2017-09-26

被害妄想とかに関するメモ

下の文章に目を通したことがきっかけで思ったこと。

http://kokoro.squares.net/?page_id=9

http://kokoro.squares.net/?p=6497

重要な要因は、不快なことが頭から離れにくいことと、

反省みたいなの(内観?)をする癖やら余裕やらがないことだと思ってる。

すれ違った人の笑顔を見て今すれ違った人は自分嘲笑していたと思う。

最初の段階では端的に他人がそう思っている。だが反省みたいなのをする癖があると、

他人がそう思っていると自分が思っている、と反省する。

んで、その原因(?)は今自分恰好がみすぼらしいと自分潜在的に思っていて、

それが反映されたものだと考えるだか、ありがちな原因を想起だかする。

端的に他人自分嘲笑していたと思って、それを反省しなくとも、

そのことが気にならないなら、その嘲笑事実か否かに関わらず、

意識から消える。

反省して他人自分嘲笑していたとは限らないと思っても、

そのことが頭から離れないなら、

妄想であろうがなかろうが苦しみの程度は大して変わらないだろう。

思い浮かんだことが即事実であるかのように話す人がいるが、

「かもしれない」とか「と自分は思う」みたいなのは反省することで

付け加わるもので、なんらかの原因でその意味での反省ができなくなっているのかも。

たとえば激しい症状が出ていて次から次へといわば頭に浮かんでくる状態では、

浮かんでくるもの反省されることな事実のようになっている。

夢においては夢の内容が事実のようになっていることに近い。

目が覚めると自動的想像だったと気付く。

被注察感ってのは反省する機能みたいのが他者からのように感じて起こるのかもしれんけど、

あんまりそれが働いてないときに働き始めると起きるとか?

なんか『フィヒテの根源的洞察』を思い出したな。ちゃんと読めた気はしてなかったけど。

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