自分オリジナルのツーカーが相手にもぜったい通じるという前提で会話が行われていて、もしもそこで「お前のツーは俺にカーをもたらせねえよ」と伝えようものなら激昂してその日はお互いに口を開くことはなくなる。
無理だ。
会話が成立しねえ。
相手が普通の人なら相手側が必死に言葉を読み取ろうと努力してくれるから会話が成立するが、両方がアスペだと無理だ。
相手に言葉を解きほぐすことを要求するのがコミュ障だと言うのなら、コミュ障同士が会話をすれば会話が成立しないということだ。
お前がコイツとだけは会話が成立しないと感じる時、お前もまたコミュ障なのだと俺の中のカフカが言うが、まったくもってそのとおりだ。
そして恐ろしいことに、日本のような階級社会は人の自閉傾向を加速させる効果がある。
上司は部下に対して忖度を求めるし、部下は上司が求める忖度に答えようとする。
その時両者の自閉傾向は通常時の何倍にも膨れ上がり、軽度のアスペは重度のアスペとなり、会話の成立は途端に困難を極める。
日本という国に生まれた自閉症がちな人間は皆死んだほうがいい。
それが社会のためだ。
死ぬべきだ。
いつか、俺もああやって社会にとってレールの上の巨大な石ころとなって多くの人間を谷間に突き落す何かになるのだ。
それは自分のそばではハッキリと起きなくとも、バタフライエフェクトのように加速して遠いどこかで何十人何百人も俺のせいで死ぬのだろう。
我々は死ぬべきだったのだ。
それが今日まで生きながらえた時点で十分だろう。
今すぐ死のう。
自分がアスペでありながらもせめて善良な一個人であると必死に主張しようとするのなら、その善性は自死によって示すべきだ。
仕事のストレスで寝れなすぎるので気持ちを吐き出したが、どうにも心のモヤがとれんな。
溜め込みすぎたらしい。
もう駄目だ。
いっそ本当に死ぬか。
まあその前に仕事をやめるべきだろうな。
仕事をやめて食っていく術はないが、とりあえず今の仕事をやめて次にやる仕事が給料は安くとも気持ち的には楽であることを願って仕事を辞める家。
面白かったのでブログでもやろうや(ブログで食えとは言ってない)