鈴愛が漫画家になろうとしていた世界のそういう描写が、最高に良かった。
持てる者であり持たざる者でもある。
彼女、彼らが、足掻くのが最高に良かった。
大手企業に就職できた律もそうだし、元大手広告代理店の津曲もそう。
わりと中途半端な才能でも許される世界ではあるけど、結局は苦いものを抱えて続けていくか辞めるしかない。
周りからは羨ましく思われるはずの人々の、そうでもないよ感。
本当にトップに立てているのは、秋風先生とベストセラー作家佐野先生くらいか。
そのトップに立ってしまっている人の、何かが欠けてるおすすめしきれない人生の感じ。
周りからは羨ましく思われるはずの人々の、そうでもないよ感。
モテるけど、結局欠けてるものは満たされない。おすすめしきれないイケメン人生。
対比されるのはブッチャーだ。
秋風先生の大傑作ネームを、鈴愛が紛失してしまうエピソードがあった。
さすがの秋風先生も本気で怒る。悲嘆する。
さすがの鈴愛も大反省。
このエピソード、結局秋風先生の勘違いでネームは見つかるわけだが。
あれだけ大騒動起こした原因であるネームを読み直してみると、ただのナンジャコレ駄作だったというオチ。
ではこの大騒動は、秋風先生やみんなにとって何か意味があったのだろうか?
いや、「そういうものだとして本気で生きていく」という半透明感?