面倒くさいは狂いのはじまり、というらしいが、そうだとしたら私はもうずいぶん前から狂い続けているのだろうし、これ以上やっていても野垂れ死にしかないのだろうからたぶんもう死んだほうがいい。
自分が傷ついていいのかどうかを図っているうちにずいぶんずたぼろになってしまったという思いがある。
私はたぶん、何にどれだけ傷ついたかを都度誰かに話さなくてはならなかったのだけど、いつもそれは正しいのか、私は本当に被害者かと脳内でとどめる声がしてできなかった。
10年くらい経って記憶が朧気になれば、あのときは傷ついた!といえるのだけど、傷が生々しいうちは、どうしても無理だ。
そうしているうちに私という人間はずいぶんひしゃげてしまった。
たぶんもう戻らない。
以前行ったメンタルクリニックで、
理不尽な仕打ちだと感じたことを泣きながら話したら、「これを言うと怒られるかもしれないけど、周りがなぜこうしてくれないんだ、という怒りがない?」と言われた。
それはあってはいけないんだろうか、と思った。当然にある。そんな風に回りに求めている私がダメなんだろうか。
たぶん個別に考えなくてはならないのだが、こういう風に考え始めると、会社の別を問わずに過去にされてきたことの方を思い出してしまう。
正直いって、何をしたってあんな目に遭わされるいわれなどないだろうということがたくさんあるのだが、
もう死んだほうがいい。たぶんもう生きることに向いていない。
私が私の味方になってやれない。
でも誰かになってほしいとも思えない。私がどんな目に遭ってきたかを誰も知らないし(知っているのはやった方の人だけだし)、知らない人に味方になってもらっても信じられない。
誰かに話さなきゃいけなかったのかもしれないが、たぶんもう遅い。
疲れた。
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というようなメモがEvernoteにのこってたのでここに供養する。
途中で切れているところなども原文ママ。
会社で怒られて死にたくなったんだと思うがまだ生きている。
転職は考えている。