なるほど、昔と今で数字に表れてくる品質が同じだったというわけでもないのか。
ただその、オーバークオリティについても、いまのガバナンス、コンプライアンスから見ると疑問に感じる。要求水準をオーバーするものを作って、はい要求品質のものですって顧客に提示するってコンプライアンス上どうなんだろうね?その技術はどこか不遜に感じないかな?
最初に強度を例にあげたから材料を例に話すと、いまでもまれに、強度を要求スペックの上のランクで作れば問題ないと考えがちなひとがいるけど、そういう時は靭性に対する配慮が欠けていることが少なくない。
過去はオーバークオリティであることも、良い品質であると言えたかもしれないけど、いまの風潮としてはそうではないように思う。話が逸れた。
オーバクオリティを良しとしていて、それでも儲けることができた昔と、要求品質のギリギリを狙わないと利益を産めなくなった現在、そこに生まれる歪みは経営者のせいだけなのだろうかってダイヤモンドの記事を読みながら思って、じゃあ何が違うかってところで、最初のエントリを書いてみた。
http://diamond.jp/articles/-/148118?display=b 最近のものづくりに対する危機感の論評が多いけど。こないだの車屋さんの不正騒ぎだって30年前から、じゃなくて30年“以上”前からの不正だからね...
たぶん、作ってる製品の、最終的な、強度とかの数値としての品質は昔から変わらないと思うんだ。だから、不正が発覚しても追跡調査では結局問題なしとされることが少なくないんじ...
なるほど、昔と今で数字に表れてくる品質が同じだったというわけでもないのか。 ただその、オーバークオリティについても、いまのガバナンス、コンプライアンスから見ると疑問に感...
ただその、オーバークオリティについても、いまのガバナンス、コンプライアンスから見ると疑問に感じる。要求水準をオーバーするものを作って、はい要求品質のものですって顧客に...
確かに、その時々で、その時の価値観に準じてベストを尽くしてきたってことか。それを今の価値観に落とし込んでも意味はなくないけど、ポシティブな物言いにはならないかな。 「...
福岡はもりあがってるの?