完全な定義などないに決まっているのに。
これはラノベに限ったことではなく、あらゆるものは完全に定義することなど不可能。つねに例外は存在するからだ。ラノベオタクは例外を出せば論破した気になっているが、それはとてつもなく幼稚な行為。世の中の名詞というのはあるコミュニティで十分通じるから使用されているだけで、それは別に例外なく完全な定義を持っているというわけではない。Aと非Aの境界は常に漠然としている。漠然としたまま人は言葉を使う。そしてそれでまあまあ通じる。もちろん通じないこともあるが、そのときは詳しい説明などをしてわかりあえばいい。それがコミュニケーションというものだ。いきなり「お前の定義は不完全だからすべてが論外」などという極論にはならない。
完全な定義がないとしても、それは絶望するようなことではない。
なぜならラノベの定義にギャーギャー言ってる気持ち悪い40代のラノベオタクですらラノベが批判されると顔真っ赤にしてブチ切れている。
これがどういうことかというと、結局ラノベの定義が漠然としたふわふわしたものであっても、ラノベの指示範囲をなんとなくラノベ批判者もラノベ擁護者の40代おっさんも共有しているということだ。お互いの認識には多少ずれがあるが、それでもお互いがラノベという言葉を使って意思疎通できている。
ラノベと言われた時に何が対象となっているのか漠然とわかっているから40代のラノベオタクもブチ切れる。
要するにラノベの完全な定義などなくても、ラノベオタクもラノベが何なのかわかっているということだ。「完全な定義」を持ち出して論破した気になっているのは、言語の性質についてあまりにも無知というか、単なる馬鹿である。