岡村隆史が「女性がコロナで経済的に困窮するのが楽しみ」と発言したかのように思い込んで怒っている人がいるがそれは論理的に違う。
もしそのような発言をしたのなら災害で人の不幸を楽しむのはどうなのと叩かれても仕方がないと自分も思うが。
の2点。楽しみなのは前者であって後者はその理由付け。後者に言明したのが賢くないという点はおいて、別に後者自体が楽しみとは特段考えていない。自分にとって喜ばしいことが起きる起源全てを喜ばしいことと考えているという主張にはひどい論理の飛躍がある。
例えば「Amazonで早く注文が届くのが楽しみ、Amazonは届くの早いよね」という人がいたとする。意識の高い人の中にはAmazon倉庫の労働者の過重労働を促進するとして非難する人もいるだろう。だが楽しみな人の眼中にあるのはAmazonから届く商品であって、Amazon倉庫の労働者の苦しみを楽しんでいるというのには無理があるだろう。この例と同じく岡村は深いところで社会悪に関与していることを非難されることはあると思うが、「美人の経済的困窮を楽しみにしている」という主張には論理の飛躍があると思うのである。
実際のところ多くの消費者は、目の前で泣かれたりしなければブラック企業も不平等貿易も好んで使うものなのだ。それを奴隷をこき使うのを楽しんでいると非難されてはたまらない。
その例えなら、Amazonでは酷い労働条件で働いている人がいるという話をしつつ 「でもAmazonで早く注文が届くのが楽しみ、もっと労働条件悪くすればもっと早く届くよね」と言った、って...
「もっと労働条件悪くすればもっと早く届くよね」と言った ねつ造