2020-05-03

岡村さんが矢部さんから説教されてるのを聞いて自分が叱られていると

同じ考えを持っているという意味じゃない。

私はそこそこはその辺のリテラシーは多少はある方だ。

その、性差別やら貧困搾取ということではなくて、何か失敗をやらかした時に、自身がその失敗を認めざるを得ない状況で、自分を責める以外に方法がない時、あの辛さはほんとに逃げたくなる。

ところが、批判者は逃げるのを許さない。問題と向き合え、駄目な自分と向き合え、反省しろ自分を変えろ、と責め立てる。

お前は甘えているんだ、何様だと思っているんだ、しっかり考えろ……。

はいはい、仰るとおりです。申し訳ございません。二度といたしません。すみません。私が悪かったと思います……」

これを本気で真摯にやれ、というのは完全に自己否定である

でも、それでも「お前は分かっていない」と見られ、言われるものから、言われていることをわかろうとし、必死で考えて、「そうかも知れないですね」と捻り出した返事を、「かも知れないじゃないだろ?」とさらに怒られる。

分かってないから、「かも知れない」と分かってないことを吐露しているのに、分かってないことを責め立てられる。

それで、「分かりました」とでも言おうものなら、「嘘を付くな! 分かってたらそんな事をするはずはないだろ!」とこれまた責め立てられる。

こうして道を塞がれ、退路を断たれ、責め立てられることを許容し、ボコボコにされなければならなくなる。

 

自分が悪かった、ということを認めよ、というのはこういう構図なのである。そして、これを延々と「あの時お前は悪いと認めたであろう」と十字架まで背負わされるのだ。

 

私は社会でいろいろな人に怒られたし、こうした体験を何度も繰り返してきた。

その度に謝罪反省し、それでもなお、色んな人からガンガン怒られる。

多分そんな人は珍しいどころか、そんなダメ人間世界に私くらいしかいないような気にもなる。

それでも死んじゃ駄目だ、挫けちゃ駄目だと何とか踏ん張って生きている。

逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ……

その繰り返しは今もなお続いている

  • そもそも分かってないなら勇気を持って「わかりません、教えてください」て言えばいいんじゃないの。 「かもしれないですね」なんてのは理解する気もなく、逃げてるように聞こえて...

    • 詰めるってなに?

    • そもそも分かってないなら勇気を持って「わかりません、教えてください」て言えばいいんじゃないの。 その前にとくとくと説教されるんだよ。「説教」って言葉分かってんの? 「...

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