死にたいと言うと「そう言う奴に限って死なない。」「じゃあ死んでみろ。」と言われますね。私は人に言ったことがないので、これはネット上でみられるやり取りの話です。
どうして死にたい気持ちを赤の他人に証明しないといけないのか、証明するために実行しないといけないのか?
死にたい時、死なない理由はさまざまです。死ぬのに失敗して体が不自由になったりしたら尚更地獄です。
そういったことをなにも考えられないくらい、衝動的に線路へ飛び降りてしまうような、極限の精神状態までいった人たちのことを想像して、「お前はアレに当てはまらないから、真の『死にたい人間』ではない。」といっているのでしょうか
「死にたい」という感情を自覚したら誰でも死にたい人間です。あなたも。
フワッとしていても、寝たら忘れてしまうほど小さくても。
死んだらダメなんてことはないし、死にたいと思ったからには必ず死ななくちゃいけないなんてこともない。
命なんてなにかの契約で得た訳ではないのですから、今日のお昼ご飯を決めるような気持ちで扱っていいことなんです。
死んだら後悔するのは、本人ではなく、周りの人です。
死後の世界は生きている人たちへの救済のために存在する妄想です
死にたいと言う人は 死んだり死ななかったりさまざまです。
死にたいと言わない人も同じです。
タイトルのような攻撃的なセリフを言う人は、事実がどうなのかということよりも、「その話を聞きたくない」「あなたのことなんて慰めたくない」という気持ちで言っているのでしょうから、そう返されてしまったら、諦めて、話をやめましょう。
その人に対してどれだけ死にたいかを証明する必要はなく、ただ、その人はあなたのことが嫌いだというだけです。
もし友人だと思っている人にこのような反応をされたら超つらいので、私は言いません。
死にたいといったら、私は、「それくらい毎日つらいんだね。あなたにとっての救いはそれなんだね。あなたのこと大好きだから、止めないよ。」とやさしく言ってくれる人が欲しいです。いません。
いません