2019-07-19

京アニ事件、なぜ冥福を祈ってしまうのか

冥福を祈るとは、故人の死後の幸福を祈るという意味である冥土幸福、だから冥福。気軽に冥福を祈ってしまっている人が多いのが、とても気になる。

キリスト教浄土真宗など、信者への死後の幸福約束する宗教では、故人の冥福を祈る事が、故人の生前信仰心を疑っているように捉えることもでき、「ご冥福をお祈りいたします」が嫌味になりえるというのを知らないのか。

故人の冥福勝手に祈らないでほしい。それは、故人の宗教観を祈る側が勝手に決めていいという傲慢な態度の現れだ。

自分が悲しい気持ちになったという意味の、「お悔やみ申し上げます」を使うべきだと思う。自分気持ちを素直に述べるべきであり、故人の死後の世界に、第三者である人間がズカズカ踏み込んでいいものではないと思う。

追記

この意見、細かいだの何だの、必ず反発反論食らうんだが、いかに反発しようと、文化庁の出した声明には、「冥福を祈る」が使われていないのは確か。さすがだ。「お悔やみ」と「回復を祈る」は使われているが、冥福は使われていない。

「お悔やみ申し上げます」が、よく知らない人に対しては不適切という意見をよく聞くのだが、別に、悔やむのに故人と親しい必要はないんじゃないの?としか思えん。

よく知らない人だったら、亡くなっても悔やまないの?それこそ不謹慎じゃね?

http://www.bunka.go.jp/system/1419283.html

  • 嫌味で言ってる人なんかいないの分かりきってるから別にいいんでないの。 それに日本人はそんなに信仰に篤くないのは知ってるだろう。ということは「冥福を祈る」ってのは、宗教的...

  • >冥福とは、故人の死後の幸福を祈るという意味である。 これでは「冥福を祈る」の意味は「『故人の死後の幸福を祈る』を祈る」になってしまう というのは置いといても、べつに故...

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