ただその、オーバークオリティについても、いまのガバナンス、コンプライアンスから見ると疑問に感じる。要求水準をオーバーするものを作って、はい要求品質のものですって顧客に提示するってコンプライアンス上どうなんだろうね?その技術はどこか不遜に感じないかな?
実体はその逆かなと。
昔の日本人は、ミャンマー軍事政権下の若者のように純真だったのだと思う。
例えば、アメリカから受注を受けて、「不良品を10個まで出していい」と言われたら、「受注品の他に10個の不良品が別途送られてきた(当然、他の受注品には不良品はない)」という笑い話もあったくらい。
それだけ昔の日本人は滅茶苦茶勤勉だった。
マッカーサーが日本人が12歳だと言ったのもその純真性も含めてだろうと思う。
もちろん、それは今はどうかな?と責めるのは酷だとは思うが。
オーバクオリティを良しとしていて、それでも儲けることができた昔と、要求品質のギリギリを狙わないと利益を産めなくなった現在、そこに生まれる歪みは経営者のせいだけなのだろうかってダイヤモンドの記事を読みながら思って、じゃあ何が違うかってところで、最初のエントリを書いてみた。
http://diamond.jp/articles/-/148118?display=b 最近のものづくりに対する危機感の論評が多いけど。こないだの車屋さんの不正騒ぎだって30年前から、じゃなくて30年“以上”前からの不正だからね...
たぶん、作ってる製品の、最終的な、強度とかの数値としての品質は昔から変わらないと思うんだ。だから、不正が発覚しても追跡調査では結局問題なしとされることが少なくないんじ...
なるほど、昔と今で数字に表れてくる品質が同じだったというわけでもないのか。 ただその、オーバークオリティについても、いまのガバナンス、コンプライアンスから見ると疑問に感...
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確かに、その時々で、その時の価値観に準じてベストを尽くしてきたってことか。それを今の価値観に落とし込んでも意味はなくないけど、ポシティブな物言いにはならないかな。 「...
福岡はもりあがってるの?