あの頃は苦しくて苦しくて、もうずっと絶望していて。リスカする子の気持ちにだけはピッタリと共感していた。自分で切ることは出来なかったけれど、深夜に一人で刃物を手首にあてたまま、長時間ぐるぐると、気持ちが落ち着くまで考えているのだった。自分は消えなければいけない、死んだほうが家族に喜ばれる、というのが、日々痛感し過ぎて自分の基本思考になっている現実だった。妄想ではなく、正確な現実だった。だから、ニュースで親からの虐待死が流れてくると、その子の絶望がありありと感じられて、自分もまたあの絶望の苦しみを味わいなおすものだった。そう、家庭が辛くて辛くて。学校でも相当イジメられていたらしいけれど、そんなに感知出来ていなかった。それどころじゃなかった。家庭の苦しさでもういっぱいいっぱい、擦り切れていた。
学校を卒業して、家から出て、絶縁して、今は別の家族と暮らしている。幸せだと感じる。幸せになりたいとは思っていなかったのだが、今の幸せには感謝している。驚いたことに、あの絶望の中でも、実は光は最初からずっと存在していたのだ。単に届かなかっただけで。愛されぬ者の心の歪みは、愛されれば治せるけれど、愛されすぎた者の心の歪みは如何ともし難いので、今はそれが心配。なんて贅沢。親が死んでるのか生きているのか、私にはもう関係無くてよいと思えるようになった。親ごと忘れてしまって良いと思う。それは、自分が幸せであることを肯定できるようになったということだろう。自分を肯定できるようになったのだろう。とはいえ、夢の中ではあの頃が繰り返し上演される。目が覚めると涙が出ているので、舜が五十になっても叫ぶのは止まないのかもしれない。それでも、起きている間は、あの頃あんなに求めた心の穏やかさを享受している。知的障害の自分と家族、この生活で更に鈍く鈍く、より愚かに愚かになっていても、日々を否定出来ない。幸せな記憶こそ人生の思い出だから。…やっと手に入った。