2018-11-25

北海道米の話

あれって「思うところはあるけれど安易結論を出すつもりがない話」に、個人的体験を交えて複雑な心境をそのまま綴ったってだけの文章でしょ?

なんであんなに批判されるの?

母親への反抗についても、「米がまずいことすら理解できないくらいに子供のころ」の話で、それも親を泣かせてすぐやめたってはっきりと書いてあるじゃん

そもそもおもちゃを買ってもらえなくて親にひどいことを言っちゃったなあ」みたいなエピソードなんだけど、普通はそういう内容を書いてる時点で、後悔とか郷愁とかを含んでることが前提でしょ。

これすらわからないとか読解力があまりにも低過ぎない?

大学生の頃には親から口舌の徒呼ばわりされる」ようなメンドクサイ人が「あきたこまちも買えないような家庭」で育って、でもまずい米に対しては何か言うことをやめたという話から、書いてる人の心情が何も読み取れないわけ?

これがおもちゃの話なら理解できる人も多かったと思うけど、母親の作る料理の話になった途端に脊髄反射でああいコメント群になること自体に、無自覚な「米信仰」とか「母親信仰」が表れてる気がする。

あの連ツイは「信仰政策世論の中身を疑うことなく、よりそれに適合的な技術を追求する知性は危険なのではないか」ということを、子供時代の思い出とか家族エピソードを絡めて、あいまいに個人的な考えを語ってるだけだよ。

図らずもブックマーカーたちの保守的信仰が露呈させられる形になったけど。

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