2017-10-18

あの頃は苦しくて苦しくて、もうずっと絶望していて。リスカする子の気持ちにだけはピッタリと共感していた。自分で切ることは出来なかったけれど、深夜に一人で刃物を手首にあてたまま、長時間ぐるぐると、気持ちが落ち着くまで考えているのだった。自分は消えなければいけない、死んだほうが家族に喜ばれる、というのが、日々痛感し過ぎて自分の基本思考になっている現実だった。妄想ではなく、正確な現実だった。だからニュースで親から虐待死が流れてくると、その子絶望がありありと感じられて、自分もまたあの絶望の苦しみを味わいなおすものだった。そう、家庭が辛くて辛くて。学校でも相当イジメられていたらしいけれど、そんなに感知出来ていなかった。それどころじゃなかった。家庭の苦しさでもういっぱいいっぱい、擦り切れていた。

学校卒業して、家から出て、絶縁して、今は別の家族暮らしている。幸せだと感じる。幸せになりたいとは思っていなかったのだが、今の幸せには感謝している。驚いたことに、あの絶望の中でも、実は光は最初からずっと存在していたのだ。単に届かなかっただけで。愛されぬ者の心の歪みは、愛されれば治せるけれど、愛されすぎた者の心の歪みは如何ともし難いので、今はそれが心配。なんて贅沢。親が死んでるのか生きているのか、私にはもう関係無くてよいと思えるようになった。親ごと忘れてしまって良いと思う。それは、自分幸せであることを肯定できるようになったということだろう。自分肯定できるようになったのだろう。とはいえ、夢の中ではあの頃が繰り返し上演される。目が覚めると涙が出ているので、舜が五十になっても叫ぶのは止まないのかもしれない。それでも、起きている間は、あの頃あんなに求めた心の穏やかさを享受している。知的障害自分家族、この生活で更に鈍く鈍く、より愚かにかになっていても、日々を否定出来ない。幸せ記憶こそ人生の思い出だから。…やっと手に入った。

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