今まで庶民の恋愛はお見合いが廃れてからはほぼ自然恋愛だった。
自然恋愛という性質を考えれば、箱入り娘がヤンキーと結婚する可能性が無視できなかった。要するに、組み合わせが多岐にわたり、カオスなのだ。
これが、婚活というフィールドに統合されることによって、失敗する結婚が実質的になくなる。
ヤンキーが間引かれるということは、数多ある結婚の可能性から最悪の結果を省けるということ。
これを拒む両親がどこにいようか?
結婚とは適当にしていいものではない。セックスの相性がいいだけではダメ、学歴、経歴、収入、親の住む土地まであらゆるものが秤にかけられるのだ。
婚活が一般的になりさえすれば、低学歴、低職業、低収入、低資産、低容姿、低能、低生育、低きものは低きものと結ばれるしかない。
こいつらの結婚は、言ってしまえば”野良”だ。自然恋愛とは、究極、雑草を愛でることに等しい。
悪いことは言わない、増田よ。早いうちに婚活しろ。数値のフィルタをくぐり抜ければゴールがあるかもしれない。
そうでないなら、諦めろ。