「しにたい」はそんなに受け入れられないものだったのだろうかと感じてしまう。
それはこんな人間が発した言葉だったからなのか、すべての人間が言ったらなのかはわからない。
オタクがよく言う、「しんどい」と同じようなそういう感じの意味として受け入れられたらいいのにな、と少しだけ思う。
しんどいに置き換えればいいだけの話なんだけどさ。
自己肯定感が低い。
自分がした行動に対してものすごく自信がないし、他人の顔色ばかり伺ってしまう。
それなのに何かの線が切れたように突然しにたい、と発してしまったからには、自分が発した言葉にはきちんと責任を持つべきと考えているから、発せられた言葉と周囲の認識がズレている、と感じた時とてつもなく"死にたく"なっていく
なぜだろう。そんなに周りの認識と自分の認識を比べてしまうのか分からないけど
今まで絶対に言わなかった"死にたい"は一度口から出ると堰を切ったように溢れ、しにたいとどんどんと漏れてしまった
何人に迷惑を掛けたのだろうか
今まで見て見ぬふりをしてやり切ってきたしにたいに左右されていることはわかった
それくらいフラットな、自然なしにたいとして満たしては消えて、満たしては消えていく
自分で自分のしにたいを無視したら、"しにたい"は宙に浮いたあと、どこへいくのだろうか
自分のしにたいと向き合っても何も生まれないし、さらにしにたくなったけど、否定され続けたしにたいはこの先もずっと感情として否定されていくのだろうか
そう思ったら受け入れてあげたくなった
それが死に繋がるのかは分からないけれど、見て見ぬ振りをしてきたしにたいは、どう頑張っても視界に入ってきてしまう、そんな気がしている
もう人に迷惑かけないように、しにたいなんてそんな事を言わないようにしないといけないと思った15分後にはしにたくてしにたくて仕方がなくてインターネットで自殺について調べているけど、そのまた30分後にはしにたいは落ち着いて、YouTubeをみながら過去を冷静に反省したりしている
しにたいは、どこへ向かっているんだろうか
いい方向へ進んでいるのだろうか
いい方向は、どっちなのだろうか
もっと徳の高い人間だったら、もっと普通だったらしにたくないのだろうか
どうしてこんなに救いようのないメンヘラになってしまったんだろうか
どうしてこんなに苦しい思いをしながら生きていかなければならないのだろうか
どうして、こんなに人に迷惑をかけているのに生きているんだろうか
しにたくて、本当にごめん