社会って何だろう。自分が幸せなら他人の不幸は気にならない人もいる。すべての人の幸せを願ってやまない人もいる。社会を形作る個人の思いはそれぞれなのに、原因を社会のせいにするのは無理がある。誰かの言葉が、行動が、このような事件につながっている。
救いの手がなければ生きる事のままならないような人が、「勝手に死ね」と「頑張って生きて」の狭間でもがいている。当事者の思いはどうなのか。もしかしたら「死にたいのに死ねない」と考えているなら、安楽死の導入検討も有り得るのではないか。
生きようにも生きられないのに、死のうにも死ねない。そんな人が自暴自棄に走れば殺人鬼にもテロリストにもなり得るのだから、そういう人もいるという現実は、全ての人にとって他人事ではない。
全ての日本人が、「一部の出来損ない、社会の闇」と切り捨ててきた人達の生き様やその救いについて、考えてみる必要があるのだと考える。
川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) https://t.co/J8zZrtx9d9 社会はあなたを大事にしているし何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、というメッセージを発していくべき。— 藤田孝典 (@fujitatakanori) May 28, 2019
社会って何だろう。自分が幸せなら他人の不幸は気にならない人もいる。 すべての人の幸せを願ってやまない人もいる。 社会を形作る個人の思いはそれぞれなのに、原因を社会のせ...