2019-10-30

anond:20191030184705

アマゾンの奥地の南方の端にある「ポスカネリプカ」って部族は、成人としての儀式に「顔の型をとって掲示する」ってのがあるらしい。

泥で顔の形をとって、焼く。そして部族が住んでいる中心にある大樹にそれを置く。立ち上がる煙が空に届くことにより神に認識され、顔が大樹に置かれる事により

同じ部族に対して成人だぞ、って事を示すんだ。

顔の形をとるのは大体12-16歳で、その儀式をすると天の神に自分認識され、周りにも認識されたって事で、結婚セクロス、戦いに行くことが可能になる、というかほぼ強制になる。

でも顔の形をとるのは任意で、取らなければ戦いに行かなくても良いし、求婚もされない代わりに恋愛をしちゃいけないし、自分の住居を自分で選んだりすることも出来ない。

そういう「責任自由は共に与えられる」部分に現代文化との共通点を見つけたのがケイケイ=オンっていうアマゾン出身社会人文学者

フェイスブックツイッタータンブラー自分の顔を出すことはある意味現代人の成人的儀式行為で、ポスカネリプカのやっている事と同じって事を説明したのが

結構話題になった。ネットという人類意識集合体=神に対して顔を晒す、そして同じコミュニティに顔を晒すことで、責任自由を得ているのだと。

同時に、自由だけ得て責任を逃れようとする人は叩かれる傾向にあることも示唆していて、

ポスカネリプカは顔の儀式をしない人を死刑にする。そういうのは人間本能的なものであって変わらないのだと感じた。

記事への反応 -
  • 人に喜ばれたり褒められたりする行動・言動よりも、悪いことの方が発明しやすい。 また、顔出しに抵抗があった世代からすると、「顔出ししている=広告塔として有名税を払う意思が...

    • アマゾンの奥地の南方の端にある「ポスカネリプカ」って部族は、成人としての儀式に「顔の型をとって掲示する」ってのがあるらしい。 泥で顔の形をとって、焼く。そして部族が住ん...

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