今日、旦那が「俺はカサンドラ症候群かもしれない」と言った。つまり私がASDという現実を受け入れたということになる。
そして、「分かり合えないと割り切る」という結論が出た。
日本人と外国人なら、笑顔や声のトーンなどで通じ合うこともできる。しかし、定型発達者と発達障害者(あるいは健康な人と脳や精神に問題を抱えた人)の間にはそれ以上の断絶があるのではないか。最近そんなことを思っていた。つまり、笑顔も声のトーンも通じない宇宙人同士が交流するようなものではないかと。
分かり合えないと割り切ると言われてとても悲しかった。しかし、それと同時にとても建設的な考え方だと思った。
互いに別の星の生物だと思えば、良い意味での諦めもつくし、相手の負担も減るのだ。(私たち夫婦の場合は、旦那のほうが負担を負ってくれていた気がする。)
人工知能も高感度なセンサーも取り付けられた最新式のロボットに、1970年代に作られた無骨なロボットのことが理解できるわけがない。なのに理解しあおうと努力してくれていたのだ。感謝している。
ASDとかそれ以前に、そもそも男性と女性は分かり合えないし、そうでなくとも自分とは別の存在である他人と分かり合えるというのも幻想なんで。
カサンドラ症候群が何か知らないし調べる気もないけど 鬼の哭く街カサンドラとは関係あるのかな