人間はどうしても自分の考え方や能力を基準にものを考える気がする。「自分が常識だと思っていることは他人も常識だと思っていて当たり前だ」、「自分ができることは他人もできて当たり前だ」と思っている人はわりと多い気がする。飛び抜けた能力の持ち主や、逆にものすごい能力的に劣る人は、「すごい」あるいは「お前はダメだ」と人から言われ続けることで自分の特殊性を自覚するけど、それほど世の中を渡ることに苦労してこなかった人は良くも悪くも「自分が普通だ」と思いがちだ。
自分と似たような世界で育ってきた人と一緒に働き、自分の考え方が常識として通るところで生きてきた人はすごく視野が狭い気がする。うちの職場の場合、わりと文系(特に法律系)の人たちの権力が強いんだけど、部署によって特殊技能や専門知識が必要な仕事があるので、自分の基準だけで生きていけると思うとろくなことがない。
私の同期でなぜか自分の常識を世界の常識と思い込み、私が彼女と違う考えや行動を語るといちいちカチンと来てるのが見ていて分かる人がいたけど、あれって何なんだろうね。どうも私のことをダメなヤツ扱いして自分より下に見ていたようだけど、それにしたってあんたの考えや価値観にこっちが合わせる義務はないだろうと思った。あんまり友達多くないのでそういう人でも仲良くしたいと若い頃はあがいていたけど、最近は年賀状のやりとりぐらいしかしてないな。そんなこんなで自分と違う価値観や世界観を認められない人は心が狭いと思っている。
簡単じゃん。他人は違うっていう広く浅い感覚ってものすごく大事だと思うんだよね。この感覚ない人は仕事もできない。
人間はどうしても自分の考え方や能力を基準にものを考える気がする。「自分が常識だと思っていることは他人も常識だと思っていて当たり前だ」、「自分ができることは他人もできて...