2020-05-24

差別は悪意とは限らない

私は四国田舎町に住んでいる。

伝え聞く話では昭和初期あたりまでの部落差別は必ずしも偏見によるものというわけではなかったようだ。

その手の情報は正確な記録がなく口頭伝承によるので主観も大いにあるだろうという前提は置いていただきたい。


いわゆる被差別民たちは徒党を組んで暴力行為脅迫などを日常的にやっていたので遠ざける必要があった。

(私自身は被差別民問題行動もそれに対する差別的な扱いも見たことは一度もない。)

からといって被差別民悪者だったとも言えない。

彼らがそういう生き方しか知らない、出来ないところまで追い込まれたのは差別故だからだ。

負のスパイラルというやつだ。


差別していた側も実害に対して対処しただけだ。

ここには間違いなく差別はあったのだが、その行動は同時に当然の防衛でもあった。

当事者の誰も悪くないという状況でも差別存在しうるのである


差別社会構造だ。

誰かの悪意によって起こるとは限らない。

個人良識に訴えてどうにかなるような差別はそれほどないと思う。

社会構造として定着した差別は大きな力が必要で、少しづしか変えられない。

でも、きっと少しづつは良くなるだろうと私は信じてもいる。

  • うんち

  • だからゲーテッドコミュニティの中に住んでて、被差別属性持ちの上澄みだけと付き合って、そういう危ないDQNとはハナから接点持つ気もないような輩が 「 差 別 は い け な ...

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