作中ではキャラクターがお互いの良い面を自然と褒め合う関係で描かれていることが多く、見ている側も頬が緩んでしまう展開が多いだろう
話はそれるが、これを読んでいるあなたは普段付き合っている人の、その人の内面すべてが好きだと自信をもって言えるだろうか?
言えるという人もいると思う。しかし大半は"嫌いな面もあるけど付き合っている"という状態だろう。
嫌いな面もある、しかし一緒にいて楽しい面も多い。なので一緒にいる。これもまた一つの良い関係性と言えるのではないだろうか。私はそう思う。
話を戻そう
たつき作品にはこの"嫌いな面もあるけど付き合っている"という関係性が一切ない。
ゆえに"少しでも嫌な面があるとその人の良い面を探そうとしなくなる"という"すぐ嫌い認定する人"にも評価され
そういう人が次々と集まってくる。
それに加え、先ほどたつき作品には"嫌"は存在しないと書いたが、それは作中のキャラクター内限定の話で
全体で見ると"自分達を殺そうとしてくる無機物"という確かな"嫌"は存在していて、そしてそれらは毎回優しいキャラクター達によって排除されている。
つまりは先ほどの"すぐ嫌い認定する人"に加えてさらには"嫌なものは排除すれば良い"という過激思考の人にも噛み合ってしまっている作品となっている。
意図せずとも、そういう人たちを呼び寄せる力がたつき作品には備わってしまっているのである。
もちろん、たつき監督にも作品にも何も罪はない。本当に優しい人達にもたつき作品の良さはしっかり伝わっているし、そのようなコミュニティはとても良いものだと思う。
しかし悲しいことに、たつき監督の理念とは裏腹に、過激派を呼び寄せてしまっている現状がある。