発言が取りざたされる世の中である。発言の一部である比喩表現等の額面を取り上げて「それは差別だ。差別意識がある人間はそもそも発言の権利がない」とする。そのときもう発言の中身を聞かないことが咎められることはない。議論の場で話を聞かないなんてあり得ないのだ。議論の場で差別表現を行うことはあり得ないという錦のはたを高々と掲げ、話を聞かないことを正当化する。違うだろ。本来はバランスだ。発言があまりにも差別を根拠にしたものであれば糾弾すべきで、言葉のあやレベルのものであれば指摘はした上で話を進めるべきだ。議論で相手の意見を封殺することは言論の暴力だ。差別というラベルで暴力を安易に肯定するな。
世界中で発生している差別問題は深刻だ。しかしその深刻さを盾にとって暴力を振るうような真似をする行為は最低だ。差別を利用するな。議論を進めろ。
そりゃあ「聞いた側がどう思うかが大切」なんてクソ理論を持ち上げておいて、その先に何があるかなんて誰もがわかってたはずでしょうよ
ちょっと違う話だけどタイトル釣りのやつは本文読まずに叩かれて当然だと思う
吉村知事と大村知事の小競り合いを見ていれば どう見せるかが全部だと 増田村の村民でなくても誰でもわかるさ
だが考えてみてほしい 「何が言いたいか」に基づく発言 と 「どう思われたいか」に基づく発言 両者の違いはそう明瞭なものではない