2019-09-27

4月に書いた日記を読み返して思うこと


4月に書いた日記

すごく頑張って自分過去ときっぱり決別し、変わったかのように書いている。しかし実際は、表面上のことしか変わってないし、本質はきっとこじらせたまんまなんだと思う。

いまだにわがままで人を困らせる。迷惑をかける。遅刻をする。傷つける。失敗しなくなったわけじゃない。

それなのに努力の末、ずいぶんましになったことをアピールしたがっている。

見てよ、がんばったよ、ほめてよ、そんな気持ちが空回りしている。

いま私が思うことは、それでもやっていくしかないってことだ。

生活は何が起こっても続いていく。

「いつか悲しみで胸がいっぱいでも oh baby ラブリー 続いていくのさ Days

オザケンはそう歌う。

いかに「生活」していくか…「生活」のアベレージを上げていくか……

それに尽きるのだ。

感情に振り回されてなにかをおろそかにしないためには、「遠心的」になること。

星座から遠く離れていって 景色が変わらなくなるなら ねえほんとうは何かほんとうがあるはず」

追求するということは、求心的。しかし、「ほんとうがあるはず」なのは、きっと遠心的になっていくとき、ではないか

自分がどのように良くなるかとか、発達障害であるとか、クズすぎて自己嫌悪だとか。もうそんなことから離れる。おいておく。

そして生活に集中する。こうしていくうちに、自転車がこげるようになる。たくさん転んで、もう無理って思っても、あるひ自転車は乗れるようになる。

ただ、調子に乗ってスピードをあげても事故を起こす。事故回避するために、また遠心的になる。

その繰り返しがきちんとできるような大人でいたい、と私は思う。

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