私の育った場所は海から程近く、海沿いに小学校、中学校、高校と並んでいるとても良いところだ。
私は女であるにもかかわらず、男の名前をつけられた。名前の意味するところは、「何かを創造するもの」である。
父の思いを背負った私は、自立心にあふれ、成績も地頭力も悪くないし、利発で素直な為、声も大きくしかも遠くで聞こえるため、ちょっと目立つ存在だった。
海辺の街は中途半端なおんなおとこの私を広く優しく受け止めていたので、のびのびと育った。
萎縮しなければならない時は、機械設計を生業としていた父の「何かを創らないと社会に貢献できない」というプライドを見せつけられるときと、母が暴力を受ける時、そしてそれに絶対的に立ち向かう時だった。
私は父の影響を受けて育ち、プログラマーの職についた。
技術者はかっこよかったし、父に憧れていた。しかし気づいていた、私には技術者の気質はない。
どこまで自分や他人を騙しながらソフトウェア業界にいられるだろうか…
そう思いながらも、これから大きなシステムを作り、管理職について、結婚をして、子供を作る。
それは実現すると思っていた。